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装い

「あれ?悠くん」 偶然を装い、パンを選んでいた彼に声を掛けた。 名前を呼ばれこちらを向いた悠くんは、一瞬驚いた顔を見せたあと困ったように笑う。 「…雛森さん。すごい偶然ですね、こんな所で合うなんて。」 そりゃあ待ち伏せてたからね…心の中で呟きながら「そうだね。」と返した。 困ったように笑う彼の表情に、胸の中がザワザワする。 …やっぱり美味しそうな香りがするな。 「仕事の休憩?お疲れさま。」 にこやかにそう言えば、悠くんはパンを掲げながら笑う。 「ええ。久しぶりに菓子パンが食いたくなって。雛森さん、今日は?」 俺がここにいる理由を訪ねてくる彼に、肩を竦めて見せる。 「俺は今日は休み。友人と会う予定だったんだけどね、都合悪くなったらしくて…。」 残念そうにでまかせを言う。 俺の言葉を信じた悠くんは、「それは残念でしたね。」と眉を下げている。 「ホント、せっかく出てきたのに…あぁ、でも良いこともあったな。悠くんに会えた。」 「…え?」 俺がそう言うと、彼はまじまじと顔を見つめてくる。 …綺麗な目だな。 正面から見つめ返すと、少し逸らされてしまったけれど。 「ねぇ、夕食に付き合ってよ。」 「え…、」 明らかに戸惑った様子にクスッと笑う。 分かりやすい反応。 断ろうとするのなんてお見通しだよ。 だから、先に逃げ道を塞いでいく。 「せっかく来たのに何もしないで帰るのもつまらないし。それに、いつもメールで断られてるからね。一回くらい付き合ってよ。」 手を顔の前に持ち上げ、片手で「お願い」と示す。 こう言えば彼はきっと断れないだろう。 「…すみません、いつも。解りました。じゃあ今晩は都合をつけます。」 …よし、かかった。 内心ほくそ笑みながら、「ありがとうね。」と人の良い笑顔を向けた。 「篠崎、知り合いか?」 「あぁ、木内。」 木内と呼ばれた男は悠くんの肩に親しげに触れ俺を見る。 肩に置かれたその手に視線を向けた。 …ソイツに触れるな。 自分の心に沸いた黒い感情、それに戸惑う。 俺は表面上はにこやかに笑い会釈をすると、もう一度悠くんに向き直った。 「じゃあ、また後でメールするよ。…あ、蒼牙も呼ぶ?」 俺がそう言うと、悠くんは少し意外そうな顔をしてみせた。 「…出来れば、そうしてもらえると有難いです。」 素直にそう言う彼が可笑しくて、俺はカラカラと笑ったー。

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