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◆05

「アッパーズキャストて、アレかー。『寝取られパンスト美人』シリーズんとこかー」  バチバチとはねる油の音をBGMに、だらりとした声がうなじの後ろあたりに落ちる。  菜箸を持った環はフライパンの上の肉の塊を凝視したまま、後ろの気配に向かって苦笑した。 「あー……佐塚監督の人気シリーズですね。俺はあんまり佐塚さんの現場に入ることないんですけど、編集は結構手伝います」 「あと『業務外OLの美脚』もキミんとこ?」 「そうですけど……伊都さんて、パンスト好きなんです……?」 「いやちゃうねん。ちゃうって、ホンマ、あれやねん、ちょい前にビデオ屋でバイトしてた時に同僚にパンスト推しがおったんやって。やたら推してくるから無駄にタイトル覚えただけやねん。おれは見てへん」 「俺としては、自社の作品はたくさんの人に見てもらいたいですけど……」 「…………羽崎ルイはちょっと見た」 「美脚系じゃないっすか」  思わずふは、と息がこぼれる。  同世代どころか年下も年上も、同性の友人がほぼ皆無な環にとって、他人とAVの話で盛り上がった記憶はない。八割程度は職場としての話だし、環自身は女性に興味はないが、それでも貴重な体験だ。  木曜夜に男二人、だらだらとあけすけな話をしながら青椒肉絲を作っているわけだが、今日は柚葉がいないのでセーフだと思うことにした。一緒に住んでいるのかと勘違いしそうなほどいつ来ても顔を見る柚葉だが、べつに同棲しているわけでもないし、動画編集が本業ではないらしい。  その割に社畜の様相だったけど。……などと、人のことは言えない癖に心配になってしまう。 「あれやんなぁ、マキちゃんは自分の仕事好きやねんな」  空いてたボウルを洗いながら、伊都はだらだらと言葉をこぼす。フライパンから目を離せない環は、前を見たままそれに答えた。 「はい、たぶん好きです。いやなんていうか女性が好きとか、AVが好きってわけじゃなくて、えーと、仕事として好きというか」 「あー、なんとなくわかるわ。キミ、エロが好きって感じせぇへんし。忙しいのが好きなタイプやろ」 「はぁ……まあ、はい、好きっすね……」 「働くの楽しいってええことやで。人間、働かな生きていけへんし。あんま身を粉にしとると死んでまうからようないけどなぁー」 「伊都さんは、お仕事好きじゃないんですか?」 「ん? んー……おれかぁ、おれなぁ……楽しいとは思うけど、好きなのかはようわからんなぁ。まぁ、朝起きて働きとうないわー布団から出たくないわーて思わへんから、普通に好きなのかもしれんなぁ」  伊都の言葉は、だらりとしていて柔らかい。  環の周りの人間は仕事に対して全力すぎて、気合い溢れる男ばかりだ。エロが好き、女性が好き、機材が好き、映像作品が好き。そんな熱が息巻いていて暑苦しく、その興奮状態が気持ちいい。  しかし伊都の『働きたくないと思わないからまぁたぶん好き』という言葉の緩さも、環は心地よいと思う。 「そろそろ肉崩してええよ。片栗粉揉み込んだ肉は固まったまま焼いて熱入れた方がええねん。無理に崩そうとするとボロッボロになるからなぁ。そんで肉焼けたら皿に上げておく」 「……この作業、やっぱりやんないとダメですよね……?」 「ダメやねぇ。最初に言うたやろ、レシピは――」 「レシピは省略、改変、置き換えをするな確実に手順と分量を守れ」 「よくできました。……ま、慣れたら勝手に色々やってくれてええけど、とりあえず最初はぜーんぶ言われた通りにやんなさい。基本的にレシピってやつは、無意味な過程は入れとらんから」  一度皿に移す、片栗粉をまぶす、冷蔵庫で寝かせておく。この辺りの過程は、どうしても省略してしまいたくなる。  比較的素直に面倒くさいという本心を隠さずこぼした環に、隣に立つ伊都は緩やかに苦笑したようだ。 「まーわからんでもないけどな。せやけどその『面倒くさいわええやろこのくらい』て気持ちがレシピをぶっ壊してまうねん。まずはきっかり、過程と分量守って作ってみ。料理なんて作業なんやから、やり方さえ守れば極論誰でもできんねや」  伊都がまず環に教え込んだのは、アレンジするなレシピを守れ、という言葉だ。  