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第5話

 無邪気な笑顔がふと前方に逸らされ、いつもの読めない謎の微笑みに戻った。颯太は光彦の視線の先を追い、こちらに向かって歩いてくる男を見て内心そっと舌打ちした。  颯太のようなガッシリした筋肉質とは違う、スラリとしたモデル体形の長身。目尻のやや下がった目元がたまらなくセクシーと女子学生を騒がせる、嫌味なくらいに整った濃い目の二枚目顔。長めの髪もよく似合っている。    経済学部3年の森村(もりむら)高志(たかし)は、遠野光彦の恋人と目されている人物だ。  そもそもは森村が光彦に惚れこんで、しつこくアプローチした末にくどき落とし今はラブラブというのが、自慢げに言いふらかされている本人談らしい。情報屋の友人によると、森村は単に光彦の『上客』ではないのかという話だが、光彦を観察してきた颯太の目からしても、2人の間には商売関係以上の何かがあるような気がして心中穏やかではない。  ただ2人が並ぶと素晴らしく絵になるのは確かで、恋人同士だと言われれば誰もが信じ、納得するだろう。 「光彦」  隣にいる颯太を完全無視で、森村は甘い声で馴れ馴れしく名を呼ぶと、手を伸ばし白磁の頬をスッと一撫でする。反射的にカッとなったが、颯太には口出しする権利はない。 「こんにちは、高志。いい天気だねぇ」  対して光彦は自称恋人の男を特別扱いする様子もなく、天然とも取れる気の抜けた挨拶を返す。 「なぁ、これから2時間、ダメか?」  どうやら『商談』らしい。  何だ、恋人なんて言っているわりには、やっぱり他の客と同じ扱いじゃないかと、颯太はこっそりほくそ笑む。それに光彦は、これから自分とたこ焼きを食べに行くのだ。OKするわけがない。 「う~ん」  案の定、ご主人様は小首を傾げて考え込んでいる。 「倍額払うから。な?」 「本当? うん、いいよ」  澄んだ声での即答に、颯太は思い切りつんのめった。そこでやっと嫌味な色男は、颯太の存在に気付く。 「あ? 何、こいつ?」 「ああ、紹介するね。彼はハチっていうんだ。昨日から飼い始めた、僕のペットの犬」 「ワン」  とりあえず、犬らしく挨拶してみた。 「見たことあるな、おまえ。あ、理工の1年だろ? でかくて目立つお祭り男」  そう言って森村はうさんくさげに眉をひそめ、数センチ背の高い颯太を見上げてくる。 「どーも、森村先輩。俺も先輩知ってますよ。愛に生きる情熱のラテン系でしょ」  笑ったのは光彦で、当の本人は苦虫を噛み潰したような顔で颯太を軽く睨んだ。 「なんだよ、犬とか言って、ホントは図々しくも光彦狙ってやがるんじゃねぇだろうな、おまえ」  そりゃもう、思い切り狙ってやがりますよ、と言ってやろうとしたが、低レベルの人間と争うと自分までレベルダウンすると思い直し、間一髪で我慢した。 「いえいえ、俺はただのペットですから、ご主人様をガードし癒すのが役目ですワン」 「癒しはいらねぇからガードだけしとけ。俺の光彦をきっちり守れよ、ワンころ」  ムカッときたが、金蔓をぶん殴りでもしたらさすがの光彦も怒って、犬をクビになるかもしれないと思うと手が出せない。せめてもおまえは嫌いだぞという意思表示を込めて、颯太はううう、と唸りながら秘かに森村を威嚇する。 「はい、怒らない怒らない」  いい香りのする手が伸びてきて、頭をホワホワと撫でてくれた。戦闘モードの気持が急に落ち着いてくる。その心地よさは、もしも猫だったらゴロゴロ喉を鳴らしたいほどだ。 「二人とも仲良くしてね。僕にとっては、どちらもとっても大事な人達なんだから」  計算づくで言っているなら相当な腕だが、彼の場合単に天然なのかもしれない。颯太も森村もそのどこか抜けた癒しの気に当てられて、敵の存在も忘れポーッとなってしまった。 「それじゃハチ、ごめんね。ごほうびまたね」  ご主人様はすまなそうに言い、噂の相手の腕を取る。勝ち誇った顔で光彦の肩を抱くライバルに、颯太の胸はチクリと痛んだ。 「ねぇ、俺ついていかなくていいの?」 「今日はもういいよ。高志なら心配ないから。またね」  呆気なさすぎるほどにあっさりと、背を向けて遠ざかっていく想い人を見送りながら、颯太は切なさに深く息を吐く。  やっとそばにいることが許されたとは言っても、憧れの人はまだまだ遠くまるで手の届かない存在だった。

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