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3.ここにいて-3
完全に飲み過ぎてしまい、立ち上がると酷い眩暈をおぼえた。
「大丈夫ですか?」
店を出たところで足がもつれ、小野塚に腕を掴まれる。
「ごめんなさい、俺が勧め過ぎちゃいましたね。家まで送りますよ」
「……でも君、家が遠いんじゃないの」
「まだ9時過ぎだし、いざとなったらタクシー乗っちゃいますよ。今月、結構貰ったから」
なんとか断ろうとしたが、ほとんど引きずられるように駅へ向かい、電車に乗った。事故で遅延しているとアナウンスが流れていて、車内は満員に近い混雑だった。人波に押されて、水澤は小野塚の肩に顔を押しつけるようになった。途端にぐらりと視界が歪み、くずおれそうになるのを小野塚に支えられた。
「もう少しですよ」
なんとか最寄り駅に到着する。
「ここでいいから……」
「遠慮しないで。フラフラしてますよ」
自宅のマンションまでは歩いて10分もかからないし、まだ人通りもあるから、正直なところもう解放して欲しいのに、腕をがっちり絡まれていて身動きがとれない。そのままエントランスの自動ドアをくぐる。
「きれいだなー。新築なんですか?」
「……まあね」
住民に見られたらと回らない頭ながらも緊張したが、運良く誰とも出逢わずにエレベーターに乗って6階の自室にたどり着いた。
「とにかく横になって、少し寝たら良くなりますよ。水飲みますか?」
「いらない……」
今なにか口に入れたら、吐いてしまいそうだ。水澤は枕に顔を押しつけた。酒と煙草の臭いが染みついた体で夫婦のベッドに上がるなんて、佐希子がいたら決して許すはずがない。
「暑いですね。窓開けましょう」
小野塚が窓を開けると、ひんやりした風が吹き込み、すこしだけ気分が楽になった。
「すみません。水澤さんとじっくり話せて楽しかったんです」
小野塚の申し訳なさそうな声にどうにか首を振る。水澤自身も楽しかったのかどうかはわからないが、小野塚に持ち上げられるまま自分がやってみたいと考えている商品やイベントの案をぽつぽつ話していた。水澤さん、戻ってきてくださいよとまで言われてすこしいい気になっていたらしい。飲み過ぎたのは小野塚のせいではない。
自己嫌悪に陥りながら、やはり話し相手は必要なのだろうなとぼんやり思っていた。誰かに話して相槌を貰うだけでも、混沌とした思考が整理されていくのがわかる。
「俺も君と話せて良かったよ」
やはり自分は商品企画課に戻りたいのだ。小野塚と話してそれがわかった。
「……それじゃ、俺帰りますね」
立ち上がる気配に、水澤はハッと顔を上げた。小野塚の背中がとても遠くに感じる。
「待ってくれ」
思わず声をかけていた。小野塚が振り返る。
「どうしました?」
「もうすこし……いてくれないか」
言葉にしてから、水澤は急に恥ずかしくなった。小野塚が気にせずに出て行ってくれればいいと思った。
しかし小野塚はふたたびベッドの脇に腰を降ろした。
「具合が悪いんですか」
「い、いや……違うんだ……」
見つめられて水澤はひどく緊張したが、それでも小野塚にいて欲しいと思った。
「寂しくなっちゃいました?」
「……そうかもしれない」
「なんですか、そうかもしれないって」
小野塚は笑った。
「でも、水澤さんはあんまり俺のタイプじゃ無いんだよなあ」
なにを言ってるのかしばらく理解できなかったが、彼がゲイであることを思い出すと生々しい想像をしてしまい、体の奥が熱くなった。
「そんなつもりで言ったんじゃ……ないんだ」
「俺と寝たいわけじゃないんですね」
あまりに直接的な表現に、水澤は夢中で首を振った。
「あの、ただ居てくれれば……」
「それだけでいいんですか」
「……うん」
自分から頼んだのに、どんどん居心地が悪くなる。
「俺が眠ったら……帰っていい……」
「すっごく眠そうな顔してますよ?」
「いつもなかなか眠れないから」
それじゃあ終電逃しちゃうかもなあと小野塚がぼやいたので、水澤は申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
「やっぱりいいよ。家、遠いだろ?」
「気にしないでください。俺に付き合ってくれたんですから」
「……」
水澤は顔を伏せた。そこに小野塚の気配を感じるだけで、緊張するような、その反面安心できるような妙な感覚になる。
「添い寝でもします?」
「いや、そういうのは……」
「はは、冗談」
布団の上に投げ出した左手を、ぎゅっと握られた。水澤は反射的に手を引っ込めようとしたが、小野塚は
「これくらいならいいでしょ?」
と、放してくれない。いい歳をした男同士でなにをやっているのだろう。水澤は面倒臭くなり、抵抗するのをやめた。
「そうだ、水澤さんお薬飲まなくていいんですか」
小野塚が何気ない感じで訊ねる。
「薬?」
「寝る前に飲んだりしてないんですか」
確かに、いつもならば睡眠導入剤を飲んでいるのだが、やはり小野塚は薬局での様子で察しているのだろうか。
「……飲みたくない」
水澤は泣きそうになった。酔っているにしても年下相手に情けないが、感情のコントロールがきかなくなっている。
「薬飲んだ方が眠れそうですけどね」
小野塚の声はあくまで穏やかだ。
「……君は睡眠導入剤の怖さを知らないんだよ。飲み始めてしばらくは確かに眠れる。強制的に意識をシャットダウンされるみたいな感じだ……でも、半月くらい経つと効果が薄れてまた眠れなくなる。量を増やす。しばらくするとまた眠れなくなって、もっと強い薬に替える……この繰り返しだ」
「俺、胃がヤバいときも夜は眠れたんですよ。だから水澤さんの気持ちはわからないかも」
「眠れないのは恐い。闇の中で不安が押し寄せてきて、クタクタに疲れているはずなのに、脳は冴えわたっているんだ……」
長々と語ってしまい、小野塚がうんざりしないかと心配になり様子を窺ったが、ばっちり視線が合ってしまい慌てて目をそらした。
「……効かない薬だと、飲む気を失うだろう?」
ばつが悪くなった水澤は、言い訳がましく付け足した。
「そうかもしれないですね」
小野塚は手を握ったまま答える。
「俺がそばにいたら眠れそうですか?」
「わからないけど……そんな気がする」
「じゃあこのままでいますよ」
これ以上喋ったらまたおかしなことを言いそうなので、水澤は黙って目を閉じた。体中の神経が小野塚に握られた手に繋がっているような気がする。アルコールのせいもあるのだろうが、不安感や余計な考えは浮かばず、ただ小野塚の掌であたためられた血液が、心臓を介して四肢を巡っているような感じがする。やわらかな睡気が瞼を撫でるようだ。どうしたのだろう。久々に飲んだ安酒のお陰だろうか。
水澤はなぜか眠るまいと努力していた。まだ小野塚の手を感じていたかった。別に彼に対してなにか感情を持っているつもりではない……はずだ。ただ彼の掌のぬくもりがいとおしいだけで。
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