卒業パーティーの日に王位継承権を剥奪されたウィルフレッド殿下は陛下のお叱りを受け、再教育のため離宮へと押し込められましたが、その後許されて正妃様のご実家であるケンドール公爵家が持つ爵位の一つ、パルム子爵を受け継ぎウィルフレッド・パルムと名乗られ領地に入られました。心を入れ替えて領主としての勤めをしっかりと果たしておられます。 　一方のイリーナ嬢は、貴族への名誉毀損、不敬罪と偽証罪で捕縛されるところ、ウィルフレッド殿下が賠償金を立て替えられた事により罪は許されました。殿下は返却の代わりにイリーナ嬢を領地へお連れになり領主館で無報酬で働かせているそうです。卒業パーティーで殿下を詰っておられたイリーナ嬢ですが、それでもお二人が別れなかったということは、案外ウィルフレッド殿下は真剣にイリーナ嬢のことが好きだったのかもしれません……それとも『共に暮らしました』という物語の強制力のせいでしょうか。 　どちらにせよお二人にはお嬢様に一切関わらず末長く共に暮らして頂きたいと思っております。 　さて、未明まで降り続いた雨は止み、朝露が葉に光る頃には青空が見え、今は雲一つない快晴となりました。雲の代わりに真っ白な鳩とたくさんの白い花吹雪が空に舞っています。 　からん、からんとお祝いの鐘の音が高らかに鳴り響く中、本日カイル殿下とお嬢様の結婚式と戴冠式が同時に行われました。 　結婚式を終えられたお二人は、バルコニーに並んで立ち、国民に手を振っています。 　白地に金糸の紋様が入ったタキシードと、同じ意匠の金糸で細かく刺繍が入った白いウエディングドレスが青空に映えてとても美しいです。 　お嬢様との結婚により王位を継がれたカイル陛下と、今や王妃となられた押しも押されもせぬ元グランティア公爵家の令嬢アリシア王妃。お二人の姿も然(さ)ることながら、身分的にもお似合いです。 「……とてもお美しいです、お嬢様」 　私と姉のオリビアは、バルコニーがある部屋の隅に王宮付きの使用人たちと共に立ち、そこからお二人を見守っています。その中にはカイル殿下のたった一人の使用人であった侍従のキャンベルさんもいます。私たち姉弟はお嬢様の結婚後お嬢様に付いて行き、公爵家から王宮勤めになりました。 　お二人の結婚はとても喜ばしいことです。 　 　……でも私はーー。 　胸の奥がもやもやして痛いのです。 　この胸の痛みが失恋によるものだとしたら、私はカイル殿下のことをお慕いしていたのでしょう。 　並び立つお二人を近くで拝見するのは辛いですが、お嬢様のためなら私のこの思慕すら完璧に隠してみせましょう。私はお嬢様の従者ですから。 　ーー…その時はまだ、お嬢様がカイル殿下とされたお約束の内容を私は知らずにいたのです。 　＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝ 　私が初めてカイル殿下を拝見したのは、お嬢様が私に王妃教育の資料をお見せ下さった時でした。 「この人が第二王子のカイル殿下よ。あたしに協力してくれそうな人か調べてきてちょうだい」 　小さい頃に擦り切れるほど読んだ絵本に出てきた、銀髪と紫の瞳を持つ王子様がお姫様を拐った悪魔を倒して王様になるおはなし。お嬢様に見せていただいた絵姿のカイル殿下はまさにその王子様そのものでした。 　王妃教育の資料によると、カイル殿下は陛下の寵愛が一番深かった側妃、元伯爵令嬢クレア様の一人息子で、正妃様からの嫉妬により母子共に冷遇され、クレア様が亡くなった今は側室宮の一室でお過ごしになっていらっしゃるそうです。絵姿のカイル殿下は大人っぽくて、私と一つしか違わないとは驚きでした。童顔でいつも十くらいにしか見られない私と比べると青年と少年くらいの差があります。 　その時はまさか私がその方とお茶を共に嗜む仲になるとは思いませんでした。 　ウィルフレッド殿下の婚約者に決まったお嬢様が、初めての王妃教育のため王宮に上がった日。私は薔薇が咲く庭園で偶然カイル殿下にお会いしたのです。 　 　お嬢様は勉強のためお部屋にお籠りになり、侍女であるオリビア姉さんもそれに付いていました。王妃教育ですので、男性である私は部屋からやんわりと追い出されたため、その間にお嬢様に頼まれておりましたカイル殿下の身辺調査をしようと、お住まいになっている側室宮の方へと向かいました。 　その途中で庭園に咲く色とりどりの美しい薔薇が目に入り、あまりの美しさと暖かい風が吹く良い天気だったこともあり、ついフラフラと庭園へ下りてしまいました。