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愛を知る

side 悠 「ねえ···どういうこと?」 掴まれた腕の強さよりも、苛立った顔よりも···蒼牙の声の冷たさが俺の心臓を抉った。 「どうして遅くなったの?」 詰め寄ってくる視線から逃れられない。 これほど怒っている蒼牙を見るのは初めてで喉がつまって声が出ない。 遅くなったのはカナと会っていたからで、それを隠すつもりなどない···でも蒼牙の雰囲気に気圧され咄嗟に言葉に出来ない。 それが蒼牙の苛立ちをさらに強めたのだろう。 見つめてくる瞳がさらに細まった。 「言えない?芦屋さんと会ってたこと···知られたくないから?」 「なんで···それ、」 声が震えるのが分かった。 俺から話すつもりでいたのに、蒼牙に言い当てられて動揺してしまう。 「····こんな香りさせておいて。俺が気づかないとでも思ったの?」 香り···? 自分では分からない。 俺の戸惑った様子に蒼牙は少し声を荒げた。 「気づいてないんだ。こんなに···、あの人の香水の匂いをさせておいて···!」 「っ!」 掴んだ腕を引っ張られてよろめく。 ソファの上に投げるようにして座らされ、両腕を背凭れにドンッと突いてくる。 逃げ場を塞ぐように俺を腕の間に挟むと、顔を覗き込んできた。 その顔は悲しげで、そんな顔をさせてしまったことに胸が苦しくなる。 「···正直に話して。」 「········」 「芦屋さんと何してきたの?」 小さく囁くように話す蒼牙の声がやけに大きく感じる。 自分の心臓がバクバクと煩く、背筋に冷たい汗が流れた。 「食事を···話をしてきた···」 「····それだけ?」 「その後、ホテルまで送ったよ。」 「····ッ、」 一瞬蒼牙の瞳が揺らぎ、続いて頭を項垂れる。 ·····目を見たい。 手を伸ばして蒼牙の頬にソッと触れるとその手を掴まれた。 目を合わせてくれないことに胸が痛む。 「····ホテルで何したの。」 押し殺したような声が聞こえ、怒りを堪えているのが分かった。 「何もしていない。酔ったカナをエレベーターまで送ってそのまま帰ったよ。その時、転びそうになった彼女を支えた。···俺からカナの香水の香りがするのなら、その時に移ったんだと思う。」 「·····そう」 蒼牙が俯いたまま呟く。 「蒼牙····ちゃんと目を見て話したいから顔を見せてくれ···頼むから、俺を見て。」 情けない声が出るがそんなことは気にならず、俺は蒼牙に懇願した。 「····お願いだから。」 喉がグッと詰まった。 涙が出そうなのを堪える。 「············」 ゆっくりと顔を上げてくれた蒼牙に少しホッとするが、相変わらず苦しそうなその表情に胸の痛みが大きくなった。 「ごめん、本当にごめんな···カナと二人で会って···嫌な思いをさせた。」 「······なんで会ったの、俺に黙って····ヨリを戻したくなった?···懐かしくて····気持ちがぐらついた?」 「そんなわけないだろ!」 蒼牙から発せられたあり得ない言葉に、思わず大きな声が出た。 そう思われてもおかしくはない事態を招いた自分に腹が立つ。 「じゃあ···どうして?」 「食事に誘われたとき、一度は断った。でもお前の名前を出されて···それが気になった。」 「···········」 溜め息と共に蒼牙が身体を離す。 そうして俺の隣に座ると無言で見つめてきた。 「···でも、それ以上に····罪悪感があったから。」 「罪悪感?」 僅かに目を細め蒼牙が繰り返す。 それに黙って頷くと、まだ話していなかった自分の気持ちを口にした。 これから話すことを聞いたら、今度こそ本当に呆れられるんじゃないか···そんな不安があるが、これ以上蒼牙に辛い顔をさせたくないから。 「····あのな蒼牙、笑わずに聞いてくれ。」 「····なに?」 「お前と出会って···俺は初めて『愛』を知ったんだ。」 「···え、」 小さな呟きと共に固まる蒼牙に微笑みかける。 「蒼牙が教えてくれたんだ、『愛してる』って感情も、泣きたいような切なさも···そして、離れたくない、失いたくないっていう強い気持ちも。」 カナのことは好きだった。 大切にしていた。 でもそれは『愛してる』という強い想いとは違うのだと、蒼牙と出会ってから気付いた。 そうして二年も経って···やっと、あの日のカナの苦しみが痛いほど分かった。 「3年前···別れを告げながらカナは泣いてた。そして、その日を最後に彼女とは会っていない。」 「···え?」 蒼牙の瞳が一瞬見開かれる。 どうしたのか··と疑問に思いながらも言葉を続けた。 「だから、昨日彼女を見て··あの泣き顔を思い出して···酷い罪悪感に襲われたよ。」 愛してあげられなかったこと、 愛してくれたこと、 あの時のカナの悩みと苦しみを本当の意味で理解できなかったこと··· それらが一気に膨らみ罪悪感となって俺を襲った。 『お願い』と手を合わせたカナの姿を見て、無下に断ることができず。 罪悪感から少しでも彼女に償いたいと···そう思った。 「だから一緒に食事に行ったんだ···本当にごめん··」 「··········」 ゆっくりと頭を下げる。 そんなのはただの俺の自己満足で償いでも何でもない。 しかも、そのせいで蒼牙を苦しめてしまったことを後悔した。 どうして俺はこうも同じ失敗を繰り返すのだろう··· 「·····分かった。」 暫くの沈黙の後、頭上から聞こえてくる蒼牙の声に顔を上げた。 「だから···慰謝料。悠からめちゃめちゃエロいキスしてくれたら、許してあげる。」 そこにはいつもの優しい声で、少し意地悪な微笑みを浮かべた蒼牙が居て。 俺もつられるように微笑むと、カナの香りがついた上着を脱ぎ捨てた。 「ごめんな···それと、ありがとう···」 もう一度そう伝えると、ソッと頬に手を添え瞳を見つめた。 「···愛してるよ」 「··もっと言って···全然足りないから··」 クスッと笑う蒼牙の瞼に口付ける。 「愛してる···蒼牙だけを、心から。···愛してくれてありがとう···」 何度も愛を囁き、瞳を閉じた蒼牙の綺麗な顔にゆっくりと唇を寄せていったー。

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