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第22話

陣に別れを告げてから、颯太郎への嫌がらせはピタリと止んだ。分かりやすいよな、と颯太郎は思っていると、研究室に女子学生たちが入ってくる。 「あー、ホント男の前では態度変えるよね、洞田」 「ねー、そんな可愛くもないくせにさぁ、どうしてあんな女に引っ掛かるのか、謎だわ」 どうやらあけみの話をしているらしい。彼女らはイライラの赤と嫌悪の黒を纏わせて、大きな声で話していた。 すると、ちらりと颯太郎を見たそのうちの一人が、クスクスと笑い出す。 「でも、森山くんも可哀想だよね、あんな女に言い寄られてて。あ、でも男よりマシかぁ」 彼女の言葉に、他の子たちも笑いだした。 「確かに!」 手を叩いてまで笑う彼女たちを無視し、颯太郎は自分のやるべき事に集中する。どちらかと言えば、言い寄っていたのは陣の方なのに、人間って都合よく解釈するよな、とため息をついた。 ここ数日、陣とは会っていないし連絡もしていない。向こうからも何もアクションはないし、本当に終わったんだな、と颯太郎はそっと苦笑した。 綺麗で裏表の無い陣。彼にはもっと相応しい相手がいるはず。なら、颯太郎はさっさと引いた方が彼のためだ。 自分が同性愛者じゃなかったら。そもそも沙奈恵の子供に生まれてなかったら。人の感情が見えなかったら……こんなに人権を無視されず、普通に生きていられたのでは、と思うと、何故か笑えた。 こんな人生に、何の意味がある? おかしなものだな、と颯太郎は思う。小さい頃は、あれだけ必死に生きようとしていたのに。 そもそも、どうしてそんなに必死だったのだろう、と考える。正臣から逃げたい一心だったからかな、と思い至るけれど、それなら別に生きていなくてもいい事になる。 では、何故? 颯太郎は課題を終わらせると、足早に研究室を出た。 いつも通りの道を辿って家に着くと、その答えがやっと降ってくる。 誰かに助けてもらいたかった、誰かに話を聞いてもらいたかった。 誰かに、愛されたかったからだ。 ずっと望んでいた事なのに、ずっと叶うことのなかった願望。颯太郎は立ち尽くし、束の間その願望を叶えてくれた陣に感謝した。 陣といた時は心が穏やかでいられた。甘く胸が締め付けられる心地良さが、鴇色なのは納得がいく。それに鴇は平和の象徴だ、大きな羽を広げて飛ぶ姿は、さぞかし優雅なんだろうな、と思う。 よし、と颯太郎は短く息を吐いた。部屋の片付けをして、ここを引き払おう。大学も辞めて、バイトも辞めて、そして誰にも見られないところで、陣を想いながらひっそりとこの世から消えることにしよう、とアパートに戻り部屋の片付けを始めた。 幸い無駄なものは無い颯太郎の部屋だ、すぐに捨ててもいいものはあっという間に集まる。すると、教科書や資料に挟まれている、あるCDを見つけた。 以前陣が父親を亡くした時に、勇気づけられたという曲が入ったCDだ。颯太郎にも聞いて欲しいと持ってきて、聞かないというのに勝手に置いていったのだ。 すっかりその存在を忘れていた颯太郎は、無意識にパソコンを立ち上げてそのCDを入れていた。せっかくだから聴いてみるか、と再生ボタンをクリックする。 それはとある四人組バンドの曲だった。物悲しいギターの前奏が流れて、颯太郎は早くも鳥肌が立ってしまった。 思い通りいかない思春期特有のもどかしさ、先の見えない不安、でも前に進むしかない……そんなメッセージの曲だった。颯太郎はそのメッセージの強さに、目頭が熱くなる。 そしてサビでは、生きててよかった、を繰り返し、ボーカルのがなるような、全力で叫ぶような歌声に、涙が溢れて止まらなくなった。 陣がこの歌に助けられたと言うのも分かる。もがいてあがいて、苦しくても生きるしかなかった幼少の頃。けれど、あの時必死で生きたから陣に出会えた。 生きていてよかった、と思えたのだ。 颯太郎は顔をぐしゃぐしゃにしながら泣く。けれど今の自分はどうだ? 自分の思いも伝えず、何も成し遂げず、諦めているじゃないか。 陣に出会えてよかったと思いながら、その縁を自分から切ってしまった。陣にだけは、自分の全部を知って欲しかったのに。 曲を聴き終わった颯太郎は、このCDを陣に返さないとな、と思う。泣いてスッキリしたせいか、少しは前向きになれた。 明日、学校に行ったらCDを返して、自分からもう一度告白してみよう。それでダメなら諦めることにしよう、と思う。 次の日、颯太郎は陣に借りたCDをカバンに入れて、大学に行く。天気は晴れていて、外にいればじんわりと汗をかく程だ。ヒバリの鳴く声が静かなキャンパス内に聞こえて、立ち止まって空を見上げると、かなり高くまで飛んでいるのを見つけた。 視線を前に戻して歩き出すと、桜はほとんど花が散っていて、青々とした葉っぱを付けている。満開の時にもっとちゃんと見ておけばよかった、と後悔した。 すると、遠くで黒い感情を纏った人が颯太郎の進路を横切る。辛うじて人だと思ったのは、足だけ見えていて、他は強い黒に隠れて見えなかったからだ。何となくその人を追っていると、その先にあけみがいた。 あけみは随分前から気付いていたらしい、怯えたようにその人を見ていて、足が竦んだように動けないでいる。 その人は走り出した。あっという間にあけみは捕らえられ、ズルズルと更に人けのない所へと引っ張って行った。あけみは恐怖のせいか声も出せないようで、颯太郎は反射的に走り出す。 するとタイミング良く陣が建物から出てきた。 「陣!」 颯太郎は陣に駆け寄る。少し会わなかっただけなのに、随分久しぶりのような気がした。けれどその感傷に浸っている場合ではなく、颯太郎は陣に訴えた。 「洞田さんが危ない! 今、黒い感情の人に連れて行かれた!」 「……颯太郎? どういう事だ?」 いきなりの事で事態が飲み込めないらしい陣は、呆然と颯太郎を見つめている。 「通り魔みたいな奴が洞田さんをあっちに連れて行ったんだよ! 彼女が危ない!」 颯太郎は走り出した。陣も後を付いてきてくれる。あんな事をされたにも関わらず、無事でいてくれなんて思って、彼女の後を追った。

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