胡麻油とオリーブオイルとサラダ油は別モンや、どれかで代用しようとかしたらアカン。油やのーて別々の調味料だと思え。  にんにくと生姜と酒は『なくてはならんモン』や、味に関係ないやろ〜て省略すんな。チューブでええから揃えとけ。  片栗粉も面倒くさがるな。片栗粉は買え。片栗粉はもっとけ。小麦粉はまぁええけど片栗粉はもっとけ。  言われた言葉を素直にメモしながら、身につまされる気持ちになる。  胡麻油ないからサラダ油でいいだろとか、酒とか入れなくても味変わらないんじゃないかなとか、片栗粉なんか必要なくない? とか。そうやって適当に省略してできた料理は大体が『買って食べた方がよくないか?』という微妙な出来だった記憶がある。 「……俺に青椒肉絲とかできるんですかね……」  徐々に募る不安が弱音になり、うっかり口から溢れでる。普段から瀬羽と無駄話を交わすことが多いせいか、環は割合口数が多い、らしい。とりあえず思ったことは言っとけ、という瀬羽の教育方針のせいかもしれないが、よく喋る環のことを伊都は歓迎しているようだ。  どうやら伊都も、喋ることが好きらしい。 「和食よか中華の方が楽やで。あまじょっぱいって面倒やねんな、味の好みも直結するしなぁ。その点『基本しょっぱい』がメインの炒めモンは激楽や。面倒なのは計量くらいのもんやで」 「はぁ……まぁ、たしかに、言われてみれば、野菜切って炒めて味付けるだけですもんね」 「肉じゃがやらハンバーグやら唐揚げなんかより、回鍋肉や青椒肉絲の方が圧倒的に楽やで。名前が強そうなだけで面倒くさそうって思われがちやけどな。まぁ肉じゃがはぶっ込んで煮るだけやけど、時間かかるからなぁ……」 「たけのこ……ボロボロになっちゃいましたけど大丈夫ですかね……」 「安心しーやアイツは殊更切りにくい奴や。たけのこに関しては大きさで料理の味が変わったりせーへんから気にせんでええよ。……ピーマンはもうちょい均等に切れるようになったら花丸やけどな」  フライパンに投入されたボロボロのピーマンをチラ見され、恥ずかしさで顔を覆いたくなる。  普通の一人暮らしの男よりは包丁使えるのでは? と思っていた環だったが、もちろん本職の伊都に比べたら不器用の権化のような有様だ。月とスッポン。蟻と象のような実力差が明確だった。  伊都は長い指で魔法のようにサクサクとピーマンを切った。その手際の良さと綺麗な指にうっかり見惚れたのも良くない。あからさまにソワソワしてしまい、余計な煩悩を振り落とすために無駄に緊張して無駄な力が入った。  これは言い訳だ。しかも、全面的に環が悪い。折角時間を割いて料理を教えてくれる先生に対して、授業中に欲情するだなんて言語道断だ。 (いやでも、伊都さんが髪の毛縛ってるのも良くないんだよ……うなじ綺麗かよ……)  今日の伊都は赤い髪をしっかりと結えていた。調理中に邪魔だからという理由であることは想像できるが、どうしてもうなじに目が行きそうになる。耳の形が綺麗でよくない。エプロンの紐がキュッとまとわりついた腰も細い。目に毒だ。  正直なところ、伊都の顔はタイプではない。彼は涼しげなイケメンだが、環はどちらかと言えば濃いめの親しみのある男が好みだ。とはいえ、伊都の柔らかな性格やふとこぼす甘い顔などには、大いにときめいてしまう。  環は、人生で一度も恋人を作ったことがない。学生時代は自分がゲイであるという自認があやふやだったし、就寝してからは恋をする暇などなかった。AV撮影現場で働いているものの、なんと性交の経験すらない。  今まで、好ましい男性とふたりきりになる機会などなかった。たぶん、無駄にドキドキしてしまうのはそのせいだ。そうに違いない。  と、この部屋に入った瞬間から何度も言い聞かせているのだが、やたらと近い距離感と基本的に優しい伊都本来の物言いや性格に、環の理性は常に根を上げそうな状態だった。  伊都はストレートだ。恋人がいる気配はないが、自社のAVを見ているのだからゲイではないだろう。  恋に落ちるのは簡単だが、絶対に辛いだけだ。嫌だ。絶対に落ちたくない。  そう踏ん張る環の後ろからひょいと顔を出した伊都は、人の気も知らずに気さくに口を開く。 