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「なんでそんなツヤツヤしてんの……?」  げっそりとした声が後頭部にぶつかり、環は握り飯を咀嚼し飲み込むと、ちらりと首だけで振り向いた。 「……え、俺そんな目に見えてツヤツヤしてます? マジで?」 「ここ最近で一番レベルのツヤピカだわ……いまなら二十四歳ピチピチ令和マンって紹介してもちゃんとみんな信じるだろうよ……」 「普段の俺だと信じてもらえないんすか……?」 「柊也なぁ、顔はわけーんだがまとってる空気が苦労人すぎんだよなー絶妙に落ち着いてんのもよくねーよ。普段のおまえ、そんな初デート大成功した高校生みたいなツラしてねーもん」 「瀬羽さんて時々妙な語彙力発揮しますけど、なんかニアミスなところついてきますよね……」  そうか、自分は瀬羽が引くほど浮かれているのか。  たしかに朝から新プロデューサーの罵倒が一切心に響かず、何を言われても心の底からどうでもよかった。単純に忙しすぎて感情が死んでいるのかと思っていたが、瀬羽が言うのなら自分は本当にただシンプルに浮かれているだけなのだろう。  人生で初めて恋人という存在を得たのだから、浮かれてしまうのは仕方がない。  昼食を取る時間すら惜しく、昼飯を頬張りながらもパソコンと向き合い作業をこなす。手を動かしながらもぐもぐと恋人の作ってくれた卵焼きを味わっていると、後ろからひょいと手が伸びてきたので容赦なく叩き落とした。 「イッテェ! いいじゃねーかひとつくらい食わせろ!」 「いやですよ……ていうか盗む前に正々堂々おねだりくらいしてください」 「おねだりしたら卵焼きくれんの?」 「あげませんけど」 「なんだよ! おねだり損じゃねーか! くそ、ぜってーそれ彼氏メシじゃねーかよお前自炊のために睡眠削るならコンビニ寄るわってタイプじゃねーか……ちゃっかり……幸せつかみやがって……っ」 「はぁ、あの……瀬羽さんには多少アドバイスもいただいたので感謝してます。今後も人生と恋愛に詰まったら頼っちゃうと思います。でも卵焼きは俺のです」 「強くなりやがってこの男前〜〜〜」  恨み節を口にする割に、瀬羽はやはり楽しそうだ。  初監督の撮影を控え、環の忙しさはいままでと桁違いだ。それだけならまだしも、リメイクを食らいまくった映像の編集作業も山積みで控えている。スタッフ全員、そろそろ笑いが出るレベルで疲労している。  それでも啖呵を切って辞めない。泣き言は言うが物にあたったりキレたり喚いたりはしない。そんな時間がもったないと誰もが思っている。  恋人ができた、などとわざわざ報告することではない。雑談をしている時間も惜しい。けれどいつも環のメンタルを遠回しに気遣ってくれる上司にくらい、報告してもいいと思う。  素直にデート成功したので、と告げた環の報告に、瀬羽はにやにやといつものように笑って背中を叩いてくれた。 「よし、これで柊也のストレス発散手段確保だな! おまえたいした趣味もねーし、わりとマジで心配してたんだよ……これで心置きなくコキ使えるってもんだぜ……」 「これ以上忙しいとさすがにキレそうですよ。無理。手が回りません。早く帰って伊都さんのご飯食べたい」 「さらっと惚気んじゃねーよくそめ。つかイトってまさかあの赤いユーチューバーのにーちゃんか……? え、ガチの料理上手つかまえたの?」 「ご近所さんだったんすよ。偶然。俺が部屋間違えて出会いました」 「少女漫画かよッ!?」  言われてみればたしかに、割合運命的な出会いをしたと思う。  最初の夜、環が階段の段数を数え間違えなければ、伊都とはまだ他人のままだったかもしれない。  あの日伊都が手作り料理の詰まったタッパを持たせてくれなければ。あのタッパがイトメシ限定のタッパでなければ。偶然撮影中の女優がイトメシのファンでなければ。環が料理を覚えようと思わなければ。  どれか一つでも違っていたら、伊都と朝を迎えることはなかったのだろう。  偶然の積み重ねと今こうして卵焼きを頬張れる幸福に感謝して、早く帰りたいなぁと思う。仕事は頑張るつもりだ。やる気はある。それはそれとして、早く伊都に会いたい気持ちは格別に強い。 (伊都さん、なにしてるかな。月曜日は買い出し行く日っつってたかな。夜食ほしかったら連絡しろって言われたけど、俺帰れんのかなぁ)  だらだらと伊都に思いを馳せていた環の念が通じたのか、ふいに携帯が震えた。  メッセージの主は伊都だ。  できるだけにやけないようにしれっと携帯を手に取った環だったが、妙に長い文章を読むにつれ、徐々に顔面に険しさが増した。  隣のデスクに座った瀬羽は、ぺりぺりとカップラーメンの包装を剥がしつつ環の眉間に注視する。 「どした。カメラマンかマネージャーからドタキャン連絡か?」 「あーいや、プライベートです。…………瀬羽さん、弁護士に知り合いいましたよね?」 「は? まぁ、そりゃいるけどよ。ウチは風俗っつーよりちゃーんとしたメーカーで会社でそこそこクリーンだけどよ、セックスして金もらってる女の子にゃー借金まみれだの彼氏がホストだの妊娠しただの、まぁまぁやべー案件背負いまくった奴も居るからなぁ……巻き込まれ式で嫌でも関わりあんだろ。懇意の弁護士っつったら三人くらいいるぜ」 「でっちあげパワハラの慰謝料請求に詳しそうな人とかいます?」 「なにそれ……」 「なんか伊都さん、やばい人に捕まっちゃったみたいです」  問題ないだろう、と判断して伊都から送られてきた文面と内容証明の写真をそのまま瀬羽に見せる。  しばらく無言で読み終えた瀬羽は、頭の後ろをわしわしと掻きながら『ウケる』と笑った。 「ガチンコのクソ案件じゃん。お前とハッピーホモしちまうおにーさんが女子にパワハラしてたとはオレですら思えねーわ」 「証拠が無くても、慰謝料の請求ってできるんですかね?」 「まぁ慰謝料っつーのはつまりお気持ち傷つけられましたわよどうしてくれるんですの料だからなぁ。でも弁護士挟んでんだよな。少なくともその弁護士は『パワハラはあった』って信じてこの女子の手助けマンしてんだろ」 「はぁ。つまり、弁護士がパワハラはあったと確信できるくらいの証拠または証言があった、ということですか……」 「職場の中のことなんかわっかんねぇからなぁマジで。そんで他人のお気持ちなんざもっとわからねぇよ。殴ったとか怪我したとか明確に損をしたって訳じゃねーならそれこそガチでお気持ちだけの話だ。極論、お前が瀬羽さんと佐塚さんにいびられてました! って訴えても外からみりゃわからんし、通っちまうかもしんねーのよな」 「おれが何?」  スッと飛んできた声に驚き二人で振り向くと、部屋の入り口から顔を出した佐塚が見えた。 「っくりしたぁ……佐塚よぉ、その、気配ゼロで動くのやめてくんねぇ……?」 「いや知らないよ。瀬羽こそおれの気配くらい察しろ。何年同期してると思ってんの」 「五年一緒でもオレァおまえに慣れねーよ……」 「すごい失礼なこと言ってない? まぁいいけど……いや瀬羽なんかどうでもいいんだよ、おれはシュウに用事があんの」 「俺?」  仕事の引き継ぎの件だろうか。咄嗟に身構えた環だったが、今日も気配どころか覇気の一つもない佐塚はぺらぺらと手を振る。 「あ、仕事じゃないから。でもたぶん重要事項。いまさっきるりはちゃんから連絡きてさ……先月瀬羽の撮影で、シュウ、アシスタント入ったでしょ? 覚えてる?」 「はぁ……あの、タッパほしいっつった人ですよね。確か瀬羽さん越しにタッパ差し上げた記憶はありますけど、彼女が俺に何か?」 「……これ、アッキャスの子じゃない? ってさ」  これ、と言われて示された携帯の画面を、瀬羽と二人で覗き込む。  目を凝らさなくてもばっちりとわかる。それは街中で撮影されたとおぼしき、伊都と環が並んで歩く写真だった。  環の方はスタンプで顔を隠されているものの、どう見ても昨日の自分だ。しかも最悪なことに背景はとあるホテル街だった。 「…………柊也、心当たりは?」 「はぁ、あの、昨日たしかに伊都さんとこの辺りを散策しましたね……いや、違くて! 断じてホテルには入ってないです! ちょっと新しいラブホ見ておきたくて……っ! なんか評判いいし!」 「あーわかるぜ柊也ァ、オレも時々ラブホ検索しちまうもんよぉ……つーかデート中に仕事すんのやめろよ……」 「昨日の昼間はまだ付き合ってなかったんです……! 