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第18話

その日の夕方、陣に強制連行されて来たのは、駅前の居酒屋だった。ゼミの仲間で集まっているのでそれなりの人数がいて、颯太郎は着くなり目眩がする。 「あー! 森山くん本当に来てくれたんだ!」 女子たちの騒がしい声をよそに、颯太郎は出入口に一番近い席に座り込んだ。陣は早速女子に捕まって、囲まれて座っている。 (陣も何だかんだで、綺麗な顔をしてるしモテるんだよな……) そう思ってイラッとしたところで、自分が来なくても良かったじゃないか、と心の中で愚痴った。 すると、全体的にオレンジ色をしている宴会場の中に、ぽっかりと色が無い空間があることに気付いた。不思議に思って見ていると、ある女子学生の感情が見えていないことが分かった。颯太郎は初めての事だったので戸惑う。 その子は見たことがない顔だったので、多分新一年生だろう。黒髪を後ろで一つにまとめ、重たい一重まぶたに少しふっくらした顔は、お世辞にも器量良しとは言えなかった。しかし隣にいる男子学生は凄く楽しんでいる色が見えて、ますます颯太郎は不思議に思う。 (こんなの初めてだ、感情が見えないなんて) そんな事を思いながら、しばらく一人でつまみをつついていると、気が付けばその女の子と陣が楽しそうに話している。多分話が盛り上がっていたのだろう、陣がその子に笑いかけたのを見て、颯太郎はどうしようもなくこの場から去りたくなった。 颯太郎は陣に、先に帰るから会計を立て替えておいてくれ、とメッセージを送ると席を立つ。そっと宴会場を出ると、誰にも呼び止められなくてホッとした。 外に出て歩き出すと、次第に頭が痛くなってくる。どうやら感情にあてられたらしい、やっぱり人が多い所は苦手だ、と思いながら家に帰った。 (陣は二次会とか行ってるのかな……) そう思って、別にいいけど、と独り言を言う。妙に虚しく響いたそれは、更に颯太郎を虚しくさせた。頭も痛いしダラダラしてても良くない事ばかり考えてしまうので、もう寝ることにする。布団に入ろうとしたところで、インターホンが鳴る。しかもしつこく何回も。 うんざりして玄関ドアのスコープを覗くと、やはり陣がいた。 ドアを開けるなりなだれ込むように彼が入ってくる。 「ただいまぁー、そーたろー」 よろよろと歩いて抱きつこうとしてきた陣は、どうやら酔っているようだ。颯太郎は無表情で彼をスっと避けた。 「ここはお前の家じゃないぞ」 壁に肩を預けて立っている陣に言うと、陣は締りのない笑顔を向ける。鴇色から淡いピンクを行ったり来たりしている彼の感情は、何だか千鳥足のようだ。 「細かいことはいーんだよー。もー、会いたかったぁー」 勝手に帰るなよー、と不満そうに言った陣は、そのままよろよろとリビング兼寝室に行くと、颯太郎のベッドに倒れ込む。 「おい、俺のベッドだ。それに、メッセージ送っただろ」 「そーそー。だから借金取り立てにきたの」 だからおいでと両手を広げて待つ陣。その頬はうっすらと赤みが差していて、広い襟ぐりからは鎖骨が覗いていた。颯太郎はその色っぽさに身体ごと視線を逸らすと、あ、と陣の不満そうな声がした。 「このやろーっ」 「うわっ」 後ろからタックルするように、陣は颯太郎の腰に抱きつき、ベッドに引き倒す。颯太郎はすぐさま起き上がろうとするけれど、陣にがっちりホールドされてしまった。そのままお腹の辺りをさすられて、颯太郎はグッと息を詰める。 「ちょっと……止めろよっ」 密着した身体を意識してしまい、離れようともがくと、陣は笑いながら「颯太郎、思ったより身体締まってんのなー」とか言っていた。 「陣……陣ってば!」 「ふふっ、照れちゃってぇ……可愛い」 チュッとうなじにキスをされて、ビクッと肩を震わせる。その反応に陣は気を良くしたのか、またそこにキスをし、舌先で舐めてきた。同時にお腹にあった手が、スウェットの中に潜り込んできて、肌の滑らかさを確かめるようにそっと撫でられる。 「ちょ、陣……っ」 「んー?」 キスをしているせいでくぐもった返事をした陣は、止めるつもりは無いようだ。颯太郎はうなじの濡れた感触にまた息を詰めると、身体が熱くなっていくのを感じる。 「陣……やめろ……」 颯太郎の声に明らかな興奮の色が乗ると、陣の吐息も熱くなった。それに気付いた颯太郎は、逃げようと身体を動かすけれど、布団に貼り付けられたように動けない。 「颯太郎……ここ気持ちいい?」 「……っ」 濡れた箇所に熱い吐息を吹きかけられ、颯太郎は肩を竦める。 「お、お前、酔ってるだろ……」 「酔ってるよー? 何かやたら楽しくてさぁ、つい飲み過ぎちゃったよねぇ」 陣のその言葉に、先程の感情が見えない女子学生を思い出す。サッと血の気が引いて、陣の手を掴んで振り払った。 「あ、なーに? 今、全部許してくれそうな雰囲気だったじゃん?」 「許してない。止めろって言った」 「……あー。ごめんな?」 颯太郎は冷たい声で言うと、確かにそうだったと陣は謝ってくる。颯太郎自身も流されそうだった自覚はあるので、うん、と言って、腰に回った手は許すことにした。陣とのこうした性的な接触はこれが初めてだったので、陣は酔うとこうなるのか、しっかり覚えておこう、と颯太郎は思った。 「それで、飲み会はいくらだった?」 「ん? お代は今もらったからいーよ」 陣はそう言って颯太郎の腰に回した腕に力を込め、またうなじに額を付けた。もう諦めたのかそこに性的なニュアンスは無く、それどころか眠たそうにあくびをしている。 「今……って、お金は渡してない」 「そーたろーが触らせてくれたからいいよ」 「……何だよそれ……」 そう言いながら、颯太郎は布団に顔をうずめた。するとすぐに規則的な呼吸が後ろから聞こえて、まさかと思って声を掛ける。 「おい陣。……陣? この体勢で寝るな」 ああもう、と颯太郎はため息をついた。起こす事はしたくないけれど、この体勢では意識してしまって眠れない。 颯太郎はため息をついた。 不思議なものだな、と思う。正臣には否応なく全部見られたのに何も感じなくて、陣相手だと触れられるのも緊張してしまって、すぐに顔が熱くなってしまうのだ。 (緊張しなくなったら、全部許せるんだろうか?) 颯太郎も男だ、さっきだって陣のほのかに赤らんだ顔や、襟から覗いた鎖骨を見て意識してしまっている。触れたいと思うし、触れられたいとも思う。でも、まだどこかで正臣との行為と比べて、納得できていない自分がいるのだ。 陣も自分も、性欲の為に相手を利用しているんじゃないか、と。 颯太郎は自分を落ち着かせるように長いため息をつくと、そっと目を閉じた。

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