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第7話
「一応聞かなきゃいけないから聞くけど。ゼミの飲み会参加する?」
ゼミが終わった直後、この間話しかけてきた女子学生が、いかにも面倒くさそうに聞いてきた。そこに見えたのは嫌悪感の青と怒りの赤、ネガティブな黒、そして何故か嫉妬の赤だ。颯太郎の感覚的に怒りの赤と嫉妬の赤は違う。なるほど、と颯太郎は納得した。
颯太郎はゼミの中で成績が最も優秀だ。なのにコミュ力が無い上に、人を見下したような発言をわざとしているので怒っているらしい。
「分かってるなら聞かなくてもいいじゃないか。教授に仲良くしてやれとでも言われたのか?」
「……っ」
パシッと乾いた音がした。颯太郎は左頬が熱くなるのを感じ、席を立つ。人を叩いておいてビクッとした彼女を一瞥し、颯太郎は研究室を出ていった。
「あ、颯太郎ー!」
廊下に出たところで陣に声を掛けられる。無視して歩いていると、いつものように隣に並んで歩き出した。
「って、その頬どうした?」
「……」
面倒だな、と颯太郎は眉間に皺を寄せる。陣は颯太郎の叩かれた頬に気付いたようだ。
「とりあえず冷やそう。……なあ止まれって!」
陣の制止も聞かず、颯太郎は構わず歩くと、陣は颯太郎の手首を掴む。
その瞬間ゾワッと身の毛がよだち、思い切りその手を振りほどいた。
「触るな!」
颯太郎は叫ぶと、陣は驚いた顔を見せた。それに颯太郎はハッとし、また平静を装って歩き出す。
「……いきなり触ったのは悪かったよ。でも、やっぱそれは冷やした方が良いと思う」
再び隣に来た陣は、こちらを心配しているような顔をしている。色も、純粋にこちらを心配しています、という白だった。
さすがに自分でも頬が熱く腫れてきているのを感じた颯太郎は、大人しく陣の言うことを聞く。自分でやる、とトイレでハンカチを濡らし、頬に当てるとほう、とため息が出た。冷たくて気持ちいい。
すると鏡越しに陣が颯太郎の顔を眺めていることに気付いた。陣は慌てて視線を外したけれど、纏っている色は薄桃色だ、何を考えていたかなんてすぐ分かる。颯太郎は睨むと、陣は顔の前で両手を振った。
「いやっ、口に出しても黙ってても怒るとか……俺どうしたらいいのさ?」
「簡単だ。付きまとわなければいい」
颯太郎がそう言うと、陣は肩を落とす。
「……どーしてそんな頑ななの……」
陣の色は一瞬にして青になった。けれど彼の色は、少しも黒が混ざらない。
「お前こそ……」
颯太郎は小さな声で呟くように言った。
「どうしてこんなに嫌な態度を取ってるのに、近付いてくるんだ……」
颯太郎は思う、こんな奴は初めてだと。一人でいた方が気楽だって分かっているのに、結局陣がそばにいるのを許してしまう自分も分からなかった。
くすりと笑う声がする。
「言っただろ? 颯太郎が気になってるって」
「だから、何で俺?」
「んー……」
陣は颯太郎の近くに来る。肩が触れそうな程の距離に来て、一緒に鏡越しに相手を見た。
「もう少し、颯太郎が心を開いたら……楽になるだろうになぁって思ったから」
どうしてそんなに頑なに、一人でいたがるのかなって思った、と陣は言う。薄桃色と白が混ざった陣の色は、嘘は言っていないようだ。
「……一人でいたいからに決まってるだろ……」
「そう? じゃあ何でそんな寂しそうな顔をしてるの?」
颯太郎はハッとして鏡を見た。母親譲りの顔は見たくなくて直ぐに顔ごと視線を逸らし、トイレを出る。
「ねぇ颯太郎、俺バンドやってるんだけどさ、今度ライブ、見に来ない?」
いきなり脈絡もなく陣はそんな事を言う。颯太郎の答えは決まっていた。
「行かない」
「よし決まり。じゃあ場所と時間教えるから、連絡先教えて」
