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ナイト・アウルの爪の下
せっかく気持ちよく眠っていたのに。気付けば背中へひたりと熱が寄り添い、体は好き勝手まさぐられている。
またかよおっさん、と抗議するのも億劫で、フィンレイは覚醒直後に何度か呻いたきり、そのまま寝たふりを続けた。ロッドは枕に埋まった横顔を肩越しに覗き込み、起きている前提で話しかける。
「フィン」
眼前の顎を掴み強引に首を捻る手つきは、人形か死体でも相手にしているように手前勝手だった。無理な姿勢に眉根を寄せても、全然止めてくれない。それどころか唇を触れ合わせざまの囁きから、彼の熱量が上がったことを知らされるばかりだった。重い声音は普段に増して掠れ、下卑た色気を湛えているのだから憎らしい。
「いいさ、お前はそのまま何もしなくて……どうせすぐに我慢出来なくなるだろうからな」
昼行性と夜行性の生き物が一緒に暮らしているようなものだった。ロッドがむらつくフィンレイに迫られれば嬉しげに目を瞠るのと同じく、フィンレイもロッドが欲情するタイミングをしばしば見失う。
彼が空気を読めないだけで、自らの場合は分かり易いのではないかと思う。共通項は刺激だ。危険と命を天秤に乗せ、担いで走り続けたバッグを背中から下ろし、中から戦利品を掴み出すその瞬間。或いはただ、慕わしい男が気分の良くなることをしてくれたから。
ここのところはヤマもなく、来週辺りから宿代はツケにするか、それは許されるだろうかと額を突き合わせる今の状況は、楽しくも何ともない。焦れるフィンレイを後目に、けれどロッドは落ち着き払ったものだった。今日もまた馬に賭け、400ドルほどスッたにも関わらず。スクリューストライクスなんて名前の馬が勝つ訳ないと、フィンレイがどれだけ忠告しても聞き届けられることは無かった。いっそ負けることを楽しんでいるのかとすら思えてくる。
相手が頑なに無反応を貫いても、厚い皮の張った手のひらは傍若無人の探索を続けた。たこの出来た人差し指が乳首を爪弾くように掠めると、勝手に鼻からの息が荒くなる。下着一枚で寝る習慣がこんな形で祟るとは思わなかった。これからは嫌がらせ目的の為だけにでも、せめてシャツは身につけて……
「左隣の部屋に住んでるあの爺さん、ベランダで何を育ててやがるんだか……トマトか、茄子か。明日の朝起きたら何個か毟って来ようか」
茄子は嫌いだ、植物の癖に中途半端な弾力がある歯応えをどうしても好きになれない。家でそんなことを言ってフォークで跳ね除けようものなら、皿を引き上げられ、その晩は飯抜きにされるだろう。けれど目の前の男はきっと、代わりにアイスクリームを買ってくれる──まさかそんな小銭さえ残っていないなんてことは、断固として想像したく無かった。
思う存分堪能する為、前戯は長引かされるものかと身構えていた。だが無骨な手はすぐさま下着の中に滑り込んでくる。コットンのボクサーショーツと言う隔たりを失うと、彼の手指は一層ごつごつして感じられた。全く手際の良いことに、太い指は濡れていて、肉の奥に隠れた場所を探り当てる。
いつもの癖で深く息を付けば、ロッドは喜んでくれた。耳元でくっくっと喉を鳴らされたら嫌でも分かってしまう。それでこっちも愉しんでるなんて思うなよ、とフィンレイは内心吐き捨てた。例え俺が乗り気でなくても、最後は思うがままにしてしまうだろうに。
子供の丸い頬を抓るように、ごく浅く含ませた指を軽く縁へ引っ掛け、外側からは親指で挟み揉まれる。具合は知り尽くしている、あまり狭過ぎるから、広げる準備をしてやっているのだと言外に示されているようで、居心地が悪い。
ロッドと寝る以前に男とやったのは余程の緊急事態の時だけ、片手で数える程の機会しかなかった。その方面の話題へ傾くと、ロッドは涼しいそぶりをしながら、わざとらしく酒を煽ったり、紫煙を細く長く吐き出して見せたりする。細められた瞼の奥で光る目が余りにも陰鬱で得体が知らないので、フィンレイも積極的には口にしない、また頑なに隠し通すこともしない。
