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電話の向こう2

side 蒼牙 「かえりました···」 返事はないと分かっていても、日課になってしまった挨拶をしながら部屋に入る。 悠さんのいない部屋はガランと広くて、キッチンやリビングからは何の音もしない。 「さむ···」 ソファに置いていた毛布を広げ肩にかけた。 そのままゴロリと転がりテレビをつける。 見たい番組があるわけではないが、一人でいるつまらなさを紛らわすには丁度良い。 テレビの端に映る時計はまだ8時前で、いつもなら帰ってくるはずの悠さんを想いため息が出た。 以前にもあった出張。 仕事だから仕方ないとはいえ、こうして一人で過ごすのはやっぱり寂しい。 今回はたったの二日間我慢すれば悠さんは帰ってくるのだから、そんなことを言ったら笑われてしまうかもしれないけど。 ベッドで眠る気にもなれず、相変わらずソファで寝てしまうことに自分でも呆れている。 『犬みたいだな』 悠さんがよく言う言葉に納得してしまう。 主人の帰りを今か今かと待つ様は、今の自分と全く同じだ。 ···まだホテルに帰ってないだろうな。 おそらくは仕事先の相手と食事に行っているだろうことを想像し、名前も知らない相手に妬いてしまう。自分がこんなに嫉妬深いなんて、悠さんと出会って初めて知った。 『昔はもっと淡々としてた』とナオが言っていたように、俺はおよそ嫉妬というものをしたことが無くて。 独占欲も性欲も、付き合っていた彼女にぶつけたことなど無かった。 それなのに悠さんを前にすると独占欲の塊になり、何度肌を重ねてもさらに欲しくなる。 そしてたったの二日会えないだけでこの有り様だ。 「はぁ···風呂でも入ろっかな··」 毛布からモゾモゾと抜け出し立ち上がる。 ここで拗ねていてもどうしようもない。 『身体はちゃんと温めろよ』 悠さんと暮らし初めてから、シャワーで終わらせるのではなく湯船に浸かるようになった。 留守の間もその言い付けを守るあたり、自分の忠犬っぷりに感心する。 ゆっくり風呂に入って、LINEで内藤くんをからかって、ニュースでも見ていれば時間は直ぐに経つはずだ。 それから悠さんに電話をしよう。 昨日話せなかった分、今日はたっぷりと話そうー。 「まだ帰ってないのかな···?」 暫くコールした電話を切り呟く。 もう帰っているだろうと期待しただけに残念な気持ちは大きい。 すぐさまメールを作り送信する。 時計はもう11時が近く、まだ出かけているのだとしたら相当の量を飲んでいるのではないだろうか。 酔っ払った悠さんの色気は半端ない。 まさか変な気を起こされたりしてないだろうな···なんて、そんな心配までしてしまう。 仕方ない。 もう少ししてからかけ直そう。 そう思い、キッチンに向かい冷蔵庫を開けたと同時に··· ピリリリリリ···! 「ッ!」 机の上に置いたスマホが着信を告げた。 急いでリビングへと走る。多分、今日一番のスピードだったと思う。 3回目の着信音が鳴り始めたところで画面をタップした。 「はい。」 『···もしもし、俺だ。』 「お疲れさまです、悠さん。もうホテルに戻りましたか?」 待ち望んだ悠さんの声に顔が緩む。 会話を続けながらもう一度キッチンへと向かうと冷蔵庫の扉が開いていて、自分が慌ててリビングに戻ったことが可笑しくてクスッと笑った。 『ッ、ああ。さっき帰って来たところだ。···蒼牙は何してたんだ?』 「んー···風呂入って、テレビ見てましたよ。これからお茶を飲むとこです。」 『····そうか。ちゃんと髪乾かしたか···、』 何だろう··· お茶をコップに注ぎ受け答えしながら、悠さんの声に違和感を感じる。 その声には覚えがあって···腹の底がゾクッとした。 いや···でも、まさかね。 「ちょっと待って下さいね。これだけ先に飲んじゃいますから。」 そんな訳がないと思い直し、お茶を一気に飲み干すとフウッ···と一息吐いた。 『····ッ!』 すると途端に電話の向こうで悠さんが息を詰める気配が伝わってきて、続いて『ハッ···』と小さいけれど熱い吐息が聞こえてきた。 「·····悠さん」 もしかして···そう考えて、わざとワントーン落とした声で名前を呼んでみる。 ベッドに誘うときのような···熱を含んだ、甘えた声。 『ッ、ん···なんだ··?』 「·······やっぱり」 返ってきた悠さんの少し掠れた声と吐息。 間違いないだろ、これ。 欲情している···そう確信した途端、心臓がドクドクと速まった。 そして同時ににやける顔。 『···、蒼牙?』 「悠さん、いいことしましょうか···」 リビングに戻りソファに座りながら、俺は至極優しく···そして甘く囁いた。 会話をするなら電話を通していない本当の貴方の声が聞きたいけど。 今はこっちの方が都合が良い··· 『な、に···?』 「クスッ···可愛い···」 電話越しに直接耳に囁く声は、貴方のことを甘く痺れさせることができるからー。

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