陣は黄色とオレンジ色を纏わせながら、スマホを出している。人の話聞いてたか、と睨むと、いつも無視するのは颯太郎だろ、と返ってきてぐうの音も出ない。
「……はぁー……」
「そんな嫌そうにするなよ、傷付くだろ?」
ため息をつきながら仕方なくスマホを出した颯太郎に、陣はわざとらしく口を尖らせた。けれど楽しんでいるのは色を見れば分かる。
颯太郎はSNSのアプリを開こうと画面を見ると、嫌な人からも連絡が入っていたので顔を顰めた。
「……どうした?」
「……いや」
それを無視して陣と連絡先を交換すると、その相手から電話が掛かってくる。名前の表示を見られたくなくて、思わずスマホを胸に当てると、陣は「出なくていいのか?」と聞いてくる。
颯太郎は陣に断って少し彼から離れ、電話に出た。
『俺が電話したら直ぐに出ろって言ってるだろ?』
「……何? 正臣兄さん」
相手は正臣だ。颯太郎は一人暮らしをしても、完全に彼から逃げられずにいた。
『何じゃねーよ、今夜そっち泊めてくれ』
「……嫌だ」
『そんな事を言える立場か?』
颯太郎の喉がグッと詰まる。渋々分かったと言うと、正臣は満足そうにじゃあな、と通話を切る。
颯太郎は俯いて息を吐き出した。それが微かに震えているのに気付き、グッとスマホを握りしめる。
「颯太郎、電話終わったか? ……って、大丈夫か? 顔真っ青だぞ!?」
通話が終わったのを見計らって近付いて来た陣は、颯太郎の様子を見て驚く。何があったと聞かれるけれど、答えられるわけがない。
義理とはいえ兄に、身体の関係を強要されているなどと。
「……大丈夫……」
「俺には少しも大丈夫に見えない。何があったんだ?」
陣は颯太郎の肩を掴もうとして、止めた。どうやら先程、颯太郎が怒ったのを気にしたようだ。視線を合わせようと、身をかがめて顔を覗き込んで来るけれど、颯太郎は彼の顔が見れなかった。
「……何もないから。今ので用事ができた。もう講義は無いし、俺帰るな?」
そう言って陣を避けて進もうとすると、思いのほか力強く、陣に手首を掴まれる。とっさのことだったらしく、ごめんと謝るけれど、その手は離してくれなかった。
「おい、明らかに様子がおかしいじゃん。俺には言えない事なのか?」
颯太郎は顔ごと視線を逸らした。言えるものなら言っている。本当は、義兄から逃げたい。助けて欲しいと。
陣なら本当に手を貸してくれそうだけれど、それは自分を好きだと言ってくれている陣に、甘える事にならないだろうか。
「……言えない……」
「言えない? 何かあるんだな?」
「違う、何も無い。……離せよ」
しまった、と颯太郎は内心焦る。しかし陣は手首を掴んだ手に力を込めた。
「何かあったら必ず連絡してくれ。絶対飛んで行くから」
そう言って、陣は手を離してくれる。理由は今は聞かない、けれどお前の味方だと暗に言われて、どうしてこの人はこんなにも嫌な態度を取っている颯太郎に、ここまで真っ直ぐ心配ができるのだろう、と思った。
彼の色はやはり少しも黒がなく、本気でそう言っているらしいことは分かる。不覚にも、颯太郎は泣きそうになった。
けれど涙を見せる訳にはいかず、颯太郎はその場を走って去る。
あいつは馬鹿だ、どんな状況なのかも知らずに助けるとか、と颯太郎の心は今までにないくらい乱された。こんな事は初めてで、颯太郎自信どうしていいか分からなくなる。そして、生きてきた中でどんなに叫んでも届かなかったのに……大人たちは助けてくれなかったのにどうして陣が、と全速力で走る。
しかしハッとして足を止めた。
事実を知った陣は、それでも颯太郎を助けてくれるだろうか? この汚い身体を触ってしまって後悔しないだろうか?
冷や汗が背中を伝って落ちていった。そして決心する。
やっぱり事実は話せない、と。
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