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第4話

「えーっと……昴も寝不足か?」 「違ぇよ」 「だ、そうですけど宮代せんせー……」  は、居ないんだよねぇ。と田崎の声が虚しく残る。  ただでさえ苛々してんのに、心配してくれた泉に滅茶苦茶低い声とテンションで返した気まずさがじわじわ広がって余計にへこむ。放課後にこいつら呼び出したのはオレだってのに。  この前共感した歌の後半部分の順調過ぎる恋愛模様に中指を立て、「ごめん、暇だから上がってもらって良い?」の一言で急に空いてしまったバイトの時間に呆然とし、そういや兄貴は「成績次第では帰って来ても良い」とか吐かしてやがった、とふいに思い出してその辺のゴミ箱を蹴り飛ばしそうになる、等々。  分かりやすく上手くいかない毎日の中で、気を紛らわす為にひたすら机に向かったお陰か、課題は常に爆速で終わったし自習も頗る順調に進んでた。  それでもどんどん積もるストレスを一人で相手にするのに耐えかねて、勉強見てやっから来い、と田崎と泉に招集をかけて今に至る。  雪だるま式に増えてくストレスの大元にあるのは、今この場に居ないポンコツ野郎の事だ。  『聞いて、待って、良いよって言われたら』って事だったからオレは聞いたよ。毎回きっちり。抱きたい時だけじゃなくてキスする時もって事らしくて、いや雰囲気とかあんだろって思ったけど、それでも言いつけを守った。 なのに、だ。 「今日、シても良い?」「だ、駄目だ!」 「キスしたい」「まだ待ってくれ!」 「遙」「っ! 今日はもう帰る。おやすみ!」  こんなやりとりがあの日からずっと続いていて、一昨日辺りからなんて微妙に避けられてる気さえする。っつーか。 “許可”なんて一ミリもする気ねぇだろあいつ……!!  「宮代、今日は用事があるだけで体調悪いとかじゃないんだろ? 何か心配な事でもあるのか?」 「だめだよー昴。可愛い子には旅をさせないと」  困ったように笑う泉も、何故か窘めるような言い方の田崎も、遙が居ないからオレの機嫌が悪いと思っているらしい。二人にオレ達の関係は言ってないけど、昴急に丸くなったよねー宮代ちゃんのお陰? なんて田崎に言われるくらいには、オレが遙の事を気に入ってると思われていた。 「そういうのじゃねぇから」 「はー、世話焼けるなー。コレでも見て元気出しな?」 「余計な事してないで解け。そんで分かんねぇとこ教えさせろ」 「やだよ。今の昴怖ぇーもん。……ほらっ、宮代ちゃんですよー」  子供にぬいぐるみ見せるみたいにするな。って文句は、ずずいっと出されたディスプレイに映る恋人の姿を見た途端に消えた。写真、じゃなくて、動画かこれ? 「宮代ちゃん、もっかいいくよー。はい、あーん♪」 「……『あーん』」 「うおぉぉ! サファリパーク! めっちゃサファリパーク感……!!」 「そうか?」  画面の中の恋人が見慣れた首を傾げる動作をした後、少しだけやり取りが続いてから映像は終わった。  一分にも満たないそれを見た感想を一言で言うと、 「……あ゛?」 だ。 「将吾。こういうのは女の子にやれよ……」 「はい傷付いたー。いいじゃん別に。やったらノってくれたんだから」  ……今見たの、何?  最近まともに目を合わせてくれない遙が、座ってるからかちょっと上目遣いでこっちを見てた。  細長い菓子が形の良い唇に向かって差し出され、小さく開いた口の中に赤い舌がちらりと見える。咥えた瞬間に伏せた視線と縁取る長い睫毛も、落ちないように支えた指先も、すんなりとした首筋も、あぁ本当に綺麗だなと思ったしついでに若干ムラっとした。けどそれ以上に、ぐじゃって血が沸騰したみたいに、凄ぇムカついた。  だってこれ、オレが断られたやつじゃん。  やめろ恥ずかしい、って顔を逸らされて。でも慌てた目が潤んでるのもしっかり見てたから、どうやって成功させよっかなってワクワクしてたやつ。  なのに、こんな簡単に。なんの抵抗もなく口を開けてみせるなんて。他の男に無防備な顔を晒すなんて。 「……送れ」 「げっ。何で怒ってんの?」 「怒ってねぇよ」  『何故かは分からないが楽しそうで良かった』と慈愛を浮かべる遙にも、近所の子供相手にするのと同じノリでやってるはずの田崎にも全然そんなつもりはなくて、これがただのしょうもない嫉妬だって事は頭の隅では分かってる。  なのに、そこに寂しいって気持ちが混ざっていた事に気付く余裕がなかったオレは、帰って直ぐに遙を問い詰めてしまった。 「で? なんか言う事ある?」 「なんだ、その聞き方は……。見たまま以外に何があると言うのだ。」 「オレの時は凄ぇ嫌がってたじゃん」 「あれは! お前が、変な雰囲気にするから……。」 「は? 変ってなんだよ。付き合ってんだから普通だろ」 「お前の普通の基準は時折おかしい。現に今だって、訳の分からない事で腹を立てて……。」 「ムカつきもすんだろ。碌に相手してくれねー恋人が他の男とベタベタしてんの見たら」  遙が唖然と眼を見開く。そんな風に咎められるなんて思っていなかった黒には穢れも罪悪感もまるでなく、こっちの方が浅ましさを糾弾されている心地になった。 「抱かせろ」 「何を言っている!? 駄目に決まっているだろう!」 「ならキスは?」 「駄目だ!」 「じゃあ、なんなら良いんだよ。つーか、いつになったら良いわけ? オレあと何回こんな事聞かなきゃなんねぇの?」 「そんなもの……分からない。」 「出たよ。知らない分かんないって、お前そればっかじゃん。こっちは絶対断られんのに毎回毎回聞かされて、簡単に駄目って言われて。いい加減きついんだけど」 「そこまで言うなのなら、好きにすれば良いだろう。」  追い詰められた体制で視線を逸らした遙からは、仕方のない奴だなっていう甘やかしも、いつもの照れ隠しも一切ない。  まるで、諦めたとでも言うような台詞に、なんとか支えていた気持ちがぱきりと折れた。 「…………もういい。オレからはなんも聞かない」  離れてくオレを遙は未だに警戒の解けない視線で追う。心配じゃなくてそっちなんだ? 「そんなにされたくないなら、お前からするまでやらねぇから」 「待て。俺から、とはどう言う事だ? お前が行っていた事を俺にしろと言うのか?」 「そうだよ。触るのも、キスするのも、セックスも。『ヤらして』って言ってやれよ。いつになんのか知らないけど」 「それでは約束と違うだろう!?」 「別に良いだろ。そっちが“したい”って思うまで変わんねぇんだから」 「だが、出来る訳がないだろうそんな事!」 「じゃあ、しなきゃ良いだろ」 「しかし、それではお前が……! おい、待て! 昴!!」  ぱたん、と余所余所しい音を立てて閉じた扉に崩れるように凭れた。待て、と最後に遙は言ったのに、背にした物が動く気配はない。  無機質な灯りが煌々と照らす夜は、湿り気を帯びた暑さを漂わせ始める季節になったのに、息を一つ吐いた胸は酷く冷えて渇いていた。

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