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第6話
雑居ビルの一階で『セール』のビニール幕が風に靡いている。
スタート地点に戻るなり、俺は大通り沿いの本屋へ走った。慌ただしく駆ける俺を通行人は何事かと注目したが、ちょっと騒々しいくらいでは関心は続かないようだ。すぐに、視線を戻した。
一つ前のリプレイで俺は能瀬と別れた後、二之宮を探したが繁華街から人一人を見つけ出すのは現実的に不可能である。連絡先を交換していなかったことを後悔しているうちにタイムオーバーになり、スタート地点に戻された。
大通りの分かれ道で俺は二之宮を見つけた。手を振ると、二之宮は俺に気が付いたようだ。
駆け足の俺とは対照的に二之宮は歩幅を変えずに向かってくる。マイペースな奴だ。
マッサージ店の立て看板前で二之宮と合流した。息切れする俺に、二之宮は温度のない表情を向ける。
「そんなに急いでどうした」
「は、反復現象の解決の糸口を見つけた」
呼吸を整えながら俺は経緯を説明した。
「……なるほどな。誰かの強い想いが事件を引き起こしていたケースか」
「そうだ。能瀬と俺達は同じクラスなだけで他に接点はないから偶然の一致かもしれねぇけど、調べる価値はあるだろ」
「他に当てはない。調べてみよう。能瀬は誰を待っているのか。未練があるなら決着をつければ反復現象から脱出できるかもしれない」
「そうだな。気が引けるけど、まずは探りを入れてみよう。二之宮、心当たりはあるか?」
「ある」
二之宮は表情を微動だにせず答えた。
「能瀬の待ち人は、あいつだろう」
「……だよな」
俺達は同じ人物を思い描いた。あいつに違いない。能瀬といったらあいつだ。
「まずは事実を確認しよう」
「……だな」
短く返事をした後、喫茶店で独り待たされ続ける能瀬の姿が浮かんだ。
緩やかな弧を描いた優しい目の奥で寂しい光がたゆたう。儚い笑顔に胸がきつく締めつけられ、俺は唇を強く結んだ。あのままにしてはおけない。
「能瀬が望むかたちでケリがつくといいんだけど……」
呟きは、大型街灯に設置されたスピーカーから流れる大音量の音楽に掻き消されてしまいそうな程、弱々しいものだった。
決着をつけることは容易ではない。結論が出たとしても能瀬が望まないものかもしれない。現実は残酷だ。
「……そうだな」
感傷に浸る俺から察するものがあったらしい。思慮深い顔に憐れみの色が帯びた。二之宮にも人間らしい一面が存在するようだ。
「ちょ、ちょ、二之宮、待ってくれ」
喫茶店へ足を向ける二之宮を俺は呼び止めた。
「白井は?」
雑居ビルと現在地点の間に白井のスタート地点となるゲームセンター『ハイ・スコア』は存在する。白井とは途中で出会うはずだが、見掛けなかった。
疑問の視線を受け止めた二之宮は首を横に振る。
「分からない。だが、探すのは困難だ。会いたければリセットされた時に白井のスタート地点に向かえばいいと思う。白井もなにか起こればそうするだろう」
「それもそうだな。ああ、そうだ。連絡先を交換しておこう。なにかあったら連絡する」
二之宮の提案に頷いた後、俺はスラックスのポケットからスマホを取り出した。
「次のリプレイではIDを検索してくれ。スタートに戻れば、登録は消えるから」
「分かった」
首肯した後、俺達は喫茶店へ向かった。
「ふにふにふにふにっ」
店内に足を踏み入れるなり、俺は硬直した。
派手な黄色いキャップを被った男が正面に座る人物の頬を揉み続けていた。
回り道したのだろう、白井はすでに喫茶店に到着していて、すでに赤ちゃん返りしていた。飴のように粘る声と気色悪いスキンシップに胃の底がムカムカする。
「そういうのは、ちょっと」
能瀬は愛想笑いを引き攣らせた。
