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第10話
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生協で買物を済ませたところで、ポケットの中のスマホが震えた。あわてて取り出したそれを覗き、ディスプレイの名前がラグビー部の仲間であることを確認し、颯太は落胆と安堵半々の溜息をつく。
森村から光彦の過去を聞いてから、丸3日が過ぎた。その間光彦には会っていないし、番犬のお勤めの呼び出しメールもない。
そして颯太自身も、自分から光彦に会いに行く勇気がない。何も知らない振りで、平静を保っていられる自信がないのだ。
これまでは光彦がどこにいても探し出ししつこくつきまとっていた颯太の姿が全く見えないことを、彼もおかしいと思っているに違いなかったが、何も言ってこない。
まさかおしゃべりなバカ坊ちゃまが、秘密をバラしてしまったことを光彦に言ってしまい、顔を合わせづらく思っているのではないかと思うと、さらにいたたまれなくなった。
3日会っていないだけで、もうたまらなかった。また一人で遠くをみつめているのではないかと想像しただけで、胸が引き絞られるようにつらくなる。今はその目がみつめる先を、知っているだけになおさらだ。
一度しまいかけた携帯を取り出す。
やはり、思い切って連絡を取ってみよう。『今どこにいる?』と一言打って、返事が来たらそこに飛んでいく。その後のことは、会ってから考えればいい。
「よっす、颯太」
メールを打ち始めたとき背後から背を叩かれ、あわててスマホをポケットにしまいこむ。振り向くと、情報屋の加藤がのん気な顔で立っていた。
「加藤ちゃ~ん、俺今マジで切羽詰まった重要な局面迎えてたのよ? 悩みのない顔見せないでよ、全く」
「キモッ。なーに柄にもなく深刻ぶっこいちゃってんだよ。やめやめ。たこ焼き食いに行こーぜ」
「ダメ。俺これからちょっとね」
「もしや、遠野さん?」
その名前を口にした途端、相手の表情が急に深刻になったのが気になった。加藤もこれまで颯太が光彦を追い掛け回す様子を笑って見ていてくれた口だったので、そのわずか眉を寄せた顔がやけにひっかかった。
「え? 何だよ。何かあんの?」
「ちょっとこっち」
加藤は周囲を確認すると、颯太を遊歩道から人気のない建物の陰に引っ張っていく。いかにもトップシークレットといった風情で声を潜め、見聞の広い友人は告げる。
「あのさ、遠野さんだけど、ちょっとヤバイって話だぜ」
とっさに相手の胸倉を掴み上げた。
「ヤバイって何!」
「ちょ、ちょっと落ち着けって」
颯太の剣幕にあわてて両手を振る友人の怯えた顔に、一瞬カッとなった頭が冷えてくる。掴みかけた手を下ろし、不吉に騒ぐ胸を落ち着かせるが鼓動はやまない。
「悪い。でも何? あの人に何かあんなら、ちゃんと教えろよ」
「や、まだ確かな情報じゃないけどさ、『商売』のこと。なんか大学側で問題にしようとしてるらしいって」
3日と上げず悪いニュースを聞かされるのは、もう勘弁してもらいたい。それでも颯太には聞く義務があった。ご主人様に、最大の危機が迫っているかもしれないのだ。
「まさか。だってそれ表沙汰になるとまずい奴がゴロゴロいるんだぜ? 教授だけだって何人もあの人のお客でさ」
「や、俺もわかんないんだけどさ。客の誰かが密告ったらしいんだよね。そうすると大学側も聞かなかったことにはできないから、お咎めなしってわけにはいかないだろ?」
「マジかよ」
颯太は思わず頭を抱えた。光彦は、果たしてそのことを知っているのだろうか。
「遠野さんがっていうより、俺はおまえが心配なんだよ。あの人のこと好きなのは知ってっけど、おまえまで巻き添えくったらさ」
巻き添えという言葉に、湧き上がってきた怒りを堪える。加藤に悪気はない。友人として心から心配してくれているのだ。
「ありがたいけど加藤、俺あの人とは一蓮托生なんだわ」
「って、おまえやっぱあの人の客だったの? 金払って、やってたのかよ?」
「違う、俺は客じゃない。ペットの犬、番犬なんだ。犬は飼い主と一心同体だろ? だから絶対離れらんない」
言いながら、急に光彦に会いたくなった。
3日間、何をためらっていたのだろう。番犬は常にご主人様のそばにいて、お守りするのが役目じゃないか。過去がどうだとか、そんなことどうでもいい。
大切なのは今だ。そして今、彼は窮地に立たされつつある。
「加藤、教えてくれてサンキュ! 俺やっぱ行くわ」
「おまえってそういうヤツだよな」
肩をすくめ苦笑する友人に手を振り、颯太は駆け出した。
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