12 / 21
第12話
「ったく、冗談じゃないぜ」
男のふてぶてしい声が吐き捨てた。
「こっちは高い金払ってんだ。その分だけ楽しませてもらって何が悪いんだよ」
「このっ……!」
「ハチ!」
愛しい人の声が、迸る怒りをかろうじて抑え付ける。杉本はビクつきながら怯えた表情で颯太を一睨みすると、そそくさと拾い上げたTシャツを身に付けよろめきながら踵を返しかける。
ドアに手をかけ、振り向いた。
「でもな遠野、おまえももう終わりだぞ。おまえの商売のこと、俺が学生課長に密告ってやったからな。いくら優等生っつったってこれだけのスキャンダルじゃ、そのうち処分があるだろうよ。俺を軽く扱った罰だ」
ヒステリックに高笑いしながら部屋を飛び出していく男を、今度こそ息の根を止めてやると飛び出しかけた手が背後から掴まれた。びっくりするほど冷たい相手の手に、猛る怒りが一気に引いた。
「みっちゃん! 大丈夫?」
しゃがみこんでその手を両手で取り、どうしていいかわからずとにかく必死でさすった。白い首に残る、手の形の痣が痛々しい。
「腕のとこ、ケガしてたよね。救急箱あるから、ちょっと待って」
「ハチ……」
立ち上がろうとした颯太を、光彦のか細い声が引き止める。俯きがちに伏せられた瞳、血の気のない唇。今にも消えてしまいそうな希薄な存在感。
ペットはご主人様にじゃれつくのはいいが、特別な意味を込めて触れることは許されていない。それでも今は、たとえ叱られようとも我慢できなかった。
颯太は手を伸ばし、細い体を毛布の上からそっとくるむように抱き締めた。微かな震えが伝わってきて、胸が痛む。
「ごめんね。俺、番犬として失格だね」
「そんなことないよ。今、助けてくれたじゃない」
光彦は長い睫毛を震わせ、控えめに颯太の方へ身を寄せる。
「もう、来てくれないかと思ってた……」
聞こえないくらいのか細い声が耳朶を打ち、 颯太は後悔と痛みでギュッと唇を噛み締める。
「何で? 来ないわけないでしょ? 俺ペットなんだから。あ、もし捨てるんだったらダンボールじゃなくて、桐のお箱かなんか入れてくださいよね。ボクってお育ちがよろしいので」
光彦は少しだけ声を出して笑った。ひどく寂しい笑いだったが、形だけでも笑顔を見せてくれたことに颯太は安堵する。
ベッドに背をもたせ並んで座り、小さな頭を肩に乗せさせてやると、光彦は安心したように息を吐いた。サラサラといい匂いのする髪に口付けたいのを、かろうじて堪える。
「ねぇ、これからは俺のいないとき、一人で仕事しないでよね」
光彦はわかったとも言わず、頷きもせず、いつもの読めない微笑で静かに口を開く。
「ああいうことは、たまにあるんだ」
「そんな……冗談じゃねぇよ!」
「お金をもらって体を売るって、そういうことなんだと思う。だから仕方ないんだって、ずっとそう思って、諦めてた」
綺麗な声の独白は、真っ白い部屋に静かに染み入る。反論したかったが、途中で遮るのがなんとなくためらわれて、颯太は黙って聞いている。
「でもね、おまえが屋上で好きだって言ってくれたときに、ちょっと夢をみたくなっちゃったんだな。犬になれなんて普通なら断るだろうに、それもOKしてくれたくらいだから、もしかしたら僕の夢に付き合ってくれるかなって」
「夢……?」
「うん。誰かが隣にいて、大丈夫だよっていつも言ってくれる、そんな夢」
肩を抱いていた手をずらし髪を撫でてやると、光彦は気持よさそうに瞼を伏せた。
「理工学部工学科1年のカッコイイ高山颯太君は、いつも明るくて楽しそうに笑ってたから、見てると幸せな気分になれたんだよね。一緒にいれば、その光で僕を包んでくれるんじゃないかと思った」
光彦は深く息を吐く。
「ごめんね、迷惑かけちゃって」
「あのさ、あなた忘れてもらっちゃ困るんだけど」
なるべく明るい声を作って、颯太は口を開いた。
「そばにいさせてほしいっつったの、俺の方ですからね。何度も言うけど、俺あなたにぞっこんなの。好きなの。夢中なの、マジで。迷惑とかさ、そういう、こっちの気持を疑うようなことは言わないでくれる?」
白い頬を人差し指でつつくと、光彦は吸い寄せられそうな漆黒の瞳を見開いて颯太を見返してきた。内心の切なさを押し殺し全開の笑顔を向けてあげると、寂しい人もほのかに笑い返してくれる。
「そばにいるからね」
会ったらすぐに言おうと思っていたことを、やっと告げられた。
「今日みたいなこと、二度とないようにするからね。俺の方こそ、一人にしてごめん」
じっと颯太をみつめていた光彦は、何か言いたげに紅い唇を開きかけたがそのまま閉じ、瞼を下ろして颯太の肩に額をこすりつけた。控えめに甘えてくる孤独な猫みたいなその仕草が、彼の自分に対する信頼を表してくれているようで愛しさが募り、颯太はもう一度しっかりとその細い肩を抱き寄せた。
ともだちにシェアしよう!