店内の客は談笑をする者もいたが、多くはスピーカーから流れる落ち着いたピアノ曲を聴きながら読書や仕事に集中していた。不気味な甲高い声はよく響き、悪目立ちしている。
「あれぇ、どうしたのかなぁ?」
目を伏せた能瀬の顔を白井は赤ん坊モード全開のまま覗き込む。無抵抗の能瀬と猛攻撃の白井。見ていられない。白井の肩に手を掛けようとした俺を静止したのは二之宮だった。
「待ってくれ。僕に考えがある」
太い黒眉のしたで機械のように無機質な瞳が白井を捉える。
「ここにいたのか、白井」
振り返った途端、白井は不機嫌顔になった。一つ前のリプレイで、注意した俺と味方しなかった二之宮を逆恨みしているのだろう。
「あんだよ」
白井に睨みつけられたが、二之宮は眉一つ動かさなかった。感情を欠いた面持ちのまま容赦なく爆弾を投下する。
「先程、君の彼女を見掛けた。男と歩いてた」
「はぁ?」
「隣駅へ歩いて行ったよ。だよね、中村」
「え、ああ。見た、見たよ」
突然話題を振られ、俺は焦ったが、二之宮の話に合わせた。
白井に彼女がいると知ったのは二つ前のリプレイのときだ。改装中のビルで存在を聞かされたが、容姿や詳細な情報は知らない。
恐らく、目撃情報は二之宮の嘘だ。白井を追い払うための戦略だろう。
「……隣駅の方向って、ラブホ街じゃん」
白井は脂肪の乗った瞼の奥で瞳を泳がせた。思い詰めた表情で席から立ち上がると、二之宮ににじり寄った。
「ひ、人違いだ。あいつはバイトに行ったんだ」
「ああ、二つ前のリプレイで言っていたね。ゲーセンで彼女と遊んでいて、バイトの代わりを頼まれて帰ったと。でも、あれは確かに君の彼女だった。君、彼女の画像を送りつけてきたことあるよね。間違いない」
真っ青な顔で絶句する白井に追い討ちを掛けたのは様子を窺っていた能瀬だ。窓際の席に腰掛けたまま静かに告げる。
「早く行ったほうがいいよ。さっき、言っていたよね。最近、彼女が冷たいと」
能瀬の口調は穏やかだったが、白井の不安を煽るのには充分だった。
真っ青だった顔を真っ赤にさせるなり白井はあたふたしながら店内から飛び出した。
それを見送った後、冷たい瞳が俺に視線を戻した。
「白井を見張るから、ここは頼む。次のリプレイから僕は『ハイ・スコア』に向かい、白井を食い止める。毎回ここに来られたら妨げになるから、なにかあれば連絡してくれ」
抑揚の欠けた声で要点のみを告げる。
「いいのか。俺のほうが白井とのスタート地点から近いし、体格だってあいつよりデカい」
「僕はコミュニケーションが苦手だ。ここは頼んだ」
二之宮に頼まれたら、頷くしかなかった。 それぞれの役割を決めると、その場で俺達は別れた。
能瀬の未練を解消しないと反復現象は終わらない。二之宮のため、そして能瀬のため、俺は肩に力を入れた。身を翻した先で、能瀬はテーブルの上で白い指を組みながら俺に視線を注いでいた。側に置かれているのはジンジャエールだ。
「ありがとう、追い払ってくれて」
薄い唇に微笑みを添えていたが、目には疲れの色が蓄積していた。相当、つきまとわれたのだろう。
付き合っている彼女のことで相談事があるというのは建前で、悩み事にかこつけて能瀬にかまって貰おうとする下心が見え見えだ。俺達以外の人間の記憶はリセットされるから、同じ手口が通用してしまう。白井は毎回スタートに戻るなり、能瀬にちょっかいを出していたのだろうか。無意識のうちに能瀬へ憐れみの視線を送ってしまう。
「いや、俺じゃない。二之宮だよ……あっ」
グゥと鳴った腹を俺は手で押さえる。
能瀬はきょとんとした後、クスッと小さく笑った。俺は照れ臭さにこめかみを掻いた。耳朶に熱が残っているが、能瀬が笑うなら、まぁいいかと思う。
「お待たせしました。大盛りカツカレーです」
背後から声がして、俺は通路を空けた。店員は能瀬の指示通りにカツカレーをテーブルに置くと、厨房へ戻っていった。
「よければ、どう?」
