11 / 21

第11話

 番犬の務めは何だろう。それは守ること。そして癒すことだ。  ご主人様に危害を加える者があればそいつから守り、ご主人様が悲しいときは励まし、笑わせてあげる。余計なことは考えず、それだけやっていればいい。  顔を見たらまず、これからもずっと一緒にいるからと宣言しよう。そして、嫌がられても隣にいよう。  彼を守りたい。笑わせていたい。他には何も望まないから、そうさせていてほしい。  加藤と別れてからすぐに光彦の携帯に電話をしてみたが、電源が切れている云々といったお決まりのメッセージが流れるだけで、連絡がつかなかった。  同じゼミの上級生に聞くと、今日の彼は講義がないはずだとのこと。学内のどこにもその姿がないのを確認し、颯太は『楽園』――仕事場のウィークリーマンションへと走った。大学以外に彼の行きそうな場所は、颯太はそこしか知らなかった。    駆けつけた『楽園』の、扉を開こうとした手が止まった。ノブにクリスマスツリーのオーナメントみたいな、銀色の星の飾りが吊るされている。  それは光彦と颯太の間だけに通じる暗号で、中で今『仕事中』であるというサインだった。見張りの途中で颯太が急に中座したときに、戻ってきてそれがかかっていれば見張りを続け、なければ中に入ってもいいことになっていたのだ。  自分を番犬にしてからは仕事のときには常に見張りをさせていたのに、今光彦は以前のように一人で客を取っている。そのことが颯太の胸を微かな痛みに疼かせた。    冷たいドアに背をもたせかけ、息を整える。  仕事があるから来てくれと、どうしてメールしてくれなかったのだろう。この3日、自分が彼を避けていたから? その違和感に気付かれてしまったのだろうか。  視界の端に映った鈍く輝く銀の星に、颯太は指を伸ばしそっと触れる。二人だけに通じるサイン。それは光彦が、自分がここに来るのを期待してくれていたことを表してはいないだろうか。そう思うと、惑う胸が切ない甘さに癒された。    一刻も早く終わらせて、とっとと客を追い出して欲しい。顔を見て優しく微笑んでもらったら、今は不安で張り詰めているこの胸も、すぐに落ち着くだろうから。  待つこと10分。ガタン、と、中で何か重い物が投げ付けられるような音が聞こえ、颯太はドアによりかかっていた背をあわてて起こした。  続いて何かを激しく叩き付ける不快な音と共に、壁が震えるほどの振動が伝わり、それに交じって男の怒鳴り声が漏れてくる。光彦の声ではない。  嫌な予感に体が震えた。反射的にドアを拳で叩く。 「みっちゃん!」  本人の声で返事はなく、ただヒステリックな男の声だけが響いてくる。  仕事中に中に入ることは堅く禁じられていたが、ためらっている余裕はなかった。颯太は鍵のかかっていないドアを一気に押し開け、室内に飛び込んだ。 「っ……!」  視界に入ってきた光景に一瞬凍り付く。  床には電気ポットが転がり、ベッドの位置は大きくずれている。そしてそのベッドではなく床の上で、光彦にのしかかっている上半身裸の男は、しつこく彼にアプローチしていたストーカーの杉本だった。  フローリングの硬い床に全裸で組み敷かれた光彦の表情は男の影になって見えなかったが、杉本の右手がその細い首にかかっているのがわかった。抵抗しようと力なく上げられた、細く真っ白な二の腕に、幾筋かの赤い線が走っているのを見た瞬間、颯太の頭は爆発した。 「てめぇ、何してやがんだよっ!」  とびかかり、暴漢を光彦から引き剥がすと、手加減せずに右ストレートをお見舞いした。壁にぶち当たりつぶされたカエルみたいに無様な声を上げる男を、すかさずひきずり起こしボディに重い拳を入れる。転がったところを容赦なく蹴り付ける。 「ブッ殺してやる!」  頭に血が上り、完全に歯止めが利かなかった。理性を取り戻させたのは、飼い主の力ない掠れ声だ。 「ハチ……やめて」 「だってこいつみっちゃんを……!」 「いいから、やめて」  振り向いた。光彦は毛布で身を包んでうずくまり、漆黒の瞳を颯太にまっすぐ向けていた。その瞳のまるっきりがらんどうな空虚さに、颯太は思わず息を飲む。 「ったく、冗談じゃないぜ」  男のふてぶてしい声が吐き捨てた。 「こっちは高い金払ってんだ。その分だけ楽しませてもらって何が悪いんだよ」 「このっ……!」 「ハチ!」  愛しい人の声が、迸る怒りをかろうじて抑え付ける。杉本はビクつきながら怯えた表情で颯太を一睨みすると、そそくさと拾い上げたTシャツを身に付けよろめきながら踵を返しかける。  ドアに手をかけ、振り向いた。 「でもな遠野、おまえももう終わりだぞ。おまえの商売のこと、俺が学生課長に密告ってやったからな。いくら優等生っつったってこれだけのスキャンダルじゃ、そのうち処分があるだろうよ。俺を軽く扱った罰だ」  ヒステリックに高笑いしながら部屋を飛び出していく男を、今度こそ息の根を止めてやると飛び出しかけた手が背後から掴まれた。びっくりするほど冷たい相手の手に、猛る怒りが一気に引いた。

ともだちにシェアしよう!