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第8話

 インターホンが鳴ると同時に、どうぞとも言わないのに玄関のドアが勝手に開かれる。  俳優みたいにハンサムな男は、よりにもよって真っ赤な薔薇の花束片手に我が物顔で『楽園』に上がり込んできた。中にいる颯太を見ても最近は犬と割り切っているせいか、全くいきり立ったりしない。 「おうジョン。ちゃんと番してたか」  森村は颯太のことを、以前彼の家で飼っていたドーベルマンの名前で呼ぶ。人間様を犬扱いするとんでもない人達が世の中こんなに大勢いていいのだろうかとも思うが、少々常人から外れている方々だけに仕方ないと、最近は自然に納得している。 「高志、いらっしゃい」  シャワーから出てものの5分も経っていないのに、神業的なすばやさで髪をサラサラに乾かし人気ブランドの新作に身を包んで登場した営業モードの光彦に、森村は露骨に見惚れブーケを差し出す。 「光彦、今日も綺麗だな」  気障なセリフ込みで、あまりにもけれん味たっぷりかつ嫌味なシチュエーションには相変わらずうんざりだ。  胸焼け死しそうになっている颯太に、ご主人様が天使の微笑を向けた。 「じゃあハチ、ちょっと外で待っててね」 「なんだったらそこで見てるか? 俺は別に構わないぜ。なんかさ、そういうのもちょっと燃えねぇ?」  頭空っぽの快楽主義男がとんでもないことを言い出した。人を犬呼ばわりしながら、犬並のケダモノ本能丸出しなのは果たしてどっちだろう。いや、そんなことを言ってはワンちゃん達に失礼だ。  この暴言にはさすがのぼんやり系のご主人様も頬を赤らめ怒り出すかと思いきや、本人ときたらてんでピンと来ない様子で、 「え~、燃えるのかなぁ? 僕としてはハチに見せるのはペット教育上よろしくないと思うんだけど」  と、涼やかな顔でのたまう。  颯太はガクッと肩を落とした。やはりご主人様は少々まともなネジがすっ飛んでいる。 「でもジョンの奴もいつもがんばって番してるみてぇだし、ちょっとはごほうびにおまえの綺麗なとことか可愛いとことか見せてやったら? なぁ?」 「結構ですっ」  何が「なぁ?」だ、バカヤロー、勝手にやってろよ、と心の中で悪態をつきつつ、大股で部屋を横切り外に出る。わざと大きな音を立てて扉を閉めてやり、そのままコンクリートの廊下に膝を抱えて座り込む。  森村は森村、自分は自分と思ってはいるけれど、このときばかりは認めたくはないが正直羨ましくなる。  金を払って光彦を抱くことはしたくない。その気持は以前と変わっていないが、健康な18歳の男の体は欲望に忠実だ。こんなふうに『楽園』の外でお預けをくらっていれば、触れたくてたまらなくなることだってある。  押入れの中からブタ貯金箱を出して来てご主人様の前で叩き割り、これで1回お願いしますと言えば、彼は抱かせてくれるだろう。他の客に対するのと同じ、ミステリアスな微笑を張り付かせた仮面のままで。  しかしきっとその瞬間に、颯太と彼との間に繋がったかけがえのない絆が壊れてしまいそうな気がする。だから、できない。  それでも、体だけでもいいから愛してあげたいと、切実に思う瞬間がある。それが簡単にできる森村の位置が、全く嫉ましくないと言ったらそれは嘘だ。  もしもさっき、ではお言葉に甘えてと見学を志願したら、光彦はどう答えただろう。ハチがそうしたいならそうすれば、くらいで軽くOKしそうな気がした。大好きな相手が本命と目される男に抱かれるのを、間近で見せられる颯太の気持なんか考えてもくれないで。    急にくやしくなった。意趣返しの意味も込めて、衝動的に覗いてやりたくなった。我ながら説明不能な心境は自虐の極致という奴か、それとも理由なき反抗なのか。  叩き付けるように閉めたドアを、音を忍ばせてそっと開けた。ワンルームマンションなので、幸いにも玄関から寝室まで視界を遮るものがない。15センチほどの隙間でもベッド全体が直接視界に入れられた。  二人ともまだ着衣のままだ。ベッドに腰掛けた森村の前に跪いて、光彦はその股間に両手を伸ばしていた。見たくもないのによく見える立派に屹立した恋敵の中心の上を、細い指が楽器を奏でるように滑らかに動く。光彦は時折紅い唇を寄せては、森村自身に口付けたり、丹念に舐め上げたりを繰り返す。  森村はうっとりと半分目を閉じ光彦の柔らかい髪を愛しげに撫でていたが、対照的に光彦の横顔は全く官能的には見えず、普段とたいして変わらない涼やかさを保っていた。  髪を撫でていた森村の手が伸び、光彦の胸元を開き中に差し込まれる。指が敏感な突起に触れたのか光彦は一瞬キュッと目を閉じたが、いやいやをするように首を振りいたずらな手を払うとまた奉仕に戻る。  止めていた息を颯太が深く吐いたとき、気配を感じたのか顔を上げた光彦と、偶然視線が合ってしまった。 「っ……」  光彦は瞬間素に戻った顔で瞳を見開いたが、次に浮かんだのは意外にも、なんともつらそうな苦笑だった。声を出さずに動いた唇は、ごめんね、と言ったように見えた。  颯太は目をそむけ、そのままそっと元通りドアを閉めると、壁によりかかったままズルズルと尻をついた。  ちょっと覗いてやったくらいじゃ何も感じないに違いないなんて、大きな思い違いだった。ごめんと言ってくれたのは、彼がこうして番をしている颯太のつらさをちゃんとわかってくれているからなのだ。  だったら、それだけでいい。きっと、これからも我慢できる。  たった今目にした刺激的な情景に素直に反応して股間は痛いほど硬くなっていたが、つらそうな微笑を思い返すと、ここで自分で解放してしまうのは彼への冒涜のような気がしてためらわれた。  見てはならないものを見てしまった自己嫌悪に、颯太はあーあと小さく呻いて顔を伏せる。もう二度と、番犬である自分がご主人様にあんな悲しそうな顔はさせまいと、痛む胸に堅く誓った。

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