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第4話

 無機質な機械音が午後十時ちょうどを知らせたと思うやいなや、目の前の景色が変貌した。  紳士服店の看板。『セール』と描かれたビニール幕。 改装中のビルから雑居ビルへ、午後十時から午後七時へ、一瞬で跳躍した。スタートに戻ったのだ。下半身の衣服は二之宮から借りたジャージから制服のスラックスに戻っている。現状を把握すると俺は、二之宮達との集合場所へ急いだ。 「あ、白井」 雑居ビルから三軒先にあるゲームセンター『ハイ・スコア』の前を通ったときだ。派手な黄色のキャップが目に留まった。何台も積まれ、壁と化したガチャ台とガチャ台の間の階段から白井が降りてきた。白井と合流した後、薄暮の中を俺達は並んで歩いた。 集合場所である家具店まで数メートルのところで事件は起こった。白井が突然、片膝を折って、上半身を屈めた。首を大きく傾け、すれ違いざまに制服姿の女子のスカートの中を露骨に覗き込んだのだ。 「え、なに?」  二人組の女子高校生は嫌悪に顔を歪めた。周囲の通行人は非難の視線を白井に突き刺す。驚愕する俺を気に留めず、白井は彼女達に背を向け、何事もなかったかのように頭の後ろで両手を組んだ。俺は目を怒らせながら白井を小突いた。 「なにやってんだよ。やめろよ」 「いいじゃん。パンツ見るくらい」  唇を尖らせ「男なんだからよ、しゃーない」と付け加えた。 こめかみがカッと熱くなる。 「……お前っ」 「他の女子は、しょうがないわねぇって、許してくれるぜ。ここは愛想良く笑うところだろ」 「覗きだろうが。呆れてんだよ、嫌がってんだよっ。それに気が付いてねぇだけだっ」  白井の前に回り込み、俺は自己中野郎を怒鳴りつけた。白井はムッとする。 「あんだよ、自分は露出魔のくせに」  痛いところを突かれ、俺は言葉を飲み込んだ。こちらが弱気なのをいい事に白井は、ふんっと鼻を鳴らした。 「……そうだな。だけど、覗きをしていい理由にはならないだろ。俺も悪かったよ。一緒に反省しよう」 「いやいやいやいや。お前の方が、罪は重いだろ。公然わいせつ罪だぞ。自分がやったこと分かってんのかよ」 「だから一緒に反省しようって言ってんだろ」 「わ、上から目線だ。なんでそんなに偉そうなの。当ててやろか。コンプの塊なんだろ。だから、重箱の隅をほじくって、人の失敗を取り上げるんだ。そうなんだろう。なぁ?」  自己紹介か。 喉まで出かかった言葉を腹に押し戻した。喧嘩をしている場合ではない。二之宮を待たせているのだ。必死にそう言い聞かせ、沸騰した血を冷ます。 「なぁ、なぁってばぁ」  反論がないのを、図星を突いたと勘違いしたのだろう。白井は目を三日月型にして、俺の顔を不躾に覗く。 イラッとするのと同時にこいつと協力していくのだと考えると胃がキリッと痛んだ。 「二人共、ここだ」  振り向くと視線の先に癖毛の男がいた。 合流地点の家具店を背にして、二之宮は手を上げていた。ニヤニヤ笑う白井を無視し、俺は二之宮のもとへ駆け寄る。 「どうした。揉めていたみたいだ」  「あー、なんでもねぇよ」  ピリピリした空気に巻き込まないように俺は何も無かったように二之宮に笑いかける。二之宮はチラッと白井を見た。奴はわざとらしく『分かりません』のポーズを取った。いちいち腹が立つ。  触れてはいけないと察したのだろう。二之宮は深く追及せずに話を続けた。 「ここじゃなんだから、座れるところに移動しよう」 「じゃぁ、ファミレス行こう。スタート地点の雑居ビルにファミレスがあるんだけど、空いてる」  二之宮は頷き、白井は「だりぃ」と唇を歪め不満を示した。 「じゃぁ、どこがいいんだ」 「あー、いいよ。ファミレスで。お前、美味い店とか知らないだろ」 「ご飯を食べに行くんじゃない。反復現象から脱出する方法を考えに行くんだ。美味いものは脱出した後に食べに行くべきだ」  重たげな癖毛の中の表情は硬いままだった。 「話を終わらせちゃうなぁ。冷たい奴だなぁ」 不満を吐く白井に、二之宮は「そうか」と平坦な声で返した。 反応が得られなかったせいか、白井は二之宮の耳にギリギリ届く音量でぶつぶつ言い捨てた後、ようやく黙った。  雑居ビルへ向かう途中、最初に口を開いたのは二之宮だ。 「この状況は、SFのタイムループだよね」 「ああ。主人公が同じ日をひたすら繰り返すやつな。映画とかアニメにある」  俺はスラックスのポケットに手を突っこんだまま答えた。 「この手のジャンル作品は、主人公の問題が解決すると反復現象は終わるよね?」 「そうだな。あんまり詳しくないけど、俺が見た作品はそんな感じだった。傲慢な奴が改心したり、主人公の心残りが解消されたりすると次の日が来るんだ」  急に立ち止まった二之宮を、俺は振り返った。黒曜石を彷彿させる無機質な瞳でじっと見据えられ、思わず口を固く締める。 「そいつか」  人差し指を軽く立てた。指す方向を視線で追った。俺達の視線が交わるところにいるのは退屈そうにあくびをする白井だ。 「んあ?」  視線に気が付いた白井は目尻に涙を溜めたまま間抜けな一言を発した。  傲慢な奴が改心する。なるほど。 「確かに、人間性に問題はあるけど、何故、俺達まで反復するんだ。本人に問題がある場合は、本人だけ反復するんじゃね」 「確かに。そうすると、あとは心残りか。中村は心当たりあるか?」  節くれだった指で短髪を掻きながら俺は考えた。頭の隅に浮かんだのは、中学時代、きつい練習に耐えきれず、バスケをやめてしまったことだ。だが、過去の話だ。それに、よくある挫折話で超常現象を引き起こすとは考えられない。 「……とくにないな。二之宮は」 「僕もない。直近では」 「白井は?」  ガードレールに腰掛ける白井に声を掛けたが、返答はなかった。白井は上機嫌な表情でスマホを操作している。身勝手な白井にイラッとした。 「白井。聞いてんのかよ」  怒りを籠めた声で呼ばれた白井は不服そうに舌を鳴らした。 「今、連絡してんだよ」  白井は再び画面に視線を落とした。緊張感の欠片もない白井に苛立つと共に疑問を覚える。 「お前、反復現象を終わらせたくないのか」  白井はニヤリと不敵な笑みをみせた。 「だから、オレはこのままでかまわないんだって。パッとしないお前らと違って、オレは毎回楽しいの」  そういえば、改装中のビルで非協力的な態度を批判した二之宮に白井はそう言い返していた。  スマホを操作し終えた白井はガードレールから降り、俺達に背を向けた。 「ついてこいよ。幸せのお裾分けだ」    白井は首を捻って、勝ち誇った笑みを見せた。

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