327 / 347

本能

チュル...... 「.....ん、悪くない...」 「........!!」 目の前に広がる光景と空気に広がる濃い血の匂い。 首筋を吸い上げる音と、それに混ざる美波さんの呟きに身体がゾワッとした。 心臓がドクドクと脈打つ。 冷えた指先が僅かに震えていた。 力なくもたれ掛かる、自分より大きな体を美波さんは軽々と受け止めていて。 意識を手放したその男性の姿に、悠さんの姿が重なった。 同時に思い出される、あの芳醇で甘い悠さんの血の味。 目眩がしそうなほど甘美なあの一時... 身体が熱く、耳の奥に響く血流の音が煩い。 無意識のうちに唾を飲み込んでいた。 本能的に悠さんを欲している。 それが自分はこの人と同じ吸血鬼であることを自覚させられ、やけに不快だった。 「何考えて...」 ようやく振り絞った声は掠れており、乾いた唇を手で覆った。 「....欲しくならない?」 「は...?」 ゆっくりと男性から唇を離し、ぐったりとした体を床に座らせると美波さんは俺を振り返った。 妖しく微笑むその表情と、赤く染まった唇にどこか寒気を感じる。 俺もあんな顔をしているのだろうか...本能に従って愛しい人の血を吸った時に、、 「これだけ血の匂いがしていれば、吸血鬼なら欲しくなる。...でしょ?」 挑発するように言われ眉が寄った。 『そんなことはない』...とは言えなかった。 以前の俺なら欲しいなんて思わなかった。 この喉の渇きを知ることはなかった。 今でも見知らぬ人の血を吸いたいとは思わない。 けれど....悠さんなら? 今あの人がここにいたら、俺は我慢出来るだろうか。 あの白い首筋に牙を立てずにいられるだろうか... 「秋山くんも吸わない?この人、悪くないよ。」 「....一緒にするな、俺とあんたを。」 真っ直ぐに見据え伝える。 確かに悠さんの血の味を知った今では、こうやって血の香りに触発されて喉の渇きを感じている。 強くあの人を求めている。 それでも...悠さん以外の人間の血が欲しいとは思わない。 どんなに餓えを感じていようとも、こんな風に人を『獲物』として捉えることは絶対にない。 「俺は吸血鬼だけど、あんたとは違う。誰彼構わず襲うようなことはしない。」 低く吐き捨てるような口調に気分を悪くするでもなくクスクスと笑うと、美波さんは「ふーん...」と呟き長い前髪を掻き上げた。 「面白いね、よく似ているのに...全く違う。」 「...........」 『似ている』 この人が俺と誰かを比べているのは明らかで、ロビーでも言われた言葉に無言で先を促した。 「...パートナーとでも言うのかな。一緒に組んでたやつがいてね。こうやって誰かを襲っては共有してた。」 「共有...」 嫌な話に胸が悪くなる。 この人は昔の清司さんと同じことを言っている。 「色々あってさ、今はもう居ないけど。....でもあの頃の楽しさ忘れられないんだよね。」 「...それで俺に『組もう』って?」 冷たい声が出る。 この人は昔組んでたツレのように、今度は俺と『獲物』を狙いたいのか。 自分の欲のため、快楽のため...それだけの為に。 「そ。楽しいよ?それに一度血を吸ったくらい、別にどうってことはない。ホテルにでも連れ込めば翌朝一人で目覚めるだけだし?見た目好みならセックスだって楽しめる。」 「...最低だな。」 「そうかな。一夜限りの関係なんて、みんなやってることでしょ。俺達の場合、そこにちょっと味見が加わるだけで。『遊び』だよ、こんなの。」 全く悪びれた様子もなく紡がれる言葉に、どんどんと苛立ちが大きくなる。 明らかな嫌悪を込めた眼差しで見つめていれば、「睨んでも綺麗だね。」と微笑まれた。 「秋山くんさ、どこか似てるんだよね。アイツに。顔の作りもだけど...特に髪が。」 コツ...と靴音を響かせ近付くと、白く長い指が俺の髪に伸びてくる。 「触るな。」 その手首を掴み強く言えば、ゆっくりと視線が向けられた。 掴んでいた手に力が籠る。 「...ほら、この力の強さ。君はさ吸血鬼なんだから...そのことをもっと楽しもうよ。」 「......」 「だいたいさ、秋山くんからだって血の匂いするよ。すごく甘くて...魅力的な匂い。これ、君自身の血の匂いじゃないよね。」 「!!」 身体をグッと近づけ、スンッと嗅がれる。 咄嗟に手を離し一歩後ずされば、愉しそうに見つめられた。 「どんなに綺麗事言ってみても君だって『吸血鬼』。美味しそうな血を前にして我慢なんてできないんだよ。だからさ....こっちに来なよ。一緒に遊ぼう?」 そう言って微笑む美波さんは、本当に愉しそうで。 さっきロビーで見せていた好意的な印象は微塵も感じなかった。 「断る」 視線を逸らすことなく、ハッキリと口にする。 美波さんが言っていることは気に入らないが、それでも否定できないのも確かだ。 ...だからといって流されるつもりもない。 「あんたがやってること俺が止める理由なんてないし、止めるつもりもない。吸血鬼である以上人の血が欲しいのは本能だ、それは認めるよ。」 「...へぇ」 そこまで伝えると壁に背を預け眠っている男性に視線を向けた。 俺に話を持ちかけるためだけに犠牲になった彼に申し訳ない気持ちになる。 「だけど俺はやらない。これからも『遊び』たいのなら、一人で勝手にやれば良い。」 ハッキリとそう伝えると、足を踏み出し意識を失った男性の側にしゃがみこむ。 着ていたジャケットのポケットを探れば、すぐにカードキーが見つかった。 「話は終わっただろ。この人は俺が運ぶから、あんたはさっさと帰れ。人が来たら面倒だ。」 「...残念。」 そう言って美波さんは俺の横を通りすぎると、出口で一度立ち止まった。 「じゃーね、秋山くん。また明日。」 ニッコリと微笑みながら手を振られる。 それに返事をすることなく男性の身体を持ち上げていれば、カタン....とレストルームの扉が締まる音が聞こえた。 「......っ、」 背中におぶった男性の血の匂いが鼻を擽る。 美波さんが『悪くない』と言っていたように、確かに美味しそうな香りがしていた。 知らずと喉が鳴った。 この人が欲しい訳じゃない。 .....けど、渇きを感じているのも事実だった―。

ともだちにシェアしよう!