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第4話
所在無く立ちつくすこと30分、ドアが音もせずに開いてご主人様が現れた。
淡い微笑を浮かべた横顔は、入って行ったときとどこも変わっていない。しかし何かが違っていることに、颯太は気付く。
遠いのだ、瞳のみつめる先が。
「お疲れさま!」
颯太はなるべく明るく声をかけ、遠い目をした想い人に全開で笑いかけた。
「思ったより早かったじゃん。先輩のマジックで、おじいちゃん先生のムスコもすっかり元気ハツラツになっちゃったわけね」
度が過ぎた下ネタジョークを言ってしまってから後悔したが、光彦は黒目がちの目を見開いてポカンとし、颯太の背を叩いて笑い出した。あわてて口元を押さえ、込み上げる笑いを堪えながら声を低める。
「バカ」
憧れの人の目は今は遠くではなく、自分を見てくれていた。それだけで、ここで待っていてよかったと颯太には思えた。
「ねぇ」
相手の顔から笑いが消えた。瞳にかかった霞が少し濃くなっている。その形のいい唇から、驚くべき問いが発せられる。
「僕さ、汚くない?」
「綺麗だよ」
迷わず即答した。
「先輩は、誰よりも綺麗だ」
反射的に答えながら、急に胸が痛くなった。
おそらく彼は、この商売を好きでやっているわけではない。そのことが今、はっきりと伝わったのだ。
2人は肩を並べて静かな廊下を戻っていく。教職員棟から外に出ると息詰まっていた感覚が解け、解放感に包まれた。
光彦もそうだったのだろう。ホッとなごんだ微笑を、颯太に向けてくる。
「松井先生にお金いっぽいもらったよ。見張っててくれたごほうびに、何かおいしいもの買ってあげようね」
「あ、俺たこ焼き」
「よほど好きなんだねぇ。いつも食べてるでしょ。校門の前の」
驚いた。確かに大学の向かいの屋台のたこ焼き屋は颯太の行きつけで、よくクラブの連中と寄っては立ち食いしていくが、よもや光彦がそれを知っていたとは思わなかった。
思わず言葉を失ってしまった颯太の疑問が伝わったのか、光彦はちょっと照れたように肩をすくめた。
「君は目立つから、つい目がいってしまうんだよね。最初はカッコイイなと思って見てたんだけど、観察してたらさ、実はただの騒がしいバカな子だった」
「うわっ、ひでぇ。今でもカッコイイだろ?」
鼓動がやけに速くなっている。憧れの人にずっと見られていたと知れば、舞い上がってしまうのも無理はないだろう。
「カッコイイって思って見てた頃よりも、僕的には親しみポイントが上がって好印象になったんだよ。だから君に屋上で好きって言われたときね、ちょっとドキドキしちゃった」
「いや、そんなふうには全然見えませんでしたよ、あなた?」
「してたんだよ、ドキドキ、ドキドキって。ここがね」
そう言いながら綺麗な指をそっと左胸に当てる。
「嬉しかったなぁ」
つぶやかれた一言に、一気に不埒な熱が上がった。ほのかな微笑を湛える紅い唇に、どうしても視線が引き寄せられる。
「ねぇ、たこ焼きいらないや。その代わりキスさせてよ?」
「ダメ」
あっさり即答されて、颯太はガックリと肩を落とす。涼しげな人はその情けない顔を見て、アハハと明るく笑う。
『汚いかな』と聞いたときの強張った空白の表情が今はすっかり消えていることに、颯太は心から安堵した。
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