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電話の向こう(リク作品)

side 悠 「ほら、篠崎くん···飲め飲め!」 「もう充分頂きましたよ。明日は本社に戻らないといけないので、これ以上はもう···」 「飲んで飲んで、篠崎さん♪はい、グラス貸してください。」 「いや、ほんとにもう良いから。ありがとうね。」 ウィスキーを作り直そうとしてくれた女の子から、やんわりとグラスを取り上げる。 ついでに腿に置かれていた手もソッと外した。 ···もう帰りたい。 正直早く帰りたくて、軽くため息を吐いた。 以前から決まっていた出張。 二泊三日の出張は今日で終わり、明日には帰れる。 昨日は蒼牙が遅番で仕事の帰りが遅く、俺も疲れていたためか眠ってしまった。夜に電話ができなかったから、今日はちゃんと連絡したい。 無事に仕事も片付き打ち上げと交流を兼ねて始まった食事は、相手の要望で繁華街での飲みへと発展した。 このやけにキャバクラ慣れした取引相手との飲みは疲れるばかりで···木内でもいればこの場も盛り上がるのだろうが、俺はどうもこういう場が苦手だ。勧められるままに飲んでいたが、そろそろ切り上げないとヤバそうだ。 あまり詳しくはない街で深酔いする真似は避けたい。 「···それじゃあ、そろそろ俺は失礼しますね。本当にありがとうございました。また正式な書類は送らせてもらいますから。」 「りょーかい!じゃあ、お疲れさま~!」 酔って気分が良いのだろう。 すんなりと帰してくれホッと一安心する。 「篠崎さん帰っちゃうの~。まだ一緒に飲みましょうよ~。」 自分の分の代金を置き立ち上がった俺の腕に、胸を押し付けるようにして絡まってくる女性に苦笑する。 「ありがとうね。だけど、もう失礼するよ。」 甘い香水の香りが漂い少し眉を寄せた。嫌な香りではないが、こういう作られた香りはあまり好きではない。 俺が好きな香りは···· そこで蒼牙に抱き締められている時の香りがフッと思い出され、心臓がドクンッ!と鳴った。 「ッ、それじゃあ。」 「え~!」 まだ何か言っている女性から腕を解放させると店を出ていった。 外に出て新鮮な空気を胸一杯に吸う。 「くそっ、思った以上に酔ってるな····」 ドクドクと鳴る心臓を押さえて呟いた。 蒼牙の匂いを思い出しただけで、身体が熱くなっている。 酔うと自分が性的なことに大胆になってしまうのは蒼牙と付き合うことで知ったが、まさか匂いを思い出しただけでこうなるとは思わなかった···。 通りに出てタクシーを拾いフラフラと乗り込む。 ビジネスホテルの名前を告げると、シートに深く腰かけた。 一度熱をもってしまった身体はなかなか治まらなくて、吐き出す息が熱いのは酔っているからなのか何なのかよく分からなくなってくる。 同じシャンプーを使っているはずなのにどこか甘く感じる風呂上がりの香り、 眠るとき俺を抱き締める腕の中の香り、 そして···セックスの最中に汗ばむ肌の香り、 ダメだ···思い出すな。 そう思えば思うほど鮮明に思い出される記憶に、身体がどんどん火照ってしまう。 暫くしてタクシーがホテルの前で止まった。 やっとついた···そんな思いで財布を取り出していると、後部座席を振り返った運転手が心配そうに声をかけてきた。 「お客さん、顔赤いけど大丈夫?」 そう言ってから金額を伝えてくる運転手に笑いかけ、「大丈夫です···ッ、ありがとう··」と吐息混じりに答えた。 途端に黙りこみ赤面した運転手に違和感を感じながらも、料金を支払いタクシーから降りる。 とにかく早く部屋に戻りたい。 怠い身体を引きずりながら、やっとの思いで部屋の前まで帰り鍵を開く。 暗い部屋に電気を点けるが、酔った目にはやけに眩しく感じられて。 ベッドサイドの小さなライトだけを点け、部屋の電気は消した。 薄暗くなると体の熱も僅かに引いたような気がして、ネクタイと上着を椅子にかけベッドに転がった。 フウッ···と大きく息を吐き出し、目を瞑る。 もともとそれほど性欲が強い方ではなかったからか、それとも忙しくしていたからか···蒼牙と付き合う前も自分で処理することは少なかった。 それでも男である以上、溜まれば発散することはあったが好んですることはあまりなかったように思う。 なのに、今のこの状況はなんだ。 蒼牙の匂いを思い出しただけでこの始末だ。 いくら酔っているからとはいえ、節操のない身体にやや自嘲気味に笑いが溢れる。 身体を横に向け胸を押さえて身体を丸めた。 こうしていればそのうち完全に熱が引く。 そう思った、その時。 ピリリリリ···! ベッド脇に置いたスマホから無機質な着信音が鳴り響き、身体がビクッと反応した。 蒼牙だ。 そう直感して、手を伸ばすことができない。 繰り返し響く着信音に、バクバクと鳴る心臓。 今蒼牙の声を聞くのはダメだ、せっかく身体が治まりかけているのに··· 身体を起こして光るスマホを眺めた。 暫く鳴っていた着信音が切れ、ホッと一息吐く。 ごめんな、蒼牙。 もう少ししたら俺からかけるから。 心の中で謝っていると、次にメールが届いた。 軽い罪悪感に苛まれながらメールを確認すると、その罪悪感は一気に愛しさに変わった。 ❮お疲れさまです。今日は電話ができますか?悠さんの声が聞きたいです。❯ 胸が暖かくなる。 俺が蒼牙の声を聞きたいと思ったように、蒼牙もそう思ってくれていたことが嬉しい。 何度もメールを読み直し、今どうしているのだろうと想いが募る。 ···さっき出なかったことが悔やまれるな。 自分勝手な都合で無視したくせに、今度は声が聞きたくて堪らない。 俺は一つ深呼吸をしてから、画面を操作して蒼牙に電話をかけ直した。 身体の熱は大丈夫···なはずだ。 アルコールが回ってドクドクと早い心臓に、それとは違う胸の高鳴りを感じる。 トゥルルルル··· 2回コール音が鳴り、3回目に差し掛かったところでそれは止まった。 『はい。』 「··もしもし、俺だ。」 次いで聞こえてくる柔らかい声に自然と笑顔になっていたー。

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