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第3話

 かつん、と床にプラスチックの落ちる音がした。  足下より少し離れた場所に跳ねて行ったフォークを呆けた顔で見送った遙は、ぼーっとしたままひょこひょこと拾いに行って「おれ余分にあるよ?」って言った田崎に「あぁ……。」って聞いてるんだか聞いてないんだか微妙な返事をしながら、やっぱり呆けたままオレの隣に座った。 「宮代、顔色悪くないか?」 「いや、平気だ。ありがとう。」 「だ、そうですけど昴せんせー?」 「あー……」 「少しばかり睡眠が足りていないだけだ。」  心配してくれてありがとう、と言った遙が泉と田崎にはわからない程度にオレを睨む。その眼が、原因はお前だからなって言っていた。否定は……まぁ、出来ない。  オレなんて性欲は人並み程度っつーか、忙しい時期なんかだとああそういえば? みたいな時もあったくらいなのに、ここのところはちょっと駄目だった自覚はある。 けど、主に昨日のオレとかが『いや、だって可愛いかったんだから仕方なくね?』って開き直ってた。  毎回大変な思いをして後悔するくらいなら、もうちょっと鈍感な奴とか小慣れた奴とかを参考にすれば良いのに、何故だか遙はそうじゃない反応ばっかり選ぶ。  清純で生真面目な心の方は『流されてはいけない』と耐えようとしているのに、優しく焦らされると、とろとろと素直に蜜を零してしまうソコがどうしようもなくいやらしくて可愛いくて、ついつい虐め過ぎた。  汚いから早く着けろ……! って遙は怒ってたけど、オレのベッドだし敷くもん敷いて洗濯すりゃ良いし、そもそも遙のを汚いと思った事なんて一度もない。好きな人のだからってのとは別に、ぬるっとした手触りと見た目は完全にそれなのに、独特なにおいも、噂に聞くような酷い味もしなくて、殆ど無味無臭って感じだったのが大きい。  掌を伝うそれを興味本意で舐めた時、信っじらんない! って顔を遙はしてたけど、嫌悪感っていうよりはびっくりしただけっぽかったから、乱れて善がるところを見る為にそのうち本体ごと舐めてみるか? ってくらいには気に止めてなかった。 「アロマが良いってねーちゃん言ってたよー。あと、寝る前のストレッチ」 「ハーブティーとかも良んだってな。母さんと妹がパッケージが可愛いって買ってたよ」 「おれはあれ苦手―。“草!!”って味するじゃん?」 「ありがとう。参考にしてみる。」  友達からの優しい気遣いに対して控えめな笑顔を返す遙は、本当の理由は違うんだって少し胸を痛めてるかもしれない。そう思うとちょっと可哀想で、今日も行くけど程々にしなきゃなーって思ってた。昼飯食ってるこの時は。 「んぁっ」 「ほんっと、遙は胸弱いよなー」  真面目に勉強して、キスくらいは良いよな? って思って深いのしたら遙は腰が立たなくなっちゃって、くったり寄りかかる暖かい身体に触れていたらつい、余計な所にまで手が伸びた。  力なく抵抗していた遙の指が縋るようにオレの服の袖を掴んで、離れた口と口を透明な糸が繋いでいるのを見てしまったらもう、我慢なんてものが途端に馬鹿らしくなった。 「や、だめっ、いやだっ、ん……っあ、だめだってば……んゃ、っや、あぅ……ぅあっ」  今日はいつも以上に抵抗したいような事を言っているけれど、的確に触れてやれば声を上げるし、わざと遠い所を撫でれば焦らされてると思って身を捩るから、やっぱりして欲しいんだなって思っても当然だと思う。 「なぁ、たまには素直に“いい“って言ってよ」 「っあ、やだ……っふ、っあ! だって……ああ! やだっ、ダメっやだぁっ……!」 「本当に嫌? 本当に駄目?」 「だからっ……んっ、なんど、も……言って……っあ、だめ……んぁっ、はっ……ダメって……もぅ、っあっあ……っふ……いい加減に、しろって……!」 「ちゃんと拒否してくれなきゃ分かんねぇよ」 「だって、ぁっ、いつもっ……んっ、無理矢理、に……んんっ」 「無理矢理──は、してなくね?」  その言い方は、流石にちょっと傷付いた。 なし崩し気味にしちゃった時は確かにあったし、つい意地悪し過ぎちゃった事も多々ある。だけど、本当に嫌だろうなって事は絶対にやらないように、きちんと遙の反応を見られていたはずだ。  好きとか気持ち良いとか直接的な言葉をもらえなくても我慢したし、意地悪する分、たくさん気持ち良くなってもらえるように、何より、好きって気持ちが伝わるように触れて来たっていう自負はあった。  どうして欲しかった? って聞いた自分の声は、そういうの伝わってなかったのかなっていう虚しさみたいなのが滲んじゃってて、察した遙が答えるトーンも、さっきまでの必死さを余韻だけ残して落ちた。 「ま、待てば良いに、決まっているだろう。良いと言われるまで。」 「……ちゃんと答えてくれた事ねぇじゃん」  恥ずかしがり屋なのに加えて、今の自分の状態が予想外過ぎて受け止めきれてない遙が、素直に「良いよ」とか「シて」なんて言えないのは分かってた。分かってたから、しても良い? じゃなくて、しようって言ったし、返事の字面じゃなくニュアンスだとか表情とかが判断基準だった。 「その前に始まってしまうから、言いそびれていただけで。待っていてくれれば答えた。」  あーダメだ。始まって“しまう“とか、待っていて“くれれば”とかがやたらと引っ掛かる。 ぎゅっと掴まれた胸の奥が、砂が崩れるみたいにぼろぼろと欠けていく心地がした。 「じゃあ……今は?」  それでも、少しだけ残ったプライドで聞くと遙はふいっと視線を逸らせた。 「きょ、今日はダメだ!」  だよなぁ。って予想がついてた事が、断られた事よりも悲しい。こういう時、良くはないけど大抵イラっとしてたのに、そんな気力もなくなるんだから恋は怖い。 「そんな顔をしなくても良いだろう。別に、許可を取って、承諾を待ってさえくれれば、俺だって、その……善処は、するつもりだ。」  乱れた服を忙しなく整える遙の声はさっきよりも優しくなってた。オレが相当情け無い顔をしてたんだと思う。  恥ずいしホント駄目だなって思ったけれど、頑張るつもりだって遙が言ってくれたお陰で、少しだけ優しい気持ちが戻って来てた。 汗で張り付く黒髪をするりと掬って遙の額に軽く口付ける。 「うん。……あと、ごめん」 「……それも次からは許可を取ってくれ」  そんな風に言いつつ遙は、まったくもうって我儘を許してくれてる甘さをふわりと漂わせてくれた。  仕様がないか。遙はまだ慣れてないんだし。人っぽく振る舞って来たって言っても、ここまで人間的なものを求められる事はなかったって言ってたし。  オレがちゃんとリード出来れば、真面目で愛情深い遙はゆっくりでも着いて来てくれる。  彼氏としての矜持をなんとか奮い立たせたオレは、おやすみと手を振った時にはちゃんと微笑えていたと思う。  大丈夫、大丈夫。遙だってオレの事好きだし。許可取れば良いって言ってくれたし。今までよりちょこっと我慢するくらいで。きっと、上手くいく。

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