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第2話
一回目の七月十日。その日、俺は学校帰りに友人とカラオケ店へ向かった。チェックアウトをしたのが午後六時三十分頃。看板やビルに囲まれた空には橙色に染まった薄い雲が漂っていた。友人と駅前広場で別れたが、電車が電気系統のトラブルを起こし、俺は帰宅が困難になってしまった。途方に暮れていると腹がグゥとなった。俺は踵を返し、大通りの一角にあるファミレスへ向かった。
雑居ビルの一階には紳士服店の看板が掲げられていた。店舗の入口には『セール』と描かれたビニール幕が垂れ下がっている。腕時計を見ながら紳士服店の看板をくぐった。銀色の秒針が十二の文字を通り過ぎるところだった。午後七時ちょうどだ。
正面奥のエレベーターで四階に上がり、ファミレスの扉を押した。駅から離れているからか、店内は閑散としていて、人がまばらだった。
「い、いらっしゃいませ。お一人様ですね。お、お席にご案内します」
前髪が一直線に揃った店員に出迎えられた。新人なのだろう、顔に緊張を貼り付けている。
案内された席は壁際の一番奥のテーブルだった。ソファに腰掛け、メニューを選んでいると、ふと、通路を挟んだ隣の席に座る親子が目に留まった。紫とピンクの鱗柄のワンピース姿の女の子が個性的でちょっと気になった。女の子と並んで座る母親がメニューを覗きながら「夕ご飯、なにが食べたい?」と聞くと、女の子は「朝ご飯っ」と元気一杯に叫んだ。正面のテーブルで、グリーンのアクセントカラーを黒髪に入れた女性が堪えきれずに笑い出し、彼女の向かいに座る恋人らしき男もつられて吹き出した。俺も笑った。可愛い子だ。
ステーキセットを頬張り終えると、俺はリュクからマンガを取り出し、コーラを飲みながら読み耽った。
三巻の半ば頃、頭上から声が掛かり、ページを捲る手を止めた。顔を上げると、明るい髪色の店員が「十八歳未満の利用は夜十時までです。そろそろご退店の準備をお願いします」と促してきた。
腕時計を見ると午後十時、五分前だった。店内を見回すと客は片手で数えられる程だった。
下りのエレベーターを待っているとき、ふと、窓ガラスから外を覗いた。暗闇に華やかなネオンの光が散らばっていた。
異変が起きたのは雑居ビルを出たときだ。
瞬くと、ネオンに照らされた煌びやかな夜の街が、みずみずしい夕映えに包まれていた。
突然の出来事に俺の思考は現実に追いつかなかった。思考を停止したまま、その場で空を見上げた。空は夕焼けに燃えていた。辺りを見渡すと通行人は何事もなかったかのように薄暮の街を行き交っていた。
数秒前まで夜だった。今は夕方だ。
まるで編集がおかしい映画を見せられているようだった。混乱した頭のまま腕時計を見ると、針は午後七時を示していた。
これは夢か? そう咀嚼したが、腑に落ちなかった。人混みの音、大通りのスピーカーから流れるアップテンポな曲、向かい側の店先から漂う焼き立ての肉の香ばしい匂い。妙にリアルなのだ。スラックのポケットからスマホを取り出して電車の状況を確認すると運転見合わせ中だった。夢だというのに些細なところまで再現されている。気味が悪い。だが、すぐに「満腹になった辺りで睡魔に襲われて眠りこけたのだ」と頷いた。今は夢の中だ。現状を整理したところで、腹がグゥと鳴った。リアルではステーキセットを胃袋に突っ込んだばかりだというのに夢の中では腹が減っている。変な夢だ。俺は腹を満たすためにファミレスに戻った。
「い、いらっしゃいませ。お一人様ですね。お、お席にご案内します」
扉を押すと、前髪が一直線に揃った店員に出迎えられた。顔には緊張が貼り付いている。
俺はこめかみを掻いた。
案内された壁際の一番奥の席に腰掛けると、メニューを開いた。
「夕ご飯、なにが食べたい?」
「朝ご飯っ」
紫とピンクの鱗柄のワンピース姿の女の子が元気一杯に叫んだ。正面のテーブルで、グリーンのアクセントカラーを黒髪に入れた女性が堪えきれずに笑い出し、彼女の向かいに座る恋人らしき男もつられて吹き出した。
俺は片眉をくいっと上げた。少し気がかりだったが「まぁ、夢だし深く考えなくてもいいか」と心の中で呟くと、視線をメニューに戻した。
中華セットで腹ごしらえした後、俺はマンガを読み始めた。三巻目をあと数ページで終えるところで頭上から声がした。顔を上げると、明るい髪色の店員が「十八歳未満の利用は夜十時までです。そろそろご退店の準備をお願いします」と促してきた。腕時計を見ると午後十時、五分前だった。
全く同じ展開を辿る夢にどんな意味があるのだろうか。
ぼんやりと考えながら、俺はレジに向かい、伝票を差し出した。下りのエレベーターを待っているとき、ふと、窓ガラスから外を覗いた。極採色のライトが夜に沈む街を照らしている。
再び異変が起きたのは雑居ビルを出たときだ。瞬きをすると、派手なネオンに輝く夜の街が、茜色に染まっていた。辺りを見渡すと通行人は平然と夕暮れの街を行き来していた。
