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出張3

木曜日。 スタッフルームで着替えていると内藤くんが声を掛けてきた。 「蒼牙、このあと飯食いに行こうぜ。悠さんいないんだろ?」 「·····良いけど、何で悠さんが留守なこと知ってるの?」 固まった身体を解しながら聞くと『ヤバイ‼』って顔した内藤くんが慌てて答えた。 「違うから!別に昨日メールを送ったとか、神戸の土産を催促したとか、そんなのじゃないから!」 「··········ほんと、バカほど分かりやすいね。」 どうやら俺の知らない内に悠さんと更に仲良くなっているらしい内藤くんの頭を鷲掴み軽く力を入れた。 「いたい、怖い、いたい!!お前、目が怖いって!」 「これくらい我慢して。俺だって悠さんいないの我慢してるんだから。」 「なにそれ!意味わかんねー!いててて!」」 「人間の頭って、どこまで耐えられるんだろうね?」 「ギャー!怖いから!お前ならやりかねないから、怖いって!てか、ごめんなさい!」 ギャーギャー騒ぐのにクスッと笑い手を離す。 うん、少しスッとした。 「よし。···で、どこに行く?」 「くっそー、いてー。馬鹿力め。····牛丼、肉食いたい!」 頭を擦りながら笑う内藤くんに「いいよ。」と返し、朝から固まったままの身体をもう一度解した。 「···どうかしたのか?」 何度も肩を回したり腕を揉んだりしているのに気づいたらしく、自分も着替えながら俺に視線を寄越す。 「んー···ちょっと身体がギシギシするから。やっぱりソファは狭いね。」 「ソファで寝たのか?何で?」 俺が答えると首を傾げながら不思議そうにしている。 それに苦笑が洩れた。 理由なんて簡単だ。 ただ少し恥ずかしいけど。 「···悠さんがいないのに、あんなに広いベッドじゃ落ち着かないから。ソファでも別に寝れるし。」 あのベッドは悠さんと二人で寝るために用意したものだ。 そこで一人で寝るのは落ち着かない。 どうしてもクセで隣に手を伸ばしてしまう。 夜中にふと目が覚めては手を伸ばし、その度に悠さんが居ないことに改めて気付かされる··· 結局、何度も空しくなるよりかはソファで寝ようと、昨夜はベッドに行かなかった。 「忠犬かよ···まぁ、お前らしいけど。」 その言葉に「俺もそう思う。」と笑い、スマホをチェックした。 あと二時間ほどしたら悠さんに連絡ができる。 早く声が聞きたい。 電話では決して愛の言葉を囁いてはくれないけど、その声に込められたあの人の愛情は感じられるから。 「早く土曜にならないかな···」 小さく呟いた言葉に「そうだな。」と返してくれる内藤くんに笑い掛けロッカーを閉めたー。 side 悠 金曜日になり、岸の研修と俺の仕事もやっと片付いた。 明日は各支所に挨拶に回り、午後の新幹線に乗って東京に帰る。 こんなに長いと思った一週間は久し振りだ。 岸はけして出来ない男ではないがどこか詰めが甘く、夜中にレポートやプレゼンの書類作成の手直しを手伝うことがあった。 ただでさえ夜は熟睡出来ず、疲れがたまっているというのに···。 それでも『申し訳ありません!』と平謝りされれば、『気にするな』と返してしまうのだから俺も甘いのかもしれない。 「篠崎さん、体調が悪いんですか?顔色が悪いです。」 夕食をビジネスホテル近くの店で食べ終え、帰る途中で岸が心配そうに聞いてくる。 「ん?大丈夫だよ。少し寝不足なだけだ。」 「すみません、俺のせいですよね···。」 途端に項垂れる岸にクスッと笑いが溢れた。 夜に必要以上に迷惑を掛けたと反省しているのか、「本当にすみませんでした。」と繰り返し謝るのを頭をポンッと叩いて上げさせた。 「別にお前のせいじゃない。俺が勝手に眠れなかっただけだから。それに今回のプレゼン、最後はちゃんと自分で対処できただろ?俺も安心したよ。」 そう言って微笑むと、岸がやや顔を赤らめながら「はい、ありがとうございます。」とお礼を言った。 ···本当に、俺もどうかしてるな。 以前までの俺なら、枕やベッドが変わったくらいで眠れないなんてことはなかった。 だけど今回は違う。 というか、べつに枕のせいなんかじゃないことは分かっている。 蒼牙がいないからだ。 毎晩、俺を抱き締めて眠る蒼牙。 広いベッドになってもそれは変わらず、夏の暑い時期も部屋を涼しくして俺を抱き寄せた。 蒼牙の腕の中はひどく安心できて、寝苦しさを感じるどころかすぐに眠りに落ちる。 ···今までどうやって眠っていたのかというくらい、それが当たり前になっていたんだな。 「岸はよくやってるよ。」 「···っ、はい!」 嬉しそうに笑う岸に「明日が最後だから頑張ろうな。」と言葉を続けたところで、ポケットに入れていた携帯が着信を告げた。 「悪い、出るな。」 隣を歩いていた岸に声を掛け携帯をチェックする。 思った通りの相手に知らずと顔が綻んだ。 「···はい。」 それでも岸がいる手前あからさまな声を出すわけにもいかず、仕事用の声で携帯に出た。 『もしもし、お疲れ様です。まだ仕事中でしたか?』 俺の声が違うことに気付いたのであろう蒼牙が申し訳なさそうな声で話すのを「大丈夫だ。」と笑った。 「でもそうだな。今外だから、部屋に戻ったらかけ直すよ。」 『夕食は?食べましたか?』 「ああ。さっき食べて、今帰ってる途中だ。」 『········』 「蒼牙?」 急に黙ってしまった蒼牙を不思議に思い声を掛ける。 『····岸さんが一緒ですか?』 「·····まぁな。」 『早く、速攻で帰ってください。じゃないと俺がヤバいです。』 「わかったよ。心配しなくても、もうホテルの前だ。」 分かりやすい嫉妬にクスクスと笑い「とりあえず切るぞ。」と切ろうとした。 『あ、待ってください。悠さん、』 「ん?」 『····愛してます。』 「······っ、バカか!」 不意打ちにもほどがある。 ワントーン落とされたその声は情事の最中に囁かれる声と同じで。 一気に顔に熱が集まるのが分かる。 「ほんとに切るからな!」 電話の向こうで笑う声を擽ったく感じながら通話を切った。 「篠崎さん、本当に大丈夫ですか?顔が赤いですよ。熱でもあるんじゃ···」 ホテルのフロントで鍵を受けとる間、心配してくる岸に「ありがとう、大丈夫。」と返し急いで部屋に戻った。 かけ直すのが悔しいような気もするな··· だけど早く声を聞きたい···ゆっくり話したいのも本音で。 悔しい気持ちと嬉しい気持ちの両方に、顔の熱はなかなか引かなかったー。

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