「包丁仕事は若干時間かかったけども、基本的に手際ええなぁ」  こちとら褒められ慣れてないんだから軽率に褒めるのやめてほしい、という言葉は飲み込む。伊都に他意はないのだ。 「マキちゃん、おれが教えんでも、ほかの動画やらネットレシピやらですぐにスーパー料理人になるんとちゃうか? 計量もちゃーんとできてはるし」 「え……いや、無理です。無理。伊都さんが細かく教えてくれるからどうにかついていってるってかんじですから。ひとりにしないで。まだ放り出さないでくださいお願いします」 「いやおれはマキちゃんに仕事手伝うてほしーから、おれでええならなんぼでも付きおうたるけどもー。はい、フライパンに肉もどそ。あとはさっとでええよ、そんで混ぜといた調味料どーんて入れてバーっと混ぜたら完成や。調味料に酒入っとるから若干しっかり目に火入れた方がええな。酒は六十度でとぶねん。料理酒の匂いが気になるっちゅー人もおるからね」 「……完成?」 「完成やで。……なんでそないに不安そうな顔しとんの。ちゃんと美味そうやんけ」 「え、いや、なんか……ちゃんと、料理名がついたおかず作ったの、初めてで……うわー青椒肉絲って家でできんだなー、みたいな感動が……」 「あー、わかるわかる。おれ、焼売とかわりと感動したわ。ウチでできるんかい! って」 「え。焼売って自力で作れるもんなんですか?」 「……次のメニューは焼売にしよか。それともワンタンがええ?」 「え!? ワンタンって自力で作れるんですか!?」 「マキちゃんあれやなぁー反応が素直でええなぁ」  褒められているのだろうか。もしかしたら呆れられているのかもしれないがそんなことより、目を細める伊都の甘い笑い方に全ての感情が持っていかれて死ぬかと思った。 「………馬鹿正直だ、って、よく、言われます」  どうにか言葉を捻り出す。目を逸らしたいのに、顔が良すぎて凝視してしまう。好みじゃない、などと思っていた自分はどこに行ってしまったのだろう。 「いやーええやんか、ゆずちゃんもそうやけど、正直は美徳やで。おれなんかよう『なに考えてるかわからん』て言われるわ」 「……え、そう、です? そうかなぁ……」 「顔に出ぇへんやろ。だいたいいつもこの顔やし」 「でもたくさん喋るじゃないですか。伊都さんの言葉って、優しくて楽しいから好きですよ」  さらりと言い切ったところで、ひどく恥ずかしいことを言ってしまったのでは……と我に返った環だったが、伊都の反応は思いもよらず不思議なものだった。 「…………伊都さん、なんで半歩下がったんです……?」 「え。……えー……あー、いや……その、びっくり、してもうて」 「なんで」 「……おれあんま褒められ慣れてへんのや……」  どうやら伊都は、動揺したときに、物理的に距離をとる癖があるらしい。  ひどく気まずそうに視線を彷徨わせる彼の形の良い耳は、うっすらと赤い。 「……………」  かわいいかよ、という言葉を無理矢理飲み込む。そしてじわじわと心配になる。この人、ちょっと煽てられたら、さくっと拐かされそうだ。 「…………伊都さん、チョロいって言われません?」 「え。言われへんよ。だっておれを口説くような物好きな輩おらへんもん」 「動画のコメントとかで褒められたりは……?」 「あんなんみんなお世辞やろ。たまに結婚してーだのイケメーンだの書かれとるけど、大概がノリやろあんなもん。本気にしたら笑われておわりや。みんな大げさが楽しい世界やからなぁ」  たしかに、多少大袈裟なところはあるだろう。しかし少しくらいは真に受けても良さそうなものだ。  動画の伊都に惚れなくてよかった。コメントと投げ銭でかれが振り向いてくれるとは到底思えない。  生身の彼とこうして対面して会話できる奇跡を噛み締めながら、いや違う別に惚れてないし付き合いたいとかないし、とまた言い訳を連ねる。  惚れてない。恋人になりたいわけでもない。  でも、伊都が誰かと手を繋ぐ妄想は嫌だなと思う。そんな自分の感情に、すっぽりと蓋をして、今は見ないふりをした。

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