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第17話
「……ってぇ!」
「当たり前だ、何をしようとしてたんだ」
颯太郎は陣の足を踏んだ足を退かす。陣はその場につま先を押さえてうずくまり、悶えていた。
「何って、キスだよっ。いい感じだったじゃん!?」
顔を上げて騒ぐ陣は、うっすら涙目になっている。寒いから余計に痛かったらしい。
颯太郎は身体ごとそっぽを向いた。
「……俺はもう、誰にも身体を許す気は無い」
陣はハッと息を飲んで直ぐに立ち上がり、颯太郎の前に来て頭を下げる。
「ごめんっ。浮かれて颯太郎の事何も考えてなかった!」
颯太郎自身も失念していたが、正臣との事を見られたのはつい昨日なのだ、なのに陣の布団に潜り込んだりしていたので、そんなにショックではなかったのか、と自分でもショックを受けていた。
「……いいよ、俺は男だし……」
そう言った颯太郎を見て、陣はパッと焦りの赤と悲しみの青を纏わせる。大方、正臣と同じような事をしてしまうところだったと、後悔しているに違いない。
「いや、そんなの関係ない。お前はずっと人権を無視されてたんだ、そんな事に慣れちゃダメだ」
ごめん、と陣は再び謝った。颯太郎は首を振る。そんな颯太郎を、陣は痛々しそうに見ていた。その色は案じているという意味の白が多く、ほのかに鴇色が残っている。
「……水辺は冷えるから、進もう」
颯太郎がそう言うと、陣は大人しくついてきた。陣には、自分の事を案じて傷付いて欲しくない。そう思うのに、変えられない過去がどうしても邪魔をする。
でも、と颯太郎は遠くを眺めた。
こういう穏やかな時間を過ごすことは、陣と出会う前には無かった。颯太郎にとって、誰かと一緒に過ごす事自体がもう特別なのだ。
さすがにもう義兄は、手を出してこないだろう。できればこのまま、一生、金輪際会いたくない。
「……陣」
颯太郎は陣を呼ぶ。まだ肩を落としていた陣は眉を下げたまま、隣に並んだ。
「……さっきのは、撤回。そのうちにな。俺が人と接するのに慣れるまで……」
暗にキスをする事自体が嫌な訳じゃない、と言うと、陣はまた、綺麗な笑顔を見せる。そして鴇色を輝かせ、うん、と頷いた。
それから三ヶ月。正臣の件もすっかり落ち着いて新学期になり、また忙しい大学生生活が始まる。
ただ、前と違うのはいつも陣が隣にいて、そして二人の関係性が変わった事だ。
「颯太郎、お前本当に四年間うどんしか食わないつもりか?」
昼休み、いつものようにフードコートで昼食を摂っていると、陣が呆れた声で正面に座った。それでもオレンジ色を纏っているので、どうやらからかっているだけらしい。そういう陣はカレーライスと生姜焼き、デザートを二つも買っている。見た目によらず大食いな陣は、一体そのカロリーはどこへ消えているのかと思う程だ。
そんなことを思って見ていると、陣はニヤニヤしながらデザートのチーズケーキをスプーンで掬って、颯太郎の前に差し出した。
「そんなに見るならやるよ。あーん……」
「いらない」
颯太郎はそう言うと、陣は鴇色を揺らめかせながら、そう? と笑っている。
「いらない? 本当に?」
「…………じゃあひと口」
はい、と陣はスプーンを差し出した。颯太郎はそのスプーンを受け取ろうとすると、陣は違う、と手を引っ込める。
「おい……くれるんじゃないのか?」
颯太郎は陣を睨むと、あげるよ、俺がね、とニッコリ笑った。颯太郎はムカついて一切の表情を消すと、再びうどんをすする。
「ああごめんっ、あげるからっ。……そんなに怒るなよー」
「いらない」
そう言って汁まで飲み干すと、視界の端に青と黒が見えたので早々に立ち上がる。慌てる陣を無視して去ろうとするけれど、その色の持ち主に捕まって颯太郎はうんざりしながら振り返った。同じゼミの、女子たちだ。
「今日の新歓は全員参加なんだけど、出ないってどういう事?」
「そのままだけど?」
「茅場さあ、チームで進めるカリキュラムも一人で勝手にやってんじゃん。私たちとは程度が違ってできませんって、バカにしてんの?」
「はいはいはい、そこまでー」
女子たちが一方的に白熱しそうな雰囲気だったので、陣が助けてくれた。
「森山くんも、コイツとつるんでるとロクな事ないよ?」
「そうよ、何とか言ってやって」
「まあまあ。颯太郎はコミュ障なだけだから。敵意は無いんだよ、な? 颯太郎」
陣に同意を求められて、颯太郎は黙る。女子たちは「森山くんも人が良いよねー」と颯太郎を睨んだ。それを見た陣は、分かったこうしよう、と颯太郎と女子たちの間に入った。
「俺が颯太郎を連れてくよ。要は居れば良いんだろ?」
「えっ? 森山くんが来てくれるのっ?」
単純なことに、女子たちは陣が来ると分かると、パッとオレンジ色や黄色、桃色を纏わせた。颯太郎はトレーを持って歩き始めると、陣がまた後でなー、と叫んでいる。
(……何か、ムカつく)
陣が女子たちと話しているのが気に食わなくて、颯太郎はイライラした。
新学期になって大学に通うようになると、颯太郎はイライラする事が多くなった。それは大抵陣が絡んでいて、自分はこんなに心が狭かったのか、とショックを受ける。
(人に嫉妬とか、する日が来るなんて思わなかった)
人に興味が無かったくせに、陣にグイグイ心の中に入ってこられて、少しずつその扉が開きつつあるのを自覚している。このまま彼と過ごしていれば、陣以外の人とも普通に会話できたりするのだろうか?
(……いや、別に陣以外と仲良くなろうなんて思わないしな)
はあ、と颯太郎はため息をついた。
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