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出張4
side 蒼牙
土曜日。
長く感じた一週間が終わり、今日やっと悠さんが帰ってくる。
時間を確認したら夕方には駅に着くと言っていた。
同僚に頼んでシフトを代わってもらい、明日の休みをもぎ取った。
その代償として暫く続く連勤も、明日一日悠さんと過ごすためなら苦にならない。
就業後、買い物をしてから帰り準備をする。
気づけばもう出ないといけない時間になっていて、スマホと財布を掴んで急いでマンションを出た。
最寄り駅までなんて我慢できない。
東京駅まで迎えに行くと伝えると『ありがとうな』と笑った悠さんの声は、確かに嬉しそうだった。
早く会いたい。
会って、抱き締めて、『おかえりなさい』を伝えたい。
『貴方も俺の元に帰ってきて』
鍵を渡したあの日に伝えた想いが、こうして離れてみるとどんどん強くなっていて。
ポケットに入れた鍵を握りしめ深く息を吐く。
····あと少し。
こんなにも電車はゆっくりに感じるものだったろうか。
悠さんの顔を思い浮かべながら、言い聞かせるように俺は逸る心を鎮めていったー。
新幹線の改札口で悠さんが出てくるのを待った。
たくさんの人が押し合うようにして出てくる中、向こうから歩いてくる姿を見つけ心臓が一気に跳ねた。
まだ俺に気づいておらず、立ち止まると後ろを振り向き何かを話し始めている。
·····あれが岸さんか。
悠さんよりやや背が低いその男性は、細身のスーツのジャケットを腕に掛け、悠さんににこやかに返事をしている。
端から見ても分かるくらいその笑顔は嬉しそうで、きっと研修も仕事も上手くいったのだろうと思わせた。
この数日、悠さんとずっと一緒だったその人に、自分勝手なヤキモチを妬いてしまう。
親しげに話すその様子に少しイラッとした。
悠さんから離れろ。
心の狭いことを思ってしまう自分に呆れるも、その思いを消すことなんかできなくて。
改札口近くに来た悠さんを大きな声で呼んだ。
「悠さん!」
ガヤガヤと煩い駅の中、届かなくてもおかしくはないその声にパッと顔を上げ振り向いてくれる。
一瞬視線をさ迷わせたがすぐに俺を見つけると、途端に綺麗に笑った。
たったそれだけのことが俺の心を鷲掴む。
軽く手を上げ『少し待ってくれ』とジェスチャーすると、岸さんに何かを話し掛けて手を差し出す。
笑顔で手を握り返す岸さんはどこか恥ずかしそうで、また相手を無意識のうちに惹き付けているのかとため息が出てしまう。
別に岸さんが悠さんに恋愛感情を抱いているとは思わないが、必要以上になつくのはやめてほしい。
···それでも一応牽制はしておくけど。
改札口に向かって歩き始めた二人を見つめながら、俺も一歩を踏み出す。
「蒼牙」
「お帰りなさい、お疲れさまでした。はい、荷物ください。」
改札口を抜けた悠さんに微笑みかけ、その手から荷物を受けとる。
「荷物くらい自分で持つのに。」
遠慮がちにそう言い、悠さんは「でも助かるよ。」と笑った。
抱き締めたい、キスしたいのは山々だが、岸さんの前でそんなことをすれば悠さん怒るだろうな。
「気にしないで、俺が持ちたいんです。今日はもう帰れるんですよね?」
「あぁ。迎えに来てくれてありがとう。」
「良かった。···岸さん。」
「え、あ、はい!」
悠さんの後ろで俺のことを見ていた岸さんに視線を向け声を掛ける。
急に話し掛けられ驚いたのか、ピンッと背筋を伸ばすその様子にクスッと笑いが溢れた。
「岸さんもお疲れさまでした。ここでお別れですけど、気を付けて帰ってくださいね。····では、失礼します。」
ニッコリと営業スマイルで一礼すると、「行きましょう、悠さん。」と隣に立つ悠さんの腰に手を回し歩くように促した。
「は、え、篠崎さん?」
「悪い、岸。また月曜にな。ちゃんと部長に連絡しろよ。」
そう岸さんに言い残すと悠さんは「帰るか。」と俺に笑いかけた。
「···はい。」
わざと見せつけるように腰に回した手を恥ずかしがる様子もない悠さんに、俺の方が意外に思ってしまう。
でもそれが嬉しくて···回した腕に少しだけ力を込める。
···やっと帰ってきた。
ホッとした穏やかな気持ちと、子供のように喜ぶ気持ちを抱きながら、俺はマンションへと帰っていったー。
「悠さん、風邪引きますよ。ベッドに行きましょう?」
「····ん」
シャワーを浴びリビングに戻ると、ソファに横になり眠っている悠さんがいた。
軽く肩を揺さぶり起こすとゆっくりと目を開き、数度瞬きをする。
「ほら、抱っこしてあげましょうか?」
冗談のつもりで言った言葉は、悠さんが寝ぼけていたことで現実になった。
「ん、頼む···」
俺を見上げ手を伸ばす様子にクスクスと笑いながら、その愛しい身体を抱き上げる。
肩口に埋まる頭にチュッと口付け、寝室へと向かった。
ゆっくりと悠さんをベッドに降ろし俺も横になろうとすると、「なぁ、蒼牙···」と小さな声が聞こえてくる。
「何ですか?」
ベッドに乗り上げ悠さんを見つめた。
そっとその頬に触れる。
名前を呼ぶその唇に触れたいと思う。
帰宅後どちらからともなく重ねた唇は暖かく、そして柔らかくて。
疲れて帰ってきた悠さんにそれ以上のことをするつもりはなかったが、待ち望んだその熱をすぐには手離せなかった。
「···なんでソファにタオルケットがあった?」
「ッ、それは、」
思いがけない言葉に困ってしまう。
意思に反して赤くなっていく顔を隠そうとすると、下から伸びてきた白い手に阻まれた。
「···もしかして、ソファで寝てたのか?」
手首を掴み聞いてくる悠さんの顔は眠そうな、だけどどこか嬉しそうな表情をしていて。
言い当てられて余計に赤くなる顔を背け「そうです···」と答えると、横たわる悠さんをギュッと抱き締めた。
「···そうか。」
それだけ言うと悠さんは俺にすり寄り、ほぅ···と大きく息を吐いた。
「···安心する。」
「····なに?」
「なんでもないよ。」
暫くして呟かれた言葉は小さくてちゃんと聞き取れなかったが、大きく欠伸をするのを見るとそれ以上聞くこともできなくて。
やがて規則正しく刻まれる悠さんの寝息に心が満たされていく。
「おかえりなさい···」
囁きながらもう一度口付ける。
押し付けた唇をチュッ···と音を響かせ離すと、俺は悠さんの身体を抱き締め直し目を閉じたー。
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