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対立

side 蒼牙 昨夜、悠さんから芦屋さんとのことを聞いた。 俺と出会う二年前、芦屋さんは恋人であったと話す悠さんはどこか寂しそうで。 『話しにくいことならいいですよ?』···と言葉にしながら、本音は何があったのか気になっていた。 そんな俺の様子に気付いたのだろう悠さんは『聞いてくれ』とポツポツと話始めた。 大学時代からの友人だった芦屋さんと付き合い始めたのは、お互い社会人になってからのことで。 友人から深い関係になってからも、互いの仕事を尊重しあえる良い関係だったという。 『そんな時、彼女の転勤が決まったんだ。』 名古屋への転勤はもともと彼女の望んでいた仕事で、喜ばしいことだった。 だけどそれは同時に遠距離になることを意味していて、手放しでは喜べなかったという。 『カナは悩んでたよ。遠距離になればこれまでのような付き合いは出来ないし、かといって夢を諦めることもできないって。』 『でも···彼女は名古屋へ行ったんですよね。』 俺が確認すると、悠さんは小さく笑った。 『俺が行けって言ったんだ。遠距離でも大丈夫だって···でも彼女が本当に欲しかったのはそんな言葉じゃなかった。』 『じゃあ、いったい···』 『カナはプロポーズが欲しかったんだ。遠距離は堪えられない、だから仕事を諦めるから結婚したいって···そう言われた。』 『····ッ、』 言葉が詰まった俺の頬を悠さんはそっと撫でた。 『俺も言葉を失ったよ。でも···それが答えだった。俺はまだ25やそこらで、結婚なんてまだ考えられなかった。』 お前とは違うな···と笑う悠さんの顔は少し苦しそうで、抱き締めずにはいられなかった。 『それで終わり。彼女は別れを告げて···それからすぐに名古屋へと行った。』 ギュッと抱き締め返してくるのが愛しくもあり、そして切なくもあった。 嫌いで別れたわけではない···ただ決心がつかなかったのだろう。 その時の悠さんの気持ちを思うと複雑な気分になる。 それから二年間···恋人を作らずにいたこの人の前に現れたのが俺で。 『話してくれて···ありがとうございます。』 抱き締めたまま俺が言えたのはそれだけだった。 そのまま暫くの間、俺達は抱き締め合っていたー。 「それじゃあ、よろしくお願いします。」 雑誌の取材と言っても俺ができることなんか別に何もない。 ただいつも通りに仕事をしている姿を、芦屋さんが写真に納めていく。 時おり質問してくることに答えるとそれをメモとボイスレコーダーに残し、また写真を撮っていく。 「人気のあるレストランだとは聞いていたけど、本当に客が多いわね。あなたのおかげなのかしら。」 ニコニコと笑いながらそう言う芦屋さんに、「料理が美味しいからですよ」と苦笑した。 悠さんから昔のことを聞いたからといって、何かが変わるわけではない。 今回一緒に仕事をさせてもらって、それが終わればこの人は名古屋へ帰る。 ただ、それだけだ·····そう思っていた。 芦屋さんが意味深に笑うまでは。 「ねぇ、秋山くん。」 「何ですか?」 スタッフルームで休憩中、イスに座りカメラを弄りながら芦屋さんが話しかけてきた。 「あなたの恋人って····まさかとは思うけど、悠··なのかしら?」 「·····、」 驚いてすぐに言葉が出ない。 どうしてそう思ったのか···あの僅かな時間、それも言葉を交わしたわけではないというのに、それなのに俺達の関係に気付いたというのか。 「何も言わないってことはそうなのね。」 「·····そうですよ。でも、どうして···」 隠すつもりはない。 ただ、芦屋さんの真剣な表情に嫌な予感がした。 「分かるわよ。悠のあの表情····私に見せていたものと同じだったから。」 彼女の言葉に胸がザワッとする。 そこにはどこか俺を挑発する響きが含まれていて。 「悠から聞いた?私たちのこと。」 「聞きました。でもそれが何か?」 つい言葉が尖ってしまう。大人げないかもしれないが、余裕そうな彼女の態度と口調に食いかかってしまったのは事実だ。 「···これ、このピアス綺麗でしょう?」 「···········」 俺の質問には答えずに、芦屋さんは髪を耳にかけ直しながら微笑んだ。 ライトに反射して赤いピアスがキラリと光る。 「これね、私が名古屋に行く直前に悠が贈ってくれたの。···もちろん別れた後よ。」 「······、」 「これを渡しながら悠は言ったわ。『どこにいても応援してるから』って。あの日から、勝負時には必ずこれを着けてる。力が沸いてくるの···これを着けていたら。」 フフッ···と笑う芦屋さんに、思わず眉間にシワが寄った。 それがどうした··何が言いたい··· 心の中のモヤモヤとした暗雲めいた気持ちばかりが大きくなり、芦屋さんの顔をじっと見つめた。 「···さっきから何なんですか?貴女と悠さんとは、もう終わった関係でしょう?今あの人は俺のものです。」 静かにそう伝え、イスから立ち上がった。 ここに居たくない。 これ以上ここに居たら···彼女に酷いことを言ってしまいそうだ。 「そうね···でも終わらせたのは私よ。」 「···ッ、」 その言葉にカッとした。 それは俺が認めたくなかった事実。 悠さんの話を聞いてからずっと心に引っ掛かっている。 すれ違い、嫌になって別れた訳ではないということ、そして···それを話す悠さんの悲しげな表情が。 「この三年の間に恋人もいたけど、悠以上に私を理解して大切にしてくれる人はいなかった。···今からでも遅くないと思わない?」 「勝手なことを···恥ずかしげもなく、よくそんなことが言えるな。」 自分の声が低く響く。 腹の底が重くムカムカする。 異性にこんなにも腹を立てたのは初めてかもしれない。 「恋愛なんて身勝手で恥ずかしいものでしょ?私は私の恋愛をするつもりよ。」 「貴女の恋愛にこれ以上悠を巻き込むな。目障りだ。」 「···それがあなたの本性?意外と乱暴なのね。」 怯むでもなくニコリと笑うと芦屋さんは続けた。 「言ったでしょ『あり得ない』と思っていたことが『あり得る』こともあるって。それに···選ぶのは悠よ。」 リビングのソファに寝転び、苛立つ気持ちを落ち着けようと努力する。 悠さんからは『遅くなる』とメールが入っていて、帰りを待ちわびながらビールを飲んだ。 芦屋さんとのやり取りを思い出す度に、言い様のない怒りと不安が沸き上がってくる。 早く帰ってきて···悠さん··· 抱き締めたい、キスしたい、温もりを感じたい··· やけに広く感じる天井。 それを眺めるのも嫌で、瞳を閉じて溜め息を吐いた···その時。 ガチャ···、 玄関の鍵が開く音。 続いて「ただいま。」と聞こえてくる落ち着いた声に、自然と顔が弛んだ。 「おかえりなさい、悠さん········ッ!」 「ん、遅くなって悪い。」 そう言って俺の横をすり抜け、寝室に向かおうとした悠さんの腕を掴んだ。 「どうした?········!?」 振り向いた悠さんの顔が一瞬で固まった。 それもそうだろう。 俺は···かつてないほど苛立っていたのだから。 「ねぇ···どういうこと?」 掴んだ腕に力を込める。 「······蒼牙?」 不安そうな声と表情を見ても、俺は手を離すことが出来なかった。 悠さんの身体からは、芦屋さんの香水の香りがしていたー。

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