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第9話

「……契約をしても、僕ではあなたを抑えることは出来ません。  だから契約を結ぶこともできない、と思っています…」 ”契約を結ぶまで、お前をここから帰すつもりはない。” 魔物はそう言っていた。 つまり、僕は”帰れない”ことを選択した。 帰れない。ここで、魔界で、魔物に魔力を搾取されながら生きていく…… 「………」 家族にも会えなくなる。 色々な事を、無理やり諦めなければいけなくなる。 想像した冷たく暗い未来に怖気づき、息が乱れ手が震えた。 「っ”!……っ、…ッ」 こんな選択、本当はしたくない。 魔物の言う通り本当に僕の魔力が特殊でそれだけが狙いなら、僕が恐れている悲劇は起きない可能性だってある。 「…、……………。」 ダメだ。 呼吸を深くし、動揺した息と心を宥める。 感情に流されてはいけない。自分の都合のいいように考えてはいけない。 甘い考えを握りつぶすように、拳に力を込めた。 ”格上の魔物と召喚契約を結んだ結果起こる被害は、甚大なものになります。” 諦めるんだ。諦めて、受け入れるしかない。 火の海と化した国、魔物が跋扈する都市、一飲みに食われていく人間、魔力や精魂を根こそぎ奪われた屍の山… 自分一人の命で到底贖あがなえない災厄。 それを引き起こす可能性が少しでもあるならば、僕がすべき選択は一つしかないだろう。 (仕方ないんだ…これは、どうしようもないことなんだ。) 僕は知っていたじゃないか、どうしようもないことが降りかかることを。 だから決めてたじゃないか、その時が来たら家族や周りにできるだけ迷惑をかけないようにしようって。  そのためにはまず、どれだけ辛くても現実を受け入れ諦めることから始めなければいけない。 (あー…こんな形で居なくなるなんて、とんでもなく迷惑な子供だよな…) 思わず天を仰いでいたら、つい未練がましい考えまで浮かんできてしまった。 …ああ。 ぼっち生活のお供に読んでいた、あのシリーズ本の続きももう読めなくなるのか。 こんなことなら、あの楽しみにしてたお菓子、早く買って食べとけばよかった。 母さんと父さんと、そしてあいつに、「さよなら」くらい言いたかったな… 「っ……、……」 俯いた僕の耳に、軽い溜息が届いた。 「仕方ないな…」 否と答えても、魔物は悠然とした姿勢を崩さなかった。どちらでも構わなかったのだろう。 「では、これを使って魔力をお前から奪う。」 魔物はそう言いながら、ローブの内ポケットから一つ小瓶を取り出した。 紫に近いピンク色の透明な液体が、瓶の中で揺れる。 なんだろう。嫌な予感しかしない。 「これは、他の魔物から魔力を奪う植物が使う毒だ。  魔力の制御を狂わせ、植物が魔力を奪いやすくするために使われる。  …多少気分が悪くなるが、のたうち回るような酷い作用はない。」 と言われても安心などできるはずなどなかった。どうせ無意味だろうけども、僕の体は小瓶を持った魔物の手から逃げを打とうとした。 しかし、見えない何かに動きを阻まれ動くことはできなかった。 それらは僕の唇もさわさわと擽って、口を開けと催促してくる。 そのうち口の中にまで入ってきそうなそれに諦めて口を開けると、魔物が瓶の蓋を外すのが見えた。 そして、僕の舌の上に不気味な液体を、ゆっくりと垂らした。 「!?」 (これ、風邪シロップみたいな味で飲みやすい…) 意外すぎる毒の味に驚く。 すぐに空になった小瓶は、再び魔物の内ポケットへと仕舞われていった。 「私はお前から力任せに魔力を奪うこともできる。  だがそんなことをしたら、お前の魔力はおろか生命まで根こそぎ奪ってしまいかねない。  面倒だがこうするしかない。  魔力の搾取が済んだら、解毒してやろう。」 魔物の話の途中から、僕は身体が熱を持っていくことに気付いた。 (……ああ、) いよいよ、毒が回ってきてしまったようだ。 あとはもう、なるべく苦しまずに終わることを祈るしかない。 最初は身体がふわふわというか、フラフラする症状に見舞われた。 立ちくらみに似た感覚だった。 それから、徐々に体に力が入らなくなっていくのが分かった。 力が抜けていき、ぐでんぐでんになっていく身体。 ベッドに逆戻りすると思ったそれは、いつの間にか魔物の腕の中に収まっていた。 さわっ 「っ…!……ぁ……」 魔物の長い髪の一房が、首筋を掠めた。 その些細なはずの刺激に、声が漏れそうになる。 鋭敏になった感覚とは裏腹に、 意識は少し霞みがかったようにはっきりしない。 確かに先程魔物が言っていた通り苦痛を伴うような作用はなかった、が… (あれ、なんか、ちょっとこれ…) 心臓がドクドクせわしなく動き、勝手に息が上がっていく。 そして下腹部へと、血液と熱が溜まっていく… 嫌なことに気づいてしまった僕に、魔物は追い打ちをかけてきた。 僕から魔力をじんわりと奪い始めたのだ。 いやこの際、魔力を取られるのはまだいいとしても。 (な、ななんでマウス、トウ、マウス っ!?) 魔物の少しひんやりとした、それでいて柔らかい唇が自分のものと重なっていた。 (た、確かに急性魔力欠乏症の人には、粘膜から魔力を流したりするらしいけど…) ぼんやりとした頭に浮かんできた情報はすぐに霧散していった。 触れ合った所から、自分の魔力が流れ出ていく感覚に呑み込まれたからだ。 でもそこに強引さはなかった。 まるで、手を引かれて誘われていくような心地。 (ぇ……?なんで、こんなに…気持ちいいんだ……?) 一粒の水滴。 それが壮麗な大河に合流できたら、こんな気持ちになるのかもしれない。 大きなものに身を委ねられる安心感。 このまま、自分がなくなってもいいから、その身の内に加えてほしい。 取り込まれ、ひとつになってしまいたい…… これも毒薬の作用なのかと薄まった思考で考えていたが、そんな余裕があったのもここまでだった。 「ふっ…、っんん"?!」 魔物が僕の唇を割って、その舌を口内へと伸ばしてきたからだ。 「っ…ン!、……ふっ……ん……は……」 ひんやりとした侵入者は、まず僕の舌にねっとりと絡んで挨拶をしてきた。 触れ合う面積が増したからか、毒薬に直接触れた箇所だからか。 先程より、魔力が奪われる量が多くなった事を辛うじて認識できた。 しかしぬるぬるとした抱擁が解かれた後は、もう何が何だかよく分からなくなった。 なめらかな来客が、口内を舐め尽さんばかりに巡り始めたからだ。 「…っハ、ぁ…んっ…!…っふぁ……んンっ!?」 舌裏まで忍び込んだり、唇裏と歯茎の溝に溜まった唾液までも甘い蜜だと言わんばかりに掬い取っていく、滑らかな軟体。 その動きは、自分の口の中が飴でもなったかと錯覚しそうなものだった。 そんなぬらぬらとした刺激に、僕は口内はおろか脳まで甘く溶かされてしまったのだろう。 (…ぁっ…もう、下が…やばい…、けど…………………) そうして僕は魔物のなすがまま、満足するまで魔力を奪われたのだった。

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