佐塚さんこれどこに出回ってるんです?」 「ざっと調べてみたけどSNSに貼られた投稿が一件だけあったね。それをイトマルさんのアカウントに送りつけた奴が一人。有名人のリプライ欄って、ファンは結構見てるもんだから、ぶわーっと拡散されてプチ炎上中って感じかな、たぶん」 「えええ……伊都さんなんも悪くないじゃないっすか……つーか……いまどき、プライベートで同性同士がどうこうで、燃えんの……?」 「この写真自体はそこまで燃えてなかったけどね。なんか別のアカウントで『この人そういえばスタッフに手を出して、一気に三人もやめたらしいよ』って投稿した奴がいて、そっちの方が酷い燃えっぷりっぽい」 「うっわぁ……」  注目されたタイミングで、根も歯もないスキャンダルをふっかける。SNSの短い文章はセンセーショナルな煽りが効きやすい。ソースなど無くても、容易に人は嘘を信じるものだ。  本人ではないけれど、胃の中のものが迫り上がってきそうだ。伊都はこの騒動を知っているのだろうか。……本人のアカウントを交えてゴタついているのならば、目に入っているかもしれない。  ただでさえ、パワハラ慰謝料の件で頭が痛い筈だ。 「なんなの? お前の彼氏、厄災ホイホイなの?」 「ええ……伊都さん、良い人なんだけどなぁ……?」 「恨みつらみもお気持ち案件よ。ちっせートラブル一個で吐くほど恨まれて刺されて死ぬこともあんじゃね?」 「怖いこと言わないでくださいよ……」 「ま、何にしてもこのおにーちゃんしばらくお前の部屋に住まわせとけよ。ここまでゴッタゴタしっと、最悪マジで命の危機だわ。揉めてる元部下女は、部屋に出入りしてたんだろ?」 「あー……合鍵、もってたり?」 「聞いてみねーとわからんけど可能性はあんだろ。面倒くせーから避難しとけ。佐塚、今の仕事どんくらいで終わる?」 「んー……あー……マッハで……三日……?」 「お前のマッハで三日って何させられてんだよ……いや、聞きたくねぇ、言うな。これ以上他人の心配したくねぇわ。柊也は明日撮影だろ?」 「は、はい。ええと、無事に終わるか、わかんないんですけど……」 「とんでもねートラブルさえなきゃ撮影日自体はどうにかなんだろ。じゃ、明日オレが彼氏マンを弁護士んとこ連れてくわ。そんで明後日夜柊也の部屋集合な。って彼氏に電話して言え、いま」 「…….……え、まじですか。瀬羽さん、口出してくれんです……?」 「出さんでいいなら出さんけど」 「嘘です超助かりますガッツリ助けていただきたいです瀬羽さんまじかっこいいっす!」 「ふふ……さすがオレを誉めさせたら右に出る者がいない柊也だぜ……まーできねーことはしねーけどできる範囲でやろうぜ」  ポン、と頭を叩かれて、不甲斐なくも涙が滲みそうになった。  環はまだ、一人ではなにもできない。仕事も回せないし、法律や社会のことも知らないことばかりで、自分だけでは伊都の力になれない。  携帯を片手に少しだけ息を吐く。しょぼくれている暇はない。腹に力を入れようとした瞬間、珍しく佐塚に頭を叩かれた。 「……佐塚さん?」 「うん。……まぁ、人脈も、力のうちだよ。シュウはたまに友達居ないって言うけど、おれとコイツのことは頼ってもらっていいから」 「やめてください……これ以上優しくされたら泣きます……」 「泣け若人っていいてぇけど電話してから仕事しながら泣いてくれ。佐塚、そんだけのために戻ってきたんか?」 「ちがいます。瀬羽暇なら手伝ってほしくて」 「暇じゃねーよわかんだろ」 「……仮面ライダー見に行ってやってもいい」 「え、まじで? まじ? まじか! 五分くらいなら暇だわ!」  バタバタといつも通りのテンションで慌ただしく立ち去る二人に、なんと礼を言ったらいいのかわからない。  全てきれいに終わったら、きちんとお礼をしなくては。  慰謝料の請求と、隠し撮り写真と、根も歯もないネットの噂。  どれからどう手をつけるべきなのか、環にはまったくわからない。わからないが、今やるべきことは出来たばかりの恋人に、大丈夫? と声をかけることだということは知っていた。

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