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第25話
「ねぇ颯太郎、ゴールデンウィーク、どこかに行かない?」
それから毎日、陣は学校やバイトが終わると、颯太郎の家に来るようになった。一人で過ごす事に慣れていた颯太郎は、それだけでもかなりの環境の変化で、少し疲れ気味だ。
「行かない」
二人で適当に作った夕食を食べ終わると、颯太郎はすぐに片付けに入る。そうでもしないと陣がくっついてきて、片付けどころじゃなくなるからだ。
すると、いつもなら片付けが終わるまで部屋でくつろいでいる陣が、キッチンまでやって来た。
颯太郎は陣を睨む。
「皿洗ってるんだから、近寄るの禁止」
「えー?」
陣はやはり颯太郎に近寄ろうとしていたようだ、眉を下げてその場に立ち止まった。昨日、皿を洗っている時に後ろから抱きつかれて、危うく一枚皿を割るところだったのだ。
「だって颯太郎、俺たち手を繋いで一週間だよ? 一回だけだけどキスもしたよ? そろそろ次の段階に入ってもいーじゃん」
次の段階って何だ、と思いながら颯太郎は皿を洗い終わる。手を拭いていると、部屋の入口で陣が両手を広げていた。
「ハグしてくれたら、部屋の中に入れてあげる」
そう言う陣の色はオレンジ色だ。からかって楽しんでいるな、と颯太郎はバスルームへ行く。
「風呂入る」
「ちょ、颯太郎~!」
陣がそばまで来ようとしたので、颯太郎は手のひらを陣に向けてストップ、と言った。大人しく止まった彼は何だか大型犬のようだ。
「来るなよ? 覗きもダメだ」
「うぅ……」
陣は大人しくリビング兼寝室に戻っていく。颯太郎はため息をついた。
こんな感じで毎日お互いの攻防が続けば疲れる。もしかしてそれを狙っているのか、とも思ったけれど、陣の纏う色からしてそれは無さそうだ。
両親とすら手を繋いだ覚えは無く、いきなり他人とそんな事をできるはずがない。ましてやハグなど論外だ。何とか手を繋いでもテンパる事は無くなってきたけれど、それでも緊張するものは緊張する。
はあ、と颯太郎はまたため息をついた。
(一人の時間が欲しい……!)
陣といるのは悪くない。悪くないけれど、感情が忙しく動くので疲れる。そしてうるさい。
サッと風呂に入って出ると、陣は颯太郎のベッドで寝息を立てていた。颯太郎はうんざりとして何度目かのため息をつく。
酔っ払って家に来た時もそうだったけれど、陣は一度寝たらなかなか起きない。かなり根気よく起こさないと覚醒しないので、面倒だな、と思いながらベッドの端に座った。
颯太郎はそこから陣の顔を眺める。いつも笑って細められている目は閉じているけれど、長いまつ毛が目元に影を落としていた。艶の良い髪は定期的に染めているのか綺麗なカフェオレ色で、肌はキメ細やかで触ったら柔らかそうだった。
「……」
颯太郎はそっと陣に近付く。寝ていると色は見えないので大丈夫だ。
それでもそっと手を伸ばし、陣の左側だけ長い髪を梳く。それは絹糸のように柔らかくて、スルスルと指に絡んでは落ちていった。そして颯太郎はそのまま彼の頬に触れる。吸い付くような柔らかさだったそこは、思わず撫でてしまいそうな程滑らかだった。
颯太郎の手はそこで止まらず、彼の唇を、顎を撫でながらなぞった。薄い唇は紅梅色をしていて、彼の纏う鴇色と似ているな、と柔らかなそこを軽く指で押す。しばらくその感触を堪能すると、もっとそこを触りたくなり、颯太郎は身を屈める。
まだ、起きないでくれよ。
そう願いながら、そっとその唇に自分のものを重ねた。彼の吐息を感じながら触れるだけのキスをすると、一気に自分の感情と衝動が表に出てきて、慌てて陣から離れる。
「……んー」
陣が動いた。颯太郎はベッドの端に座り直すと、スマホを見ているふりをする。
「……あれ、俺寝てた?」
「うん」
振り向かずに返事をすると、陣は悪ぃ、と欠伸をして起き上がった。
「別に。……疲れてるんだろ、帰ったらどうだ?」
「あ、なーに? その冷たい反応。別に明日は土曜日だし、泊まらせてよ」
