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第17話
「でもさぁ、俺みっちゃんにも少し怒ってんだよ。謹慎になったこと、どうしてすぐ知らせてくれなかったんだよ」
深刻にならないようできるだけ軽い調子で言ったが、本当はその細い肩を掴んで揺さぶりたいくらいだった。
「だって、ハチが心配するだろうと思ったから」
「なんであなただけ謹慎しなきゃいけないの? だったら客全部謹慎当たり前でしょ。 教授連中もさー」
「こういうことには必ずスケープゴートが必要なんだよ。誰かが犠牲になってくれれば、みんな安心する。自分はもう大丈夫だって」
「あり得ねぇだろ。みんなあなたに夢中でそれこそ天使様みたいに崇めてたくせに、コロッと手のひら返しやがって。俺あいつら全員マジ許さないかんね」
「許してあげようよハチ。人って弱い生き物なんだよ。それに僕は捨てられ体質だから、切られることには慣れてるんだ」
「笑いながらなんつぅこと言ってんの、あなた。怒るよ? ホント」
「わ、怒られてしまった。でも僕は……今とても感動している」
「何にさ? いい話ならおすそ分けして。この世知辛い世の中、俺も感動に飢えてるもん」
「つまり、ハチはここに来てくれた」
「うん?」
「おまえは、僕を捨てない。そう?」
「何当たり前のこと言ってんの。捨てる捨てないはあなたの権限でしょ? 俺は犬だからついてくだけです」
「そうか……」
光彦はつぶやき、戸惑うほど深い眼差しを上げ颯太をみつめてきた。
「人間は弱い生き物だ。でも中には、強い生き物もいるんだね」
いたたまれなくなって思わず俯いた。
もっともっと、強い生き物になりたい。映画のヒーローみたいに、暗い谷底からでも軽々と彼を救えるほどのタフな強さが欲しい。
「俺、強くなんかねぇよ。あなたに何もしてあげられないんだから。けど、せめてさ」
貯金箱のブタの丸いお尻を両手で光彦の方に押し出す。
「これ、もらって」
「あ、やっとその気になった? 今ならご予約なしで時間無制限OKだよ」
「違う、商売のお金じゃなくて、これは寄付。お布施。あげたいの。俺のこづかいを、あなたのために使わせてください」
光彦はいつもの読めない微笑で、愛嬌のあるブタと颯太の顔を交互に見ている。
「同情なんかまっぴらだ、とか、施しなんか受けるか、とか怒って突っ返すと思ったら大間違いだよ? とことん貧乏で切羽詰ってると、プライドってなくなるんだよね。ハチはせっかく貯めた全財産を、ただで僕に丸取られだよ。いいの?」
「いい。丸取りして。それでさ、あと借金どのくらいあるの?」
「んー、わかんないな。ン千万円くらい」
「ちゃんと計算しよう。それでさ、2人で1日何円づつ返して行けば何年後に終わるとかって、ちゃんと紙に書いて計画立ててみよう」
沈黙が降りた。光彦の口元から微笑が消え、戸惑いが取って代わった。
「僕の借金は僕の物で、ハチとは関係ないよ?」
「ご主人様の借金は、犬である俺の借金でもあるんです。俺がんばって稼ぐ。今よりもっといいバイト探すし。ヌードショーとか」
「ヌードショー? なんかすごいねそれ。どういうことするの?」
「チャラチャラ舞台流して、お金持ちの女の人にパンツにお札挟んでもらったりするヤツ。実は裸ちょっと自信あるし。結構マダム層に人気出ちゃって、メジャーデビューしちゃうかもしんない」
「うわぁ、そしたらハチも謹慎処分だ」
「いいじゃない、謹慎上等。一緒に張り切って働いて借金返そうよ」
「おまえに言われると、借金返済も楽しそうに思えてくるから不思議だね」
「楽しいよ、きっと。俺みたいなバカが一緒いるといいでしょ。気が紛れるでしょ?」
「うん……」
曖昧に頷いて光彦は静かに視線を落としたが、じゃあそうしよう、とは言ってくれない。黙したまま貯金箱のブタに手を伸ばし、そっとその頭を撫でている。
もっと、言わなければならないことがあった。今、それを言わせてしまってほしかった。今朝の朝刊の星占いは見てこなかったけれど、どうか星3つでありますようにと、颯太は真剣に祈った。
「……どっちかって……俺、考えてて……」
