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引っ越し祝いの副産物
side 悠
蒼牙との同棲が始まり暫くたったころ、社員食堂で木内が声を掛けてきた。
「篠崎、彼女との暮らしはどうだ?」
あまりにも突然の質問に飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる。
「ッ、何だよ、急に。」
口を拭いながら木内を見ると、ニヤニヤしながら自分の首筋を指差した。
···あ、嫌な予感がする。
「相変わらず積極的な彼女だな。うっすらだけど付いてんぞ、キスマーク。」
そう指摘されて思わず首筋を手で押さえた。
今朝、出勤前に玄関で引き留められその場で『行ってらっしゃい』とキスをされた。
次いで『クールビズでネクタイを外すのは良いですけど、あんまりボタンを外したらダメですよ。』と訳のわからないことを言って首筋を軽く吸われもしたが···あの時か!
「いいねぇ、積極的な恋人なんて、最高じゃないか。···ということで、はい。」
首を押さえたまま黙っていると、木内が紙袋を渡してきた。
「なんだ?これ。」
ガサガサと渡された袋を受け取りながら訊ねる。
「うん、引っ越し祝いしてなかっただろ。だから、それやる。」
「え、···ありがとう。」
まさか祝いをしてくれるとは思っていなかったので、素直にお礼を言って紙袋を見た。
プレゼント包装されてはいないが中には袋に入った白い服らしきものが入っている。
取り出そうと手を伸ばし、そのまま俺はフリーズした。
···ちょっと待て。これ、もしかして。
見覚えのある白さ。
視界にニヤニヤと笑う木内が入ってきて、俺の反応を楽しんでいるのが分かった。
「····木内、これ···」
「なんだ、出す前にそれが何か気づいたか。ここで広げてお前がテンパるところが見たかったのに。」
人の悪い笑顔を浮かべて木内は紙袋を指差した。
「言っとくが、ちゃんと新品だからな。」
「····お前、これを俺にどうしろと言うんだ··?」
袋の口を何となく手で隠しながら木内を見つめた。
新品とか中古とか、そんなことはどうでもいい。
それよりも、どうしてこんなものを俺に渡すのかが分からない。
面白がっているのが丸わかりな友人を軽く睨みつけると、木内はニッと悪いながら腕を組んだ。
「どうするって、それの使い道は一つだろ。彼女との営みにたまには変化をつけなきゃな。いいぞ『お医者さんごっこ』。」
「なっ!お前、ふざけんなよ!」
言われた言葉に思わず大きな声が出てしまう。
すぐさまここが社員食堂であったことを思いだし、咄嗟に口を押さえて周りの様子を伺った。
···良かった、誰も気にしている様子はないな。
「とにかく、俺には必要ないから。お前が使えば良いだろうが。」
顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
紙袋を木内に突き返そうとすると、見当違いな返事が返ってきた。
「なに?もしかして、メイド服のが良かったか?」
「違う!」
俺が即答すると、木内はけらけらと笑った。
「ちゃんと白衣の他にナース服も入ってるから、まぁ楽しめよ!」
「え、ちょっ、待て!木内!」
そう言って立ち上がると、木内は手をヒラヒラと振りながら歩き出す。
引き留めてもさっさと歩き去っていく背中を見送り、紙袋をもう一度見た。
明らかなコスプレ衣装···しかも医者とナース。
·····
·······
·········うん、蒼牙に見つかる前に何とか処分しよう。
じゃないと、ろくなことにならない気がする。
大きなため息を溢し、俺は午後の仕事に戻るために席を立ったー。
~数日後~
「悠さん。これ、何ですか?」
風呂から上がり、冷蔵庫からビールを取り出していると後ろから蒼牙が声を掛けてきた。
「ん?······っ!!」
振り向けば蒼牙の手には例の紙袋が。
···何で?クローゼットの奥に隠してたのに!
ニコニコとそれはそれは嬉しそうな笑顔で俺に詰めよってくる。
「ダメですよ、隠すならもっと違うところじゃないと。で?これは何ですか?」
「いや、あの、」
至極楽しそうな声で聞いてくると、蒼牙は一歩俺に近づく。
それに押されるように一歩下がると、また一歩近づいてくる。
そうやって壁際に追い詰められとうとう逃げ場が無くなってしまい、身体が触れそうなほど近づいてきた蒼牙を見上げた。
「貰ったんだよ!木内から!」
俺の顔の横に手をつきニッコリと笑いながら顔を覗いてくるのに、あたふたとしながら答えた。
至近距離でこの蒼い瞳に見つめられると落ち着かない。
しかも蒼牙の手の中にはあの紙袋。
もう嫌な予感しかしない。
「へぇ。で、何で隠してたんですか?」
「う、それは···」
笑顔のまま聞いてくるのが逆に怖い。
絶対によからぬことを考えているに違いない蒼牙から逃げるように顔を背けた。
「俺が着せると思った?」
チュッと音を響かせながら耳にキスをされる。
一気に顔が赤らむ。
図星を指されてしまい素直に頷くと、蒼牙がクスッと笑った。
「ま、否定はしませんけどね。」
「!!」
いや、否定しろよ···と心の中で突っ込んでいると、蒼牙が身体を離し俺の手からビールを取り上げた。
「そんなことより···ねぇ、悠さん。今日はビールじゃなくて、ウィスキーにしませんか?俺はそっちが飲みたいです。」
突然の話題の変化に少し戸惑う。
「ダメですか?」と聞いてくるのを不思議に感じながらも「···別にいいけど」と答えると、蒼牙はニッコリと笑った。
「やった。じゃあグラス出しますね。」
そう言って蒼牙は食器棚に向かう。
····なんだ?やけにあっさりと引いたな。
もっと食い下がってくるかと思っていただけに、ホッと息を吐いた。
良かった。
これで忘れてくれたら、あとは処分するだけだ。
リビングに向かいながらそう考える。
後ろからやけに楽しそうな笑顔の蒼牙が着いてきていたことには気づかないまま。
そうして飲みはじめから数時間後。
俺のこの考えが甘かったということに気づいた時には、もう手遅れだったー。
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