笑いの余韻を唇の端に残したまま能瀬は食事を勧めてきた。能瀬に近づくチャンスが運良く訪れた。
「いただきます」
椅子に深く腰掛けると、スプーンを手にした。またカツカレーかと、がっかりする。白井は一つ前のリプレイで食べ損なったから、再度注文したのだろう。他の物を頼めよ、気が利かない奴だ。
腹の中で文句を垂れつつ、咀嚼しながら考える。能瀬の未練をどう聞き出そうか。デリケートな問題に土足で踏み入るわけにはいかない。
「……そういえばさ。今日、なんか予定あんの。誰か待っているみたいだけど」
ルーを口に運ぶ手を止め、自然な口調で会話を切り出した。
「うん、ちょっとね。そういう中村くんはどこを寄り道していたんだい」
能瀬はすぐに話題を変えてしまう。
「なんだよ。誰、待ってんの」
「君の知らない奴だよ」
「同じ学校の奴?」
「ううん。別の高校。中学校の時の友達だよ」
口調は穏やかなままだったが俺は嘘だと見破った。すぐに答えられる内容をすぐに答えない。「本当はあいつを待っているのだろう」そう出掛かった言葉を俺は飲み込んだ。能瀬は言いたくない様子だ。ならば、これ以上の詮索は能瀬を不快にさせてしまう。相手の気持ちを無視して聞きたいことを聞く、そんな無遠慮な真似は出来ない。
短く「そうなんだ」と呟いた後、俺はスプーンで割ったカツを口に運んだ。咀嚼しながら、無言を打ち破るため次の話題を探す。
「そういえばさ。白井、やばくなかった?」
能瀬は笑った。
「うん、やばかった。あの声さ、どこから出してるんだろう」
尖った顎先に手を当てがい難しい表情を浮かべる能瀬に俺は片方の口角を上げてみせた。
「……中に本体がいたりして」
能瀬が吹き出した。
「ははっ。リトル・グリーン・マンみたい」
「あの、ちっこい宇宙人か」
「なんで分かるの? マイナーキャラだよ」
「キャラはマイナーだけど、作品は有名じゃん。俺その作品が好きでさ、新作が公開されたときは特典付きの前売りを買ったよ」
「特典って、あのキーアイテムを模したタッチペンだよね? 僕も買ったよ」
「え、お前も」
薄茶色の瞳が煌めく。同時に俺も瞳を輝かせた。一つ前のリプレイの時のように俺達は話に花が咲いた。趣味や嗜好がパズルのピースのようにカチリと合う。会話が途切れると「これ、好きそう」と能瀬は俺の興味を惹く話題を提供した。さり気ない優しさにじんわりと心が熱くなる。春の陽だまりに包まれているような心地良さだ。執着する白井の気持ちも理解できる。
「ああ、そういえばさ。俺さ、隣のクラスの奴とカラオケに行ってたんだ。これいるか」
荷物置き場に突っ込んだリュックのポケットから引っ張り出したのはポストカードだ。
「カラオケでさ、コラボをやってたんだよ。ほら、副隊長。好きだろ」
二刀流を腰に携えたキャラクターが描かれたポストカードを差し出すと、能瀬は不思議そうに俺の顔を眺めた。
「え、なんで知っているの。話してないよね」
「……あ、ああ。待ち受けの画面だよ。さっき時間を確認するときに画面をつけただろ。そのとき、チラッと見えて。好きなのかなって」
俺はテーブルの上に放置されたスマホを指差した。能瀬は納得したのか「そうなんだ。ありがとう」と受け取る。
話題のマンガの話で盛り上がったのは一つ前のリプレイのときだ。俺と過ごした記憶は残っていない。
俺は腕時計を見た。午後九時二十分。あと一時間もしないうちに俺と共に笑ったこの時間は能瀬の記憶から完全に消えてしまう。
胸が軋む。
幾度もリプレイする中、幾度も同じ目に遭った。その度に、傷ついた。何度も傷ついている内に少しは強くなったかと思ったが、違ったようだ。痛いものは痛い。
ただ、いつもより痛むのは何故だろうか。
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