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本能2
「お帰り、蒼牙....どうした?」
「.......悠、」
大きく深呼吸をして開けた玄関の先、帰宅してルーム着に着替えた悠さんが出迎えてくれた。
いつもならそれがバカほど嬉しくて...仕事の疲れも飛ぶというのに。
今日は素直に喜ぶことができない。
ダメだ。
身体が...嗅覚がやけに研ぎ澄まされていて、悠さんから昇る血の香りがいつも以上に強く感じられた。
欲しい。
何も考えず思うがままに吸いつくしたい...
身体が悠さんを欲しているのが分かる。
これほど一方的な欲を押し付けたくなどないのに。
俺の様子を不審に思ったのか、悠さんの顔が僅かに曇る。
そうして伸ばされてきた手を、俺は咄嗟に避けてしまった。
しまった...そう思った時にはすでに遅かった。
「....蒼牙?」
悠さんの顔が一瞬傷付いたものになる。
胸がズキッと傷む。
違う、そんな顔をさせたいわけじゃない。
「あ..、ただいま」
自分勝手な思いで傷つけた、そう思うと悠さんの顔を見ることができない。
ごまかすように告げれば「...とにかく入れよ。」と悠さんが踵を返した。
「......ッ!」
フワッと血の匂いが昇る。
空気の流れに乗ったその香りに、気付けば腕が伸びていた。
「え、うわっ...!」
「.............」
引き寄せた身体を強く抱き締めた。
早鐘のように鳴る心臓の音が煩い。
身体が熱くてどうしようもない。
『渇きを潤したい』
頭の中で響く、一方的で醜い欲望。
「蒼牙?.....っ!!」
本能に突き動かされ悠さんの首筋に咬みついた。
牙を薄い皮膚に突き立て、力を込めようとしたその瞬間。
『どんなに綺麗事言ってみても君だって吸血鬼。美味しそうな血を前にして我慢なんてできないんだよ....』
美波さんの言葉が頭を過った。
ドクッ....!
心臓が強く鳴る。
このまま食らい付きたい。
だけど...それ以上牙を食い込ませることができなかった。
「...どうした?」
悠さんの手が優しく後頭部を撫でてくれる。
拒絶するのではなく受け入れてくれようとしている、それが俺に一気に理性を取り戻させてくれた。
熱をもつ身体とは対照的に冷えていく頭。
幼子をあやすように、甘えさせるように...穏やかな優しいその手の動きに荒ぶっていた感情が落ち着いていった。
「....ごめん」
ゆっくり顔を上げ、悠さんを見つめた。
戸惑ったような表情。
いきなり血を吸われそうになって、きっと怖がらせた。
優しく大切にしたいのに。
こんなにも愛しい人に、醜い欲望をぶつけようとした...
「...っ、怖がらせて...ほんと、ごめん。」
揺れる瞳に口付けながら謝る。
この人は俺の暴走を受け入れようとしてくれた。
危うくそれに甘んじるところだった...情けない。
自己嫌悪に陥りながら優しく触れれば、悠さんの大きな手が俺の顔を包んだ。
「勘違いするな。」
「悠?」
ハッキリとした口調で告げられる。
その瞳は強い意思を持っていて、逸らされることなく俺を見つめてきていた。
「ビックリしただけだ。怖かったんじゃない。」
「.........」
「お前に血を吸われるのを『怖い』と感じたことなんか一度もない。だから、勘違いするな。」
諭すように告げられた言葉に泣きたい気持ちになった。
本当に、なんて強くて綺麗な人なんだろうか...
「........ん、」
小さく頷く。
笑おうとしたのに、嬉しさと情けなさ、色んな感情が邪魔をして上手く笑えなかった。
チュッ...
柔らかい唇が重なり、暖かい身体に抱き締められる。
理性を揺るがす魅力的な香り。
だけどそれ以上に、抱き締めてくれるこの人の腕が心地よい。
「何かあったんだろ?話したくないなら今は聞かないから...だからそんな顔するな。」
事情を聞かないでくれる優しさに喉が詰まった。
ごめん、本当に...
強く抱き締め返しながら、心の中で何度も謝る。
でもきっと、悠さんが聞きたいのは謝罪なんかじゃない。
「ありがとう、悠...」
「ン....」
言葉と共に、柔らかい唇に口づける。
存在を確かめるように、想いを伝えるように。
やがて悠さんから舌を差し出してくれるまで、何度も唇を重ねたー。
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