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不自由さを理由に2
side 悠
『大丈夫よ、私達は人よりも治癒力が強いから。蒼牙の怪我もすぐに治るわ。だから···安心してね、悠くん。』
優しい声。
俺を安心させようとしてくれているのだろう蓮華さんの言葉に「はい···ありがとうございます。」と返した。
『それにしても、私が留守の間に怪我するなんて、あの子もタイミング悪いわね。悠くんがいてくれて良かったわ。私も安心して任せられるもの。···手がかかるけど、よろしくお願いします。』
そう言うと蓮華さんが電話の向こうで頭を下げている様子が伝わってくる。
それに丁寧に受け答えをしてから電話を切った。
大きくため息を吐く。
蓮華さんにも会社にも連絡し終わった。
蒼牙の意識が戻ったことであれほど苦しかった気持ちが和らぎ、今はただ蒼牙の側にいたいと···そう思う。
夕方、内藤くんからの連絡を受けたときには心臓が凍りついた。
手掛けていた仕事を急いで片付け駆けつけると、少し疲れた様子の内藤くんがいて。
案内された病室で頭と左手に包帯を巻かれ眠っている蒼牙を見た時には、不覚にも涙が出そうだった。
俺のことを心配する内藤くんに『大丈夫だよ』と告げてはみたものの、本当は全然大丈夫なんかじゃなくて。
医者は脳震盪だと言っていたけど、もしこのまま目を覚まさなかったらどうしよう···なんて最悪なことまで考えたほどだ。
ほんとに···こんなにも自分が脆い人間だったとは知らなかったな。
とりあえず情けない顔はもう蒼牙に見られたくない。
病室の前で立ち止まり、深呼吸をして気を引き締め直す。
よし···大丈夫だ。
「蒼牙、蓮華さんに····」
そうして病室に入りカーテンを開けながら声をかけて俺は固まった。
「はい、じゃあ血圧は異常ないですね。」
「熱も···ないみたい。良かったですね、秋山さん。」
「お茶のおかわりは?新しいの淹れましょうか。」
「いや、本当に結構ですから。もう休みたいので···」
「大変でしたね。でも、素敵だと思います。」
「着替えとか大丈夫ですか?片手だと難しいでしょう?」
「大丈夫です。···あの、もう、」
そこには座った蒼牙を囲む三人の看護師がいて。
ちょっと待て···どう考えてもこの状況はおかしいだろ。
一人の患者にこんなに来るなんて···
困ったように受け答えしている蒼牙と、高く可愛らしい声で話し掛け、仕事が終わっても去ろうとしない看護師たち···。
この状況に言い様のない腹立たしさを感じてしまい、カーテンを握っていた手に力が入った。
こっちは蒼牙が目覚めなかったらどうしようと、あれほど苦しんだというのに···
やっと気持ちが落ち着き、蒼牙の側にいたくて戻ってみれば···なんだ、この光景は。
···いや、分かってる。
蒼牙は何も悪くはないし、彼女たちが悪いわけでもない。
あいつがこの状況を喜んでいないことも、むしろ困っていることも、こんなことは日常茶飯事であることも···全て分かってる。
分かってはいるが·····ムカつくものはムカつく。
「あ、悠さん。電話終わりましたか?」
俺の心中なんか知らない蒼牙は俺を見てニコリと笑い嬉しそうにする。
その笑顔を見て彼女たちがまた色めきたつのが分かり、俺の中で何かがキレた。
「····悠さん?」
「···············」
無言で蒼牙に近付くと、顔を両手で挟み込みグイッと上向かせた。
「え、···ッ!」
「きゃっ!」
コツン···
包帯が巻かれたその額に自分の額を合わせ、至近距離にある蒼牙の目を見つめる。
驚きに見開かれた蒼い瞳が可笑しくて、クスッと笑いが溢れた。
「あの···」
「···本当だ、熱はないな。」
「···はい。」
包帯越しに熱が分かるわけもないが、そんなことはどうでも良い。
俺の行動に驚いているのか女性達が固まっているのが視界の端に映った。
