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やがて光が消える前に
ゆりかごから墓場まで、イギリスの休息をぶち壊したのはサッチャーだと怒っていたのは市立大学を中退した、グループの中でも一番のインテリを気取っていた赤毛のケニーだったか。あいつはベルファストへRPGを三十発撃ち込めと言う位とち狂った右派だったが、そんな奴でも鉄の女の狼藉は許容出来かねたらしい。彼女をこき下ろす為ならば、モリッシーみたいな女々しい野郎の言葉ですら引用してみせる程だった。
「あのオカマ野郎は言ったんだ。『死んだからと思って許されると思うなよ。地獄に堕ちろ』これは全く正しいね」
カーラジオでオカマ野郎が「二階建バスが突っ込んできて欲しい」とか「十トントラックに轢き潰されたい」とかヒンヒン呻いている。眠気を誘われた。五月のそよ風が頬を撫で、鼻をくすぐる草の匂い。おまけに傍らの小川からはせせらぎが、まるで頭の天辺から爪先を撫でるかのようだった。
近辺で人間が存在する可能性の一番高いキャンプ場は、車で三十分ほど離れている。ここは俺達の場所だと、フィンレイは自信を持って答えることができた。例え不法侵入した山林であろうとも。乗り付けてきたピックアップトラックから今体の下に敷いている毛布まで全部盗品であろうとも。自らを抱きかかえる男の考えが全く読めずとも。
二人スプーンのようにぴったり重なって横たわったまま、フィンレイはバンパーから滴り落ちる雫を眺めていた。規則正しい滴下は余計に頭をぼんやりさせる。
ロッドは碌に身じろぎもしないし、呼吸が乱れることもない。目は覚ましているはずだ。フィンレイの腹に当てられた分厚い掌は、時々軽く撫でるような動きを作る。まるではらわたのどこかに赤ん坊が隠れているのを探しているかのように。
こんな真似は、もっと綺麗な女相手にやるべきだぜと言ってみたが、ロッドは譲らない。ちょっとはおっさんを労れや、なんて抜かされて、もう一時間程だろうか。その間にフィンレイは少なくとも三回、意識を完全に睡魔へ乗っ取られた。それ以外の時もうとうと心地いい微睡は脚を捉えたまま。このまま今日を終えてしまいたいとの願いは許されるだろうが、残念ながらあと幾らもしないうちに陽は傾きを強めることだろう。そうでなくても山の日暮れは早いのだから。
「ロッド」
体温の高い身体へ背中から埋もれるようにし、フィンレイは囁いた。これまた温かい手に掌を重ね、軽く指先で掻いてやる。勿論爪を立てることはしない。
「俺のこと好き?」
口にし終えてから、フィンレイは一、二、と心の中で数を数え始めた。本能的に、答えが戻ってくるまでに時間が掛かるとは知っていた。
返事は案外早かった。「ああ、愛してるよ」と煩わしげに、いかにも手慣れた風に、低い声で鼓膜を震わせてくる。
「ったく、甘ったれたガキだな」
まるで赤ん坊がおしゃぶりをしゃぶるかのようだった。耳たぶにはまず伸ばされた舌が到達し、それから唇でそっと挟む。歯を立てずに柔く圧だけ掛けられ、それから産毛を毛繕いするように舌先でちろりと舐められた。うなじがぶるりと震える。男の案外巧みな接吻の技巧を思い出してしまったのだ。
舌の根がひくついてきた頃を見計らって、腹に触れていた指先に力が込められる。普段突き入れられる最奥のところを二本、いや三本分の指の腹で押されるともう堪らなかった。柔軟な筒のような内臓が刺激を求めてひくつき、脈打つように相手の指へ刺激を返しているかと思うと、頬にかっと熱が上る。
「盛るなよ、おっさん」
精一杯冷徹な声を出したつもりだった。成功していたはずだ。だってロッドは益々興奮したようだから。Tシャツの襟ぐりが伸びることなどお構いなしに首の付け根へ吸い付く。かさついて熱い唇の感触に、痺れは背筋から尾てい骨まで瞬く間に波及した。
微かに身を反らせた際に、尻へ硬い感触を感じる。それまで穏やかに腹を撫でていた手は一度下がってシャツの裾へ。風はそろそろ冷たさを増しているはずだが、剥き出しになった腰骨の上は寒さを覚えなかった。するすると撫でる指先が、熱を孕んだ布の中に滑り込み、直に肌へ触れた。彼の手も熟んだ温度を持っている。
身体は間違いなく快楽へ屈しかけている。けれど心は酷くざわついた。怖い。でもこの恐怖が好い。
背後の逞しい首へ腕を絡め、顎を持ち上げる。すぐさま顔が寄せられて、望んだものが与えられた。どれだけ舌を絡めても、不自由な体勢で時々外れる唇が、もどかしさと興奮を煽った。
身を起こして相手を毛布に押し付け、ジーンズのジッパーに手を掛ける。ロッドは仰向けのまま片眉を持ち上げた。このおっさん、いつも人を食ったような態度を取るくせに、案外馬鹿なところも多いなと思っていたが、今日は年相応に見えた。きっちりと仕事をこなす、立派な大人に。
実際、ここに来てからの仕事において、大半はロッドが片付けてくれた。フィンレイがやったのはせいぜい穴掘りを手伝っただけ。本来掘るのはお前の仕事じゃないのになと、汗を拭う腕で額に泥の跡を付けながら、彼は笑っていたっけ。
欲情と暴力への興奮でぼうっとなりながら、フィンレイはもう一度背後を振り返った。バンパーを垂れ落ちる赤い雫はもう乾いている。あとは血のついた毛布を鋏で切り刻めば良いだけだ。骸を包むのに何枚も使ってしまったから、二人は折角の午睡で多少痛い思いをする羽目になってしまったのだ。
でもここから先、背中が痛むのはロッドだけ。今日するなら騎乗位がいい、やる気は十分なのだから。
その為の準備を行う為、フィンレイは、後頭部に添えられた手へ促されるまま、男の股間へ顔を埋めた。
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