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5.キスしてもいいですか-1

 小野塚は待ち合わせ場所に会社のエントランスではなく、最寄り駅から4駅目の改札口を指定した。雑誌やテレビでお洒落な街としてよく取り上げられている界隈である。  承諾したくせに気が乗らないのもあり、水澤は連絡もせず15分ほど遅刻したが、小野塚はきちんと待っていた。途端に罪悪感に駆られ、水澤はあれこれと言い訳をしたが、特に気にもしていない様子である。 「予約時間過ぎちゃいましたけど、大丈夫でしょう」  そのまま連れ出されて、高級ブランドの路面店が並ぶ大通りから一本入った路地の、狭いドアの店に入る。  店の中もあまり広くなく、テーブル席が3つとカウンターだけである。ふたりはボーイに真ん中のテーブルを案内され、椅子に座った。奥に男女のカップルがいるようだが、照明が暗めなのであまり気にならない。 「多国籍料理の店なんですけど、野菜が美味いんですよ。契約農家から毎日直送されるんです」 「……女子が喜びそうな店だね」 「女友達に教えて貰ったんですよ」  メニューを見ると、確かに野菜や茸がメインの料理が多い。といっても肉や魚が無いわけではなく、小野塚は「北海道産ハムとチーズの盛り合わせ」を早々に注文している。 「水澤さん、飲み物どうします?」  こんな店では烏龍茶はメニューに載ってないだろう。ノンアルコールカクテルは意外に充実していたが、オレンジジュースとかパイナップルジュースとか、シロップなんかをシェイクしたものばかりである。 「甘くないのがいいんだけど……」 「じや、トニックウォーターにしましょう。メニューに無いけど、頼めば出してくれますから」  なるほど、トニックウォーターならカクテルの材料だから常備しているということか。  水澤に気を遣ったのか、小野塚はジントニックを頼んだ。どちらもタンブラーで提供され、見た目にはアルコールの有無はまったくわからない。 「突然誘っちゃって、すみませんでした」  言葉の割にあまりしおらしい態度ではない。水澤は嫌味のひとつも言いたくなった。 「君はいつも当日言ってくるじゃないか」 「ああ~そうでしたね」 「どうせ、林原と行くはずの店なんだろ」 「あはは、正解です」  メッセージには振られたなどと書いていたが、そこまで傷が重いようには見えない。傷心のヤケ飲みというよりは、単に予約した店のキャンセルが勿体ないくらいの気分なのだろう。酔ってくだを巻くなら、以前行った海鮮居酒屋の方が適している。泣こうが潰れようが、煙と喧騒に紛れてしまう。 「で?振られたってどういうことなんだ」  水澤が単刀直入に訊くと、小野塚は少し考えるように黙っていたが、やがて口を開いた。 「この店に連れてきて、いい感じになるつもりだったんですけどねえ」 「そんな簡単にいくものか?」 「……と思ってたんですよ。けっこう話が合うし、それとなーく触っても嫌がる気配もないし……」  酔い潰れた夜に、小野塚に手を握られたのを水澤は思い出した。あのときはつい気を許してしまったが、彼は林原の手も握ったのだろうか?小野塚にとって手を握るという行為が何を意味するのかわからないが、林原にもしたのかと考えるとあまり愉快ではない。とはいえ、それは水澤の感覚であって、小野塚は深く考えずにボディタッチをするタイプなのかもしれない。  小野塚はジントニックをあおった。 「昨日の昼過ぎに、林原くんから連絡があったんですよ。飲みに行くのは別の日にしてほしいって」 「別に振られたようには思えないけど」 「それがですね、延期の理由が“彼女のお父さんが倒れて緊急手術になったから”だそうで……」  交際相手の父親が手術したとしても、付き合って日が浅ければそこまで気を遣う必要もあるまい。林原がそこまで言うのならば、「彼女」とは家族ぐるみの付き合いなのかもしれないし、すでに結婚目前の可能性すらある。 「林原は今日出勤してたんだろ?なにも話さなかったのか」 「今日はちょっと……俺も忙しくて」  小野塚の返答は歯切れが悪い。意図的に避けていたのかもしれない。 「彼女が居たらダメなのか?」 「略奪はしたくないんです」 「ふん、やさしいんだな」 「あんまりいじめないでくださいよ」  小野塚は苦笑して、生野菜にディップをつけてしきりに口へ運んでいる。 「食欲はあるんだ」 「ヤケ食いです……あー、慰めてくださいよ」 「どうせ店をキャンセルしたくないぐらいの理由で誘ったくせに」 「はは、スミマセン。この店美味いから」  そうだ、どうせ林原の代打に過ぎないのだから、多少嫌味を言ったところで罰は当たるまい。とはいえ、水澤は林原のことを根掘り葉掘り聞きたいわけではない。小野塚の林原への思いがいかほどのものか興味が無いわけではなかったが、探れば探るほど惨めな気持ちになりそうだ。とはいえ、小野塚と林原が深い関係にはならないとわかり、水澤は安堵していた。他人のことなのに、自分でも妙な感じがした。

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