白、ピンク、黄色、青、それに赤…。たくさんの色や品種の薔薇が咲き、その色を追ううちに気が付けば庭園の奥まで来てしまいました。そこで偶然にも調査対象のカイル殿下にお会いしてしまったのです。 　お会いした瞬間、あれほど綺麗だと思っていた薔薇の花は霞み、ただの背景となりました。 　今思えばそれは一目惚れというものだったのでしょう。 　流れるような長い銀髪は真っ直ぐに肩まで伸び、紫の瞳はまるで煌めく紫水晶(アメジスト)のよう。襟の部分に目立たぬよう銀糸の刺繍が入ったシンプルな白シャツにネイビーのトラウザーズと、地味な装いですが着ている人が高貴な方だと、衣装にも優美さが漂います。 　従者の立場では話すことすら出来ない雲の上の存在の王子様。勝手に庭園に入り、なおかつ王族の方の前に姿を見せるなどと、その場ですぐに切り殺されてもおかしくありませんでした。現にカイル殿下に付いていた侍従ーーおそらく殿下の護衛もされているのでしょう。彼は左手の指全てに鋭利な解剖用メスを挟み、後ろ手に隠し持っておりましたーーが、私を今にも排除しようとしております。どこから出したんですか、その四本のメスは…おそらく私が少しでも殺気を出していたら殺(や)られていたでしょう。私もお嬢様の身を守るため暗殺術を身につけておりますが、この侍従には勝てそうにありません……。 「そこの君、直答を許す。名前を教えてくれないか？」 　直答を許して頂くということは、従者である私が王族であるカイル殿下と直接言葉を交わしてもいいということです。言葉を交わす緊張と、私を今にも殺しそうな目で見てくる侍従に怯えながらも、何とか名を名乗ることが出来ました。 「グランティア公爵家のご令嬢、アリシア様にお仕えしておりますエリク・ガーランドと申します」 　私はカイル殿下に完璧な所作で礼をしました。完璧な礼のしかたはお嬢様とオリビア姉さんが仕込んでくれたものです。お嬢様のようなカーテシーではない男性の礼なので華やかさに欠けますが、自画自賛するくらい綺麗に出来たと自負しております。 「勝手に庭園に入り込んでしまい申し訳ありません。あまりにも美しい薔薇で、近くで拝見したくてつい……」 「……あ、いや。構わない」 　カイル殿下は王族なのにとても謙虚なお方のようです。長い睫毛の下で紫色の瞳が宝石のようにキラキラと輝き、銀髪と相まって人形のように綺麗なお方です。真正面で顔を見られて私は赤面するとともに、私のような一般的な顔立ちをした者が、見目良いカイル殿下と一緒にいるということが恥ずかしくて堪らなくなりました。 　カイル殿下は、従者の立場である私がなぜ顔と名前を知っていたのかが気になったようでした。 「なぜ私のことを？」 「王妃教育の資料の中に、王族の皆様の絵姿がありました」 「ああ。あれか。私の顔を覚えてくれていたんだね」 　絵本の王子様を忘れるわけがありません。普通、絵姿は本人よりも良く描かれます。それなのに私の目には本物の方が絵姿よりも何倍も魅力的に見えました。 　私の答えに納得したカイル殿下は何やら手振りで侍従に指示をされました。侍従が席を外す際、カイル殿下に何かあったらお前を殺す、とでも言いたそうな殺気を私に向けてきました。私のことよりも先ほどから離宮の柱の影に潜んでいる暗殺者を何とかしたほうがいいかと思います……。 「まだ時間はあるだろうか。お茶も用意させたし、少しの間でいいから私の話し相手になってはくれまいか」 　侍従への指示はお茶の準備だったようです。まさか私がお茶のお誘いを受けるとは思いませんでした。私のような立場の人間と共にお茶を飲んでいるところが誰かに見つかってしまったら、カイル殿下に悪い噂が流れるかもしれません。何度もお断りしましたが、その度に寂しそうな顔を見せてどうしてもと言われるので、つい絆されてしまいました。 　こくりと頷くと、カイル殿下は私の手をお取りくださり、自らガゼボに案内して下さいました。お嬢様も下々の者に対して分け隔てなく接して下さいますが、カイル殿下も同じだと分かり嬉しくなりました。ウィルフレッド殿下をはじめとする王族の方々は、私たち使用人を軽んじたり蔑んだりするのに。 　繋がれた手はとても温かくて、顔に似合わずゴツゴツとした手のひらや指のまめの手触りがカイル殿下の努力を表していました。あれは剣やペンを何時間も持った手でした。 「ごめんね、ここまで連れてきてしまって。同じくらいの歳の子とあまり話したことがないから話がしたくって。