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第2話

「2年生のみなさんが召喚門を繋げる地域は主に、白緑湿原になります。教科書53ページを開いて下さい。」 石造りの広い召喚室に、先生の声に続いてページを捲る音が折り重なって響いた。 (図鑑にもよく出てくる地名だ…) 白緑湿原は多様な生態系を持つ、魔界でも有数の豊かな地だ。 先生によるとそれだけでなく、他地域と比べ温厚な魔物や弱い魔物も数多く生息しているらしい。 「白緑湿原は、魔界史にも名を刻む強大な魔物の支配地域だと言われています。  じゃあ出席番号7番の人、その魔物の名前を答えてみて下さい。」 「は、はい、月桂樹の魔物です…」 「はい正解です、ありがとう。”月桂樹の魔物”については1年生でもやりましたね。魔界の領主の中でも特に有名な魔物です。  月桂樹という呼び名は月夜の大戦の勝利者にちなんだものでしたね。他にも”月下決戦の覇者”や、月桂樹の略称で”L”などと呼ばれていますね。」 (確か一夜で数万の軍勢を滅ぼしたんだよな…。  でも、有名な割にどんな魔物なのかはあんまり分かってなくて謎も多い魔物。巨木だとかドライアドだとか言われているけど…) 魔界は過酷な環境だ。 そんな中で強い魔力を持つ魔物が住処を定めると、暮らしやすい場所を求めて他の魔物たちも自然と集まってくることもある。 そうして形成されたエリアの頂点に君臨する魔物――僕達はそれを「領主」と定義している。 魔界ではより良い住処や獲物を求め、争いが生まれやすい。 特に「領主」達同士の戦いは苛烈を極めるという。 過去には魔界統一を成し魔王と呼ばれた魔物もいたらしい。 ただ、今の魔界は領主たちが 各々の生活エリア一帯を支配する、いわば群雄割拠の時代となっている。 (そういうちょっとした魔界史とかも学べて、1年生の座学授業も面白かったけど…) だがやはり、実際に召喚を行う魅力はそれとは比べ物にならなかった。 楽しみでしかたなくて、指折り数えてこの日を待ち望んでいた。 「では今日の課題、みなさんが初めて召喚する魔物は、その白緑湿原の”燐蝶”です。」 そうして迎えた最初の実践授業での課題は、初歩も初歩、蝶に似た最弱に近い魔物を召喚することだった。 門を繋げる位置や召喚対象の情報など、必要な設定を魔方陣に描きこんでいく。 書き上げた魔方陣に魔力を注ぎ、魔界へとつながる門へ変える。 難なく門をつなげることができた僕は、いよいよ魔物を喚んだ。 ――魔方陣内に現れた半透明の蝶型魔物 初めての召喚。その青い羽ばたきに、言葉にできない感動を覚えた。 次の瞬間。 パァン! 僕が召喚した魔物は、突然、破裂して塵となった。 「何も…僕は、本当に、何もしてないんです…」 教科書にもなかった現象。 先生達ですら見たことがなかった事例に、安全確認のため関係者への聞き取りや、残留魔力の調査が行われた。 当事者である僕には、魔力検査をはじめ多方面の検査や聴取が行われた。 しかし、これといった原因は見つからなかった。 結局、一時的に門のリンクや供給魔力の状態が不安定になったことが原因、とされた。 一時的な理由―― 特に、思春期に突発する魔力の不安定さは、広く知られた現象だった。 (でも、…) 魔力の状態を整えるのは、苦手ではなかった。 確かに召喚に臨んだ時は、多少のワクワクや心配はあった。 だが自分では、召喚時に精神や魔力の不安定さは感じていなかった。 (…きっと、運が悪かったんだ。色々な条件が重なってしまった、とか…。  だからあれは、僕のせいじゃない。どうしようもないことだったんだ) 僕は腑に落ちない気持ちを抱えていたくせに、 その時、安易に自分を納得させてしまった。 安全確認後、僕は再び召喚術の授業に参加した。 召喚室に再び現れた僕を奇異な目で見てくる人も、もちろんいた。 僕自身でさえ、自分は召喚を行って本当に大丈夫なのか、と不安もあった。 深く呼吸して、余計な考えを振り払う。 内側が、精神と魔力が落ち着いていくのを確認しながら、自分に言い聞かせる。 大丈夫、前のは一時的に偶然起きてしまったこと。 だから今日、僕が魔物の命を奪うことは、ない… 二回目の召喚対象は、前回より一回り大きい魔物だった。 手順通りに門を作り繋げ、召喚を行う。 魔方陣に魔力を送る際は、いつも以上に安定させることを心がけた。 無事魔物は召喚され、魔方陣内には半透明のリスに似た魔物が現れてくれた。 (ああ、よかった…!!) やっぱり、この前のは一時的なものだったんだ。 ブク 前回のように、召喚した魔物がいきなり破裂することはなかった。 だから、今回は大丈夫だと思った。 それなのに。 ブクッ、ブクブクッ!ブクブクブク…! 内側から無理やり空気を詰められていくかのように、歪に膨張しはじめた魔物。 先程までこちらをぼんやりと見上げていた、つぶらな瞳。 今はそれが苦しげに歪み、あっという間に膨らみ続ける肉に埋もれ、 パァンッ! え………、 そんな……………、なんで………? 慌てる先生。 騒ぎ出す生徒。 再び、騒然となった召喚室内。 その時の僕はそれらが、 どこか遠い世界の出来事のようにしか感じられなかった。

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