颯太郎は今しがたやった事のやましさもあり、すぐに反応できずにいると、スキあり! と陣に腰に腕を回され、ベッドに二人して横になった。
「ちょ……っ、おい、陣!」
「んふふー、捕まえた」
いつかと同じようなパターンで颯太郎は捕まり、颯太郎は陣に背中を見せてはいけないな、と心の中で誓う。
「顔を見ないハグなら、まだ恥ずかしくないだろ?」
「そういう問題じゃないっ」
陣の楽しそうな声に反論すると、彼は暴れる颯太郎に足を絡めて動けないようにした。密着しているのを意識してしまい、緊張で身体が動かなくなってしまう。
「ん? 颯太郎身体が熱いぞ?」
「恥ずかしいんだよっ、早く離れろっ」
「えー? せっかくハグできたのに……」
不満そうな陣はこともあろうに、いつかと同じくうなじにキスをした。肩を震わせた颯太郎を、陣はグッと腕に力を込めて逃げられないようにする。
「ちょっと、陣? それはまだ……っ」
颯太郎は声を上げて陣を止めようとするけれど、陣は聞かず、先程颯太郎が触れた唇でうなじを食んだ。思わず息を詰めて身体を震わせると、前も思ったけど、と陣がそこを舐めながら言う。
「颯太郎って、かなり敏感だよね」
「……っ」
だから嫌なんだよ、と颯太郎は与えられる刺激に息を詰めながら思う。正臣との時は嫌な相手だし、感情を押し殺していたから何とか控えめにいられたのに。
「可愛いから、もっといじめたくなっちゃうなー」
そう言って、陣はシャツの中に手を潜り込ませる。陣が相手だと神経が研ぎ澄まされるのか、どんな些細な刺激でも感じ取ってしまうのだ。
颯太郎は陣の手を掴み、ふるふると首を振った。身体が一気に熱くなり、まずい、と身体を起こして逃げようとする。
「あ、こら。……逃げなくても大丈夫、ちゃんと気持ちよくしてあげるから」
陣はシャツの中にあった手を、スルスルと肌を滑らせて胸に持ってくる。特に敏感なところの周辺を、指先だけで撫でられ、颯太郎は力が抜けてしまい背中を逸らした。
「嫌だ、やだ、陣……っ」
うわずった声で彼を呼ぶと、指が胸の先を掠める。小さく呻いて身体をひくつかせると、んー、と陣の甘えた声がした。
「やばい可愛い……」
「……っ、陣っ、止めろって言ったら止める約束だろ!?」
「そんな事言ったら、全然先に進めないじゃん」
その言葉を聞いて颯太郎はカッとなり、陣の手の甲を思い切りつねる。彼が声を上げて手を離した隙に、颯太郎はベッドから転がり落ちるように逃げ出した。
「もう嫌だ! 陣といると疲れる! ……これじゃあお前もアイツと一緒じゃないか!」
颯太郎はつい、逃げるためにそんな事を口にしてしまう。ハッとして陣を見ると、彼は色を見るまでもなく、傷付いた顔をしていた。
「…………ごめん」
(……違う、俺が言いたいのはそんな事じゃない)
正臣と陣では全然違う。疲れるというのも颯太郎がまだ陣に慣れていないからであって、陣が嫌だという事ではない。
けれど、颯太郎はそれを言葉にすることができなかった。まともにコミュニケーションを取ることができずに、今まで生きてきてしまったし、胸の内を話す事にも慣れていない。
すると陣はベッドから降りた。
「……今日はやっぱ帰るな? お休み」
そう言って帰る準備をする陣に、颯太郎は何も言えずにいる。何か言わなきゃと思うけれど、焦るばかりで言葉が出ない。
「陣……陣、ごめん俺……っ」
玄関に行く陣を追いかけてそれだけを言うと、彼は振り返って苦笑した。
「大丈夫、分かってるから。ゆっくりって約束したのにな……」
颯太郎は陣の、無理に笑おうとしている顔に胸が痛くなる。陣は悪くない、これは自分の問題なのに、と拳を握って俯くと、彼は短く息を吐いた。
「やっぱりここに来るとそういう事したくなっちゃうから……しばらくは外で会おう」
じゃあな、と陣はアパートを出ていく。
玄関ドアの閉まる音が、妙に耳に響いた。
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