これからも君は王妃教育の時に王宮に来るだろう？　時間が空いた時でいいから私の話し相手になってくれると嬉しいな。お友達がいない私を助けると思って。ね？」 　カイル殿下はずるいお方です。ガゼボに案内された時の手の繋ぎ方よりも熱くぎゅっと手を握られて、上目遣いでそんなことを言われると断れなくなってしまいます。こんなにも情熱的に手を握られたのは初めてのことです。きっとこの時の私の顔は真っ赤になっていたことでしょう。 　 　王妃教育の時間は正妃様もお嬢様も王宮の同じ部屋に居られます。ウィルフレッド殿下とその取り巻きたちもわざわざ奥まった側室宮に近い庭園には来ないでしょう。私たちが共にお茶を飲んでも見咎める人はいなさそうです。それならば王妃教育の時間は私も時間が空きますし、カイル殿下の人となりも分かりますのでちょうど良いお申し出ではないでしょうか。 「……分かりました。私でよろしければお相手いたします」 　色よい返事にホッとしたのか、殿下ははにかむように頬を染められました。その嬉しそうな顔(かんばせ)を見て、断らなくて良かったと思いました。 　カイル殿下はウィルフレッド殿下とは違い、側妃の子というだけでご学友も付けてもらえない不遇な生活をされているようです。近い年齢のお知り合いはいないとの事なので、私と会話することで少しでもカイル殿下の心を癒すことができたら幸いです。 　つらつらとカイル殿下について私が思ったことをお話ししていた時のことです。 　つ…っとカイル殿下の紫水晶の瞳から涙が一条流れ落ちました。 　私はカイル殿下を泣かせてしまったのです。でも、自分のどの言葉がカイル殿下傷つけたのか分かりませんでした。 　焦った私は子供にするように無意識に手を伸ばし、不敬にもカイル殿下の頭を撫でておりました。公爵家が経営している孤児院に訪問した時はいつも泣いている子供をあやすため頭を撫でており、おそらくその時の癖が出てしまったのだと思います。 　幸いにもまだ侍従は戻ってきておらず、先ほどの暗殺者の気配も感じません。誰にも見られていないことをいい事に、今だけは殿下の気が済むまで甘やかして差し上げようと思いました。もうカイル殿下の頭を撫でる母(ひと)はいないのですから。 　どれくらいそうしていたのでしょう。私は侍従の剣呑な気配を感じて手を離しました。ちょうど吹いた暖かな風が、薔薇の紅茶とクッキーと血の匂いを運んできました。ああ、どうやら先ほどから気配を感じなくなった暗殺者はさくっと侍従に殺られたようです。お茶を用意するだけにしては少々遅いと思いました……。 　さて、笑顔の侍従の手によって各自に紅茶と数枚のクッキーが置かれました。あの…私に用意されたクッキーの中に毒入りのものが一枚だけ混じっているのですがわざとでしょうか。私はカイル殿下が侍従の方を見ている隙に毒入りのクッキーだけを選別し、間違って食べてしまわないようにさっとポケットに入れました。紅茶には何も入っていないようです。これはアレですか？　私への腕試しなのでしょうか。 　そんなことを思っていると、慌てたカイル殿下が紅茶とクッキーを口に入れられ私に勧められました。高位であるご自分が食べないと私が口にできないからと考えて下さったのでしょう。機転が効く上にとてもお優しい方です。私もクッキーを一枚手に取り、一口だけ口に入れました。 　あああああ。何と美味しいのでしょう。 　さすが王室で出される菓子だけのことはあります……。サクッとした軽い食感にまろやかな優しい甘さでバターが爽やかに香ります。公爵家で出される手作りクッキーも素朴な味で美味しいのですが、こちらは高級な材料をふんだんに使ったであろうことが分かる濃厚な味がします。夢中で食べていたら、喉奥に欠片が詰まって咽せてしまいました。その様子をカイル殿下はじっと見ていました。呆れられたでしょうか…ああ、お恥ずかしいです。 　それだけでも顔から火が出るほど恥ずかしかったのですが、私のお見苦しい姿を見てもっと私で遊ぼうと思われたのか、カイル殿下は手ずから私にあ〜んをしてきたのです！　後ろで侍従も苦虫を噛み潰したような顔で見ていらっしゃいますからおやめください！ 「こっちも美味しいよ。ナッツが入ってるんだ。はい、あ〜ん」 「え」 「ほら、あ〜んして？」 「あ、え、う、えぇ…？」 　ぐいぐいと押しつけられて、恥ずかしいながらも何とかクッキーを口に入れました。このナッツ入りのクッキーもきっと美味しいのでしょうが、ほとんど味が分かりませんでした。