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第8話

「ずいぶん、楽しそうだった」  二之宮と別行動を取ってから、四回程リプレイしたときだ。喫茶店へ向かう途中、背後から抑揚のない声が掛かった。  振り返った先に、二之宮が腕を組んで佇んでいた。 「進捗がないから一つ前のリプレイで様子を窺った。まるで、デートだ」  いつもと変わらぬ無表情を貼り付かせたまま鋭い視線で俺を射抜く。  能瀬への想いを自覚した後、燃え滾るエネルギーが全身に漲った。あまりの熱に俺の前頭葉は壊れ、使命をそっちのけに能瀬に夢中になった。 「それで、収穫はあったのかい?」  俺はバツの悪さに後頭部を掻いた。二之宮が白井に手を焼く中、俺は遊んでいたのだ。 「誰を待っているのか聞いたんだけど、話したくないみたいで。まずは仲良くなろうと話しているうちに、その……」 「楽しくなって、本来の目的を忘れた」  ごにょごにょ喋る俺から二之宮は言葉を引き取ると数学教師のような正確さでピシャリと言い捨てる。 「……次からちゃんとやります」 「許そう」  表情は乏しいままだが、声色は和らいだようだ。俺は胸を撫で下ろした。  問題を解決しなければ、二之宮は反復現象を繰り返すことになる。能瀬の悲哀も終わらない。遊びに気を取られ、周りに迷惑を掛けた。気を引き締めなおさなければ。 「……そういえば、白井は?」 「ホテル街だ。存在しない彼女を探している。僕も一緒に探していることになっている。実際は探すふりをして図書館で過ごしているが」  白井は二之宮の嘘を信じ切っているようだ。滑稽であり、哀れでもある。それにしても、こうも簡単に人を丸め込むとは。二之宮を敵に回してはいけない。  決意を新たにした俺は二之宮と別れた後、喫茶店のガラス扉を押した。 能瀬と同席した後、共通の話題や興味を惹く話題で喜びを共にした。誰を待ち続けているのか、繊細な問題に踏み込んでも警戒されないように少しずつ距離を縮めてゆく。 「そうだ、お前これ好きそう。アメリカゾンビとロシアゾンビが大決闘するヤンキー映画」  差し出されたスマホの液晶画面を能瀬は長めの前髪を振り払いながら覗く。  画面に表示された映画のタイトルを見るなり、口元から微笑みが、すっと消えた。 「……うん。これ気になってた」  寂しそうな響きが含まれた声だった。いつもと違う気配に俺は黙って様子を窺った。長い睫毛に沈む薄茶色の瞳には悲哀の色が滲んでいた。初めて見る沈痛な面持ちに掛ける言葉が見つからない。  能瀬は侘しい光を瞳に宿したまま、スラックスのポケットから紙切れを取り出した。 「これ」  渡されたのは一枚のチケットだった。 表に描かれているのは捲れた皮膚から肉を露出させるゾンビの群れだ。今、話題に挙げていた作品だった。絵柄の下には『シネマ・スペース』と劇場名が記載されている。 「野田と観る予定だったんだけど、あいつ来ないから。僕はネタバレ読んじゃったし、よかったら、どうぞ。君も好きでしょう。こういうB級映画」 「……野田。同じクラスの?」 「そう。ラグビー部のデカい奴」  能瀬は頭上で手を水平にし、野田の身長を示した。  野田健一(のだけんいち)。まず目立つのは背の高さだ。平均的な身長の奴と並ぶと頭一個分は突き抜ける。次に思い浮かぶのは、鋭い眼だ。切れ上がった目尻に眼光炯々とした瞳。 仏頂面の野田と愛嬌のある能瀬。正反対の二人はいつもつるんでいた。一ヶ月前まで。 「野田と待ち合わせしてたんだ」 「うん。あいつ部活があるからさ、終わってから会う予定だったんだけど来ないみたい。ほら、目の前に映画館あるでしょ」  白い指先が示すのは、路上の一角に佇む中規模の施設だ。薄闇に施設の照明がぼんやりと浮かび上がっている。 「一週間限定で上映している。今日が最終日。八時から上映だから急げば間に合うよ」  チケットを掴んだまま俺は能瀬を見た。優しげに笑っている。寂寥たる影を目元に落としたまま。  俺は膝の上で拳をぎゅっと握った。 「一緒に行かないか?」 「え?」 「野田に待ちぼうけくらって、映画も観ずにって、なんか悔しくね?」  勇気を振り絞って告げると、一気に喉が渇いた。何てことないように笑う俺を能瀬は見つめた後、睫毛を伏せた。  一つ間を置いてから能瀬は答える。 「……僕はいいや。ほら、ネタバレ読んじゃったから」  握り締めた拳が打ち震えた。  野田じゃないとダメなのか。俺ではダメなのか。激情の波が怒涛の勢いで押し寄せ、俺の意識は荒波に攫われそうになる。 「そっか。それじゃ、せっかくだから観てくるわ。ありがとな」  精一杯の笑顔を拵えた後、俺は会計を手早く済ませた。路上から腕を振るうと、能瀬は手を振り返してくれた。背を翻すなり、俺は滲む涙を親指で拭った。映画を鑑賞している余裕は俺にはなかった。人気のないところで大泣きしたい気分だが、チケットを無駄にしたくなかった。能瀬から貰ったのだ。 「ん?」  俺は施設の入口で立ち止まり、目を凝らした。目線を上下させ、入口に置かれた立て看板とチケットを見比べた。  看板は『シネマ・エックス』。チケットは『シネマ・スペース』。  別の映画館だった。

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