不安と恐怖は動悸を激しくさせる。上手く波に乗ればいい、性欲への車線変更の機会は目前に開けていた。俯いた拍子に口元へ近付いたシーツを噛む。まるで仕草をなぞるかの如く、ロッドも露わになった項へ歯を立てた。
「可愛い奴だ、お前は」
「うるさい」
呆気なく脱ぎ捨てた嘘は下着と共にベッドの下へでも追いやってしまおう。突き入れる度拓く深度が増すアナルにちかちかする目で天を仰いでいたら、喉元を這う手が口へ迫る。半開きの唇から一気に人差し指と中指を差し入れられ、追い出そうとあらがっていたのは最初だけ。結局舌は囚われた。挟まれるのも、指の背で擦られるのも、頬裏の粘膜を伸ばすように圧し広げられるのも、小さな虫歯に侵された臼歯を折るような勢いで強く押されるのすら気持ちいい。だらだら伝う粘性の強い唾液が、顎先で玉の滴になり、やがてシーツに吸い込まれていった。3日は変えていないから、これから幾ら汚れたところで構いはしない。
同じぬかるみでも、下の方は中々具合が良くならない。指はようやく一本目が股まで入ったと言う有様だった。ほっと一息付く間も無く2本目を足され、先程あやされた縁がぴりりと痛んだ。宥めるように手のひらで尻を撫でる手つきがおっさん臭くてならない。引き攣り笑った拍子に、板のような爪へかちりと歯を当ててしまう。
「ひもひいい」
「何だって?」
唇と粘膜の境目から、ぬるりと引き伸ばされる細い糸が惜しくて、フィンレイは出来る限り口を動かさず、早口に繰り返した。
「きもちいい」
「そりゃ良かった」
踵を後ろへ跳ね上げるように何度も何度もシーツを蹴って腰のむずつきを増幅させ、その奥の快感を手繰り寄せる。ほぐれていく穴と比例してじわじわと、と言うよりは、あるタイミングで突如それは訪れるものだ。数度強く身を逸らした後、突き出した臍の下辺り一体に、びりっと電流が走った。痛みを伴う刺激は、最初排泄欲と勘違いしてしまいそうになる。ぐうっと押し下げる勢いで、中の指を圧搾する内臓に、フィンレイは羞恥と達成感で頭を弾けさせた。
「ぁ、ああっ」
もうしばらく、ぐちぐちと重い音を立てて捏ねた後、ロッドは唐突に指を抜き去った。皺が再び窄んでしまわないよう、急いで熱い塊が押し当てられる。
「かお見てしたい」
一つだけ、フィンレイがそうお願いすると腰が離れ、体をひっくり返された。
斧を勢い任せに振り下ろして刻んだような、荒々しい端正さだ。暗闇で陰影が濃くなると、ロッドの顔立ちはより凄みが増す。けれど表情筋の動き方は、案外和やかなのだ。だからこそ恐ろしい。一度彼が酒場で見知らぬ相手に喧嘩をふっかけた時だが、床に伸びた体を引き摺りながら彼が鼻歌を歌っていたのを耳にしたことがある。懐メロ、確かボン・ジョヴィの有名な曲。駐車場に放り出した自分よりひょろっこい青年へ、気取りない足取りで歩み寄って、腫れ上がった顔を思い切り踏みつけた時に、ようやく歌声は止んだ。
あの時、煤けた酒場の灯の中へ戻ってきた時と寸分違わぬ静かさで、ロッドは微笑んでいた。しばらく見つめてみたが、結局今日も不穏と諦めが肩を組み、理解を凌駕する。ざわめく胸に促されるまま、フィンレイは男の名前を呼んだ。
「やっぱり、分かんないや」
ほんの数秒前、蕩ける唇に乗せた「したい」と言う言葉すら、今では曖昧だった。それでも良いの、とは心の中でだけ問いかける。なのに汚れた指で目の前の頬を撫でながら、ロッドは猫撫で声で囁いた。
「ああ。良いのさ。最初からそう言ってるだろう」
ゆっくりと腰を進めるのは、強く意識させたいと思っているからだ。逞しい肩へ両手をかけ、頬を擦り寄せながら、フィンレイは全てを委ねた──つもりだったが、やはり考えてしまう。
これが肉欲だけなら。悲しい? それともホッとする?
こんなふうに頭を回すから、眠気が吹き飛んでしまうのだ。今更ながら向っ腹が立ってくる。このままでは明日も起きるのが昼前になってしまうだろう。そうなったところで全く生活に支障は無いのだが、他人に好き勝手されるのは癪だ。せめてもの意趣返しに盛り上がった目の前の筋肉を齧ってやったが、やはりロッドは楽しそうな笑い声を立て、体を引き寄せてくるばかりだった。
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