「面会時間の間は俺もいるから。ちゃんと寝てないとダメだろ、やっと意識が戻ったのに。」
···チュッ
そう言って包帯に軽くキスを落とし、蒼牙から身体を離す。
「はい···ありがとうございます。」
自分の額を押さえ嬉しそうに返事をするのに満足し、ニッと笑って見せた。
途端に顔を赤らめる蒼牙から視線を移すと、そこには呆気にとられた表情で俺を見ている女性達が立っていて。
「お世話になります。あとは俺がやりますから、どうぞ仕事に戻ってください。」
「は、はい、すみません!···あの、それじゃあ何かあったら呼んでくださいね!」
ゆっくりと頭を下げ声を掛けると、弾かれたように返事をして片付けを始める。
そうしてバタバタと病室から出て行くその様を見つめ、フウ···と一息吐いた。
「あの、悠さん···」
「お前な、ああいう時はちゃんと断れっていつも言ってるだろうが。」
「う、···はい。」
軽く睨むとシュン···と耳と尻尾が垂れる。
いつまでも女性のあしらいかたが下手くそな蒼牙が可愛いとは思うが、今日はそれを笑ってやれる余裕がない。
よく見れば血の付いた服を脱ごうとしていた途中だったのか、ボタンが数個外れていて···その姿にまたムカムカした。
『片手だと難しいでしょう?』
一人の看護師が言っていた言葉を思い出す。
なるほど、これを見て言ったのか。
「悠さん!?」
蒼牙の服に手を伸ばし途中だったそれを丁寧に脱がしていく。
俺の行動に驚いた声を出し、脱がしていく手を掴んで名前を呼んだ。
「俺がしてやる。その手だと不自由だろ。」
「そうですけど、大丈夫ですよ?このくらい···」
「俺がしたいんだ。」
遠慮する蒼牙を無視して残りの衣服を脱がしていった。綺麗に浮き出た鎖骨や引き締まった腹筋に途中ドキッとしながら、側に置いてある院内着をとるとそれも蒼牙の肩にかけ着せていく。
「ほらジーンズも脱げ。」
「え、いやそれは自分でします!」
「何で?」
慌てる蒼牙を見れば、顔を赤らめながら困ったように笑っている。
「そんなことまでされたら···ここが『病室』なのも、自分が『怪我人』なのも忘れそうです。」
さっき俺が言ったことを繰り返す蒼牙に、言わんとすることを察する。
いつもならここまで言われれば引くが、今日はムカムカが収まらなくて···少し考えてから俺は蒼牙の顔をまた上向かせた。
「···それは困る。でも、そうだな···お前がこれ以上目をつけられないように、お守りを残しとくのは良いかもな。」
「え?···ッ!」
そう言って少し身体を低くすると、蒼牙の首筋に口付ける。
少し汗ばんでいるそこをペロリと舐めると、続いて強く吸い付いた。
「ん、悠さん···」
一度口を離しそこを見つめる。
紅く色付いたキスマークにフッと笑い、もう一度同じ場所に吸い付いた。
「········チュッ、ん、よし。」
音を響かせ唇を離せば、濃い鬱血痕がそこに残っていて。
隠しようのないその場所につけたキスマーク。
指でソッと触れれば、蒼牙が赤面したまま笑った。
「悠さん、酔ってないですよね?」
「ないよ。····もう時間だな。」
腕時計を確認すればもう面会時間は過ぎようとしていて。
蒼牙の肩を押してベッドに寝転ばせる。
「明日、迎えにくるから。大人しく寝てろよ。」
「·····はい。」
荷物をまとめて帰り支度をする俺に、蒼牙が「悠さん」と声を掛ける。
「なんだ?」
「ありがとうございました···明日は一緒に寝ましょうね。」
「···そうだな。おやすみ、蒼牙」
「はい、おやすみなさい。」
こんな別れかたはしたことがないだけに、後ろ髪引かれる思いでカーテンを開ける。
去り際もう一度見つめた蒼牙の顔にも、俺と同じ戸惑いの表情が浮かんでいて。
その痛々しい姿に胸がズキッとしながら、俺は病室を後にしたー。
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