163 / 347
遭遇
side 蒼牙
悠さんと会った土曜日、抱き締めた身体から他の男の香りがして···どうしようもなく気持ちが荒ぶった。
数日前から遊びに来ているという弟さんの香りだろうか···普通に暮らしていて肌に匂いが移るなんてことがあるわけがない。
俺がそうするように、弟さんも悠さんを抱き締めたのかもしれないと思うと心穏やかではいられなかった。
悠さんにしてみれば兄弟同士のスキンシップであって、匂いが移っていることなんか全く気がついていないのだろうけど。
それでも俺の嫉妬心を刺激するには十分で。
本当は朝まで悠さんを離すつもりはなくて、飲んだ後は俺のアパートに一緒に帰るつもりでいた。
でも他の男の香りを纏った悠さんに、優しく接することなんか出来そうになくて。
俺の勝手な嫉妬で悠さんを傷付けるような真似だけはしたくない。
だから、まだ我慢できるうちに悠さんと別れた。
一晩たてば気持ちも落ち着くかもしれないと···そう思った。
なのに急に体調を崩した同僚の代わりに仕事が早まり結局会うことができなくなって···そのままスレ違いが続いてしまい、気付けばあれからまた三日が経過していた。
平日の今日。
俺は仕事が休みで、一人でアパートにいるのもつまらなくて外出した。
悠さんと付き合いだしてからは休みの日は悠さんのアパートにお邪魔していて、仕事を終えて帰ってくるあの人の為に晩御飯を準備して待つのが当たり前になっていた。
街の中、暫くは一人でブラブラしていたが楽しく感じることなんか何もなくて。
知らない人間に声をかけられる度にうんざりする。以前なら丁寧に断っていた誘いも、心に余裕がない今では少し冷たいものになってしまう。
こんなに時間の経過は長く感じるものだったろうか。
悠さんといる時にはあっという間に過ぎていくのに···。
会いたい。
笑顔が見たい。
暖かいあの人の身体を抱き締めたい。
仕方がなかったとはいえ、もう限界だった。
気付けば俺は悠さんのアパートの方に向かっていて、その足は少しずつ速くなっていく。
何でもいいから理由をつけて悠さんと過ごしたい。二人きりの甘い時間は過ごせなくても、あの人と一緒にいられるのならそれでいいから。
逸る心を抑えながら、忍耐力のない自分に呆れて笑ったー。
途中、悠さんのアパートの近くにあるコンビニに寄る。
店内は客も少なく、やる気のなさそうなアルバイトに迎えられながら奥にある酒コーナーに向かった。先客がいたがもう離れるだろうと側まで近付き、目的の缶ビールに手を伸ばした。
数本を取り離れようとしたその時····ひどく覚えのある香水の香りがして、立ち止まった。
この香りは···
ゆっくりと視線を隣に向ける。
そこには俺と同じ位の年齢の男が立っていた。
手には俺が選んだのと同じ悠さんの一番好きな銘柄のビールを持ち、その男もまた俺を見ていた。
背が高く、均整のとれた身体。
全体的に長めの髪を弛くカールさせ、片方を耳にかけている。
中性的で綺麗な顔つきをしたその男は、切れ長な瞳で俺を見定めるように見つめていた。
心臓がドクッと音をたて、戦慄いた。
瞬時に悟る。
この人が悠さんの弟だ。
そして····
「あぁ、ゴメンね。その腕時計、自社ブランドだったからつい見てしまって。」
俺の手を指さしながらその男は笑った。
雰囲気こそは柔らかいが、笑っているその瞳の奥は冷たく感じた。
「いえ、こちらこそじろじろ見てしまって。失礼ですけど、···篠崎さん、ですよね?」
向かい合い真っ直ぐに目を見ながら確認する。
俺がそう言うと男は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに元の笑顔に戻ると手を差し出しながら頷いた。
「よく分かったね。···はじめまして、『秋山くん』?」
差し出された手を握り返しながら、頭が警鐘を鳴らすのを感じた。
この人は····
「せっかくだし、兄さんのアパートに来たら?····ていうか、そのつもりだったのかな?」
缶ビールに目を向けながらそう言ってくる篠崎さんに、俺も笑い返した。
「···ええ、そのつもりです。」
互いに笑いながらも、空気は張り詰めているのが分かる。
この人が悠さんに匂いを移した。
あの視線、間違いない。
俺を敵視している。
『弟』だって?
そう思っているのは悠さんだけだ。
この人は『男』だー。
ともだちにシェアしよう!