数秒前まで夜だった。今は夕方だ。
おかしい。混乱した頭のまま腕時計を見ると、針は午後七時を示していた。
腹がグゥとなって、俺はふらふらとファミレスへ戻った。
「い、いらっしゃいませ。お一人様ですね。お、お席にご案内します」
ガラスドアを押すと、前髪が一直線に揃った店員に出迎えられた。
「夕ご飯、なにが食べたい?」
「朝ご飯っ」
紫とピンクの鱗柄のワンピース姿の女の子が元気一杯に叫んだ。正面のテーブルで、グリーンのアクセントカラーを黒髪に入れた女性が堪えきれずに笑い出し、彼女の向かいに座る恋人らしき男もつられて吹き出した。
一語一句、違えない。ごく当然のように前回と同じ行動を繰り返す。録画したドラマを繰り返し見ているようだ。気味が悪くなり、俺は水のグラスを運んできた店員に「すみません。急用を思い出したので帰ります」と短く告げ、店を出た。
雑居ビルから歩道に飛び出すと、腕時計の針は午後七時十分前を指していた。
「すいません。今日、何月何日ですか?」
「え、七月十日ですよ」
目の前を通った妙齢の女性に問い掛けると、彼女は艶然と微笑みながら返答した。華やかな化粧が似合う美人だったが、見惚れている場合ではない。
同じ日の同じ時間帯を反復している。他の人間は反復現象が起きている事に気が付いていないようだ。
そんな馬鹿な。
頭に浮かんだ結論をすぐさま否定した。
呆然と佇んでいると腹がグゥと鳴った。まずは腹を満たすため俺は向かい側の路面店でホットドックを購入した。
「熱っ」
店先の端でホットドックを頬張っていた俺は痛みに唇を歪めた。食いちぎったパン生地から熱々のチーズが溢れたのだ。舌がヒリヒリする。
これは夢ではない。同じ日の同じ時間をリプレイしているのだと痛覚が俺に真実を突ける。
一回目のも二回目のも夢ではない。現実だ。 では、三回目は?
夏だというのに額に冷汗が滲んだ。ポケットに手を突っ込んでスマホを取り出し、動揺に震える指先で操作すると、画面に『午後七時三十分現在、運転見合わせ中』と表示された。復旧の目処はまだ立っていないそうだ。リュックがずんっと重くなった。ベルトが肩に食い込んで痛い。休息を求め、俺は大通り口付近のネットカフェに足を向けた。
受付機でチェックインを済ませ、個室に転がった。つるつるしたマットが頬に当たる。寝転んだまま、腕時計に視線をやると午後七時五十分前だった。腕時計のタイマーを午後十時にセットし、エアコンの機械音を聴きながら俺は静かに瞼を閉じた。冷静でいられるのは考えないようにしていたからだと思う。
眠っていた俺の意識を覚醒させたのは、タイマー音ではなく、個室をノックする音だった。ドアを押すと、狭い廊下に黒縁眼鏡の男が申し訳なさそうに頭を下げていた。
「お客様。当店は十八歳未満の利用は夜十時までとなっています。そろそろご退出の準備をお願いします」
俺は寝ぼけ眼を擦りながらリュックのベルトを掴み、受付機へ向かった。受付機の液晶画面に浮かぶ時刻は午後九時五十三分だった。あと七分で異変が起こる。足元が崩れそうな感覚に陥るが「いや、大丈夫だ。大丈夫に決まっている」と自身を鼓舞した。
運行状況を調べると、午後十時に運転がようやく再開するようだ。午後十一時には家に着く。家に帰れるのだと思うと、ふつふつと希望が湧いてくる。
電車の復旧に合わせて移動しているのか、駅前付近の人混みはいつもより凄かった。改札口に人が吸い込まれてゆく。首を伸ばし、まだかまだかと落ち着かない気持ちで眺めていたときだ。
前触れもなく、それは起きた。
群衆のざわめきが消えたと認識した直後、俺は雑居ビルの前に突っ立っていた。
一階には紳士服店の看板が掲げられ、店舗の入口には『セール』と描かれたビニール幕が垂れ下がっている。
目を瞠って振り返った先では、夕陽を浴びた街を通行人が何も起こらなかったかのように往来していた。
時間も場所も瞬間移動したというのか。
嘘だ、嘘だ、嘘だ。
呪文のように唱えながら俺は事実を確かめるためにファミレスへ駆け込んだ。
「い、いらっしゃいませ。お一人様ですね。お、お席にご案内します」
ガラスドアを押すと、前髪が一直線に揃った店員に出迎えられた。
「夕ご飯、なにが食べたい?」
「朝ご飯っ」
紫とピンクの鱗柄のワンピース姿の女の子が元気一杯に叫んだ。正面のテーブルで、グリーンのアクセントカラーを黒髪に入れた女性が堪えきれずに笑い出し、彼女の向かいに座る恋人らしき男もつられて吹き出した。
「お、お、俺、帰りますっ」
水のグラスを運んできた店員の脇を転げるように抜けて、俺は店内から逃げ出した。
雑居ビルから歩道に飛び出すと、目の前を妙齢の女性が通った。華やかな化粧が似合う美人に見覚えがあった。
「す、すいません。今日、何月何日ですか?」
挙動不審の俺に彼女は怪訝な顔をした。
「七月十日ですけど」
木が折れたように、ガクンと膝が折れた。
「……うそぉ」
情けない呟きを一つ落とした。
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