今なら毒入りクッキーでも間違えて食べてしまいそうです…ああ、私は不敬罪で死ぬのでしょうか。侍従様が『後で側室宮の裏へ来い』って口パクされておられるぅ…………。 　私が口にしたクッキーの残りはどうするんだろうと思っていたら、カイル殿下は揶揄うような顔をされて私の目の前で食べ残したクッキーをさっさとご自分の口に入れられました。 「間接キスだね」 　ぼっと顔が赤くなりました。その笑顔とそのセリフは反則です！ 　私は今日何度目か分からない赤面をしたのでした……。 　そしてカイル殿下に言いくるめられて、私はお嬢様が王妃教育で王宮に上がられた日は、庭園のガゼボでカイル殿下のお話し相手をする事になりました。お嬢様が勉強されているのに私だけお茶と美味しいお菓子を頂いていて良いのでしょうか。 　後でお嬢様にご報告をしてお許しを頂かなければ！ 　あ、あとさっそく公爵家のシェフに手作りクッキーを頼まないといけませんね。 　＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝ 「お前も暗殺スキルを持っているな。公爵の命でカイル様を害しにきたのか？」 　ですからその指に挟んだものすごーくよく切れそうな解剖用メスは怖すぎます！ 「ち、違いますっ！　私はアリシア様にカイル殿下がどのような方なのか調べるように頼まれただけです！　未来の義弟になるわけですから、どんな人となりか知りたいとお思いになっても不思議ではないでしょう？　あくまでも私が頼まれたのは身辺調査であって、暗殺の命令など受けておりませんしそのつもりもありません！」 　私の頸に宛てがっていた鈍色に光る解剖用メスを退けた侍従が憎々しげに口を開きました。 「従者の分際でカイル様と同じ空間で共にお茶を飲み、焼き菓子を頂くなど言語道断！　ちっ、カイル様が気に入っていなければお前のような身分違いはさっさと殺して捨てるのに……。 　……ましてやあ〜んなどわたしが育てたあの容姿端麗で優秀で優しくて努力家で奥ゆかしいカイル様があ〜んだとまさかカイル様は女より男の方が好きなのかそれもこれも小さい頃から正妃に冷遇され暗殺者を送りこまれて女嫌いになったのが悪いうん全部正妃が悪いなよしさっさと殺そう（小声ブレスなし）」 　おやおや侍従様、心の声がだだ漏れております。 「カイル様に指一本でも触れて見ろ。お前もこうしてやる」 　侍従がピカピカに磨かれた革靴でグリっと踏んだのは先ほど仕留めた暗殺者でしょう。黒装束で顔は分かりませんが、侍従の呟きから正妃様の子飼いの暗殺者であることは間違いありません。 「では私がカイル殿下とお茶をさせていただく際は、暗殺者や毒に気を配っておきましょう。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」 　私が頭を下げると、侍従様はちらりと私が叩き落とした三本の解剖用メスを見て嘆息されました。 「どうやらカイル様はどこがいいのかお前のことを気に入っているようだ。わたしよりも劣るが腕は確かなようだし、カイル様の護衛としてなら話し相手となりお茶を共に飲むことだけは許そう。た、だ、し、カイル様に何かあったら……分かるな？」 　ひゅっと風を切って飛んできたメスを私はパシリと掴みました。 　ーーお嬢様。 　カイル殿下はお優しく努力家で私のような者にも平等で、少し強引でお茶目なところもあります。きっとお嬢様の前世のお話しも笑わず真剣に聞いて下さるでしょうし、婚約破棄のお手伝いもして下さるでしょう。 　そして何よりカイル殿下付きの侍従、キャンベルさんがものすごーく強いので心強いです……。 　＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝ 　パタン、と静かにドアが閉められました。 　この部屋はカイル殿下の寝室。カイル殿下ーーああ、結婚式と同時に行われた戴冠式も済みましたので、もうカイル陛下でしたーーと、お嬢様の初夜がこの部屋で行われるはずですのに……。 「エリク、ようやく二人きりになれたね……」 　なぜ私がカイル陛下と二人きりでこの部屋にいるのでしょう？ 　私の敬愛するお嬢様。 　どうしてお嬢様は私をこの部屋に押し込めて、ご自分はオリビア姉さんと指を絡ませキスをしながらどこかへ消えてしまったのでしょうか……。 　ーー……お嬢様、どうしてこうなったのか、どうかお教えください。