「ん?」
「こないだの。でも、やっぱ思ったんだ。置いていってくれたから、俺、あなたに会えた。だからみっちゃんのお父さんとお母さんが、みっちゃんを連れていかなくてよかったって……」
さすがに相手の顔を見られなかった。親に捨てられたも同然に心中されてしまった人間を前に、のん気な他人が言える台詞ではなかった。
それでも、それが今の颯太の本心だった。無神経な発言に引っぱたかれても絶交されても、そのことだけはちゃんと伝えておきたかったのだ。
「みっちゃんにこういう未来もあることを、2人は知ってたのかなって。だから俺が2人の代わりに、あなたを笑わせていたいんだ。金はないよ。でも、俺だけがあげられるものが絶対、あるはずだから。だから……」
そのまま勢いにまかせ頭を下げる。額がギザギザした畳にぶつかった。
「お願いします! 一生そばにいさせてください!」
沈黙が空間を満たす。1秒ごとに、判決を待つ被告人みたいにいたたまれない気分にさせられる。
たっぷり1分の沈黙の後、クックッと喉の奥で押し殺すような笑い声が聞こえた。思わず顔を上げる。
「何だよ、笑ってんのかよ! ったく、人の一大告白をー」
光彦は堪えきれなくなったのかついには体を折って笑い出し、ふくれる颯太をなだめるように片手を振って起き上がると、目尻をサッと細い指で拭った。それが笑い過ぎた涙にはなんとなく見えなくて、胸がチクリと痛く切なくなった。
「ごめんごめん。ハチらしいストレートな告白に、つい胸を打たれてしまった」
「胸を打たれるとバカウケするんですか、あなたは。ちょっと失礼だと思いません? じゃあさ、森村方式の方がいいっての? 薔薇より美しい俺だけの光彦、そのスイートエンジェルボイスでこのココロを一生溶かしてくれ~、みたいな」
「やめてやめて、笑い死ぬから。あーあ、ホントおまえって面白いや」
「だからー、一緒にいさせてくれれば一生面白くしてやるよ」
「借金まみれでも?」
「そう、借金まみれの悲惨で泣けちゃう状況でも。そんなの忘れちまうくらい、毎日面白く生きてこうよ」
光彦は淡い微笑を返すと、ふいと颯太から視線をはずした。そして自身に言い聞かせるようにそっとつぶやく。
「連れていかなかったのも愛なのか……。考えたこともなかったな……」
そして改めて向けられた瞳は、隠しようもない深い想いを表していた。光彦にそんな熱のこもった目でみつめられることは初めてで、颯太は戸惑い緊張する胸が震えた。
「颯太」
初めて、犬でない名前で呼ばれ驚いた。思わず背筋が伸びる。
「はいっ?」
「しようか」
聞き違えたのかと耳を疑う。
「え……えっ?」
「しようよ」
「で、でもその、このお金は借金のために……」
「いらないよ。もう商売はやめた。今は、僕がしたいからするんだ」
「や……したいって、俺と?」
「どうしてだろうね。いつからか、商売するのがすごく嫌になったんだ。こんな体、どうでもいいって思ってたはずなのに。それで、気付いたんだよ。してる間、君のことばかり考えてるなって。相手が、颯太だったらいいのになって」
俯き加減で視線を逸らし、言いづらそうに小声で告げる光彦は、淡々としたいつもの彼に似つかわしくない恥じらいを秘めている。体の芯から熱が急速に上がってきた。
「嘘……いいの……?」
答えの代わりに細い両腕が伸ばされ、そっと首に回された。いつもの光彦のいい香りが近くなった。
手は届かないものとずっと我慢してきた尊い瞳が、唇が、すぐ目の前にあった。一気に切なさが突き上げて、それでも性急に触れたら消えてなくなってしまいそうで、儚い背中に恐る恐る手を回し、そっと抱き締めた。
「君が好きだ」
耳元で囁かれた一言に返そうと思っても、声を出したら嬉しくて泣き出してしまいそうで、ただ腕に力を込めることで答えた。嬉し涙で霞んだ目が、貯金箱のブタの愛嬌たっぷりのつぶらな瞳とぶつかった。なんだか少し恥ずかしかったけれど、彼女はもちろんからかったり突っ込んだりせず、よかったね、とただ祝福してくれているように見えた。
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