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 男が男を好きになる、なんていうことを、北井は想像したこともなかった。  だから、それがどういうことなのかよくわからない。  たとえば北井は今まで女の子を好きになったとき、かわいいな、いいコだな、胸でけえな、なんてことでときめいたりしていたが、相手が男になるとどうなんだろう。  いいヤツだな、てことはまだわかるが、かっこいいな、たくましいな、なんてことになるんだろうか。  しかし北井が見たところ、竹本は別段かっこよくもたくましくもない。女子たちがふざけて作るイケメンランキングのトップ3に入ったことは(もちろん北井も)ないし、運動部だったこともないから何かで活躍したこともない。  かといってまあ、竹本は北井と違って、そんなにモテないわけでもない。  気が利くし、基本優しいやつだし、なにがどうってわけでもないのに周りに人が集まっている。同じ高校に通っていたころにも告白されたことは幾度かあったようだし(北井は一度もない)、彼女だっていたことがある(一応北井も彼女がいたことがある)。  でも、だからといって、男にホレられるようなタイプとは思えない。  そういうことを考えていたせいで、北井はつい、郁見の言動に注意を向けてしまうようになった。  たとえば、講義室で下段にいる郁見が目に入る。  その真上の席には竹本がいて、講義が始まるまでの時間、近くの友人たちと雑談に興じている。  ときおり、郁見が竹本を見上げる(それを見ると、北井は何やら妙な心地がする)。  口の悪い友人が話の流れで郁見に失礼な物言いをしたとき、郁見はさして気ごころのしれたわけでもないその友人に何も言い返せないでいると、竹本が代わりに注意をする。北井からすれば、それは竹本にとってあたり前のことで、誰にだって同じようにするいつものことだ。  でもそのとき、郁見が竹本を見上げたときの表情を盗み見た北井は、なるほど、と思う。こういうときに、気持ちが動くんだろうか。  たとえば、昼前になると学食の近くの廊下にパン屋が来る。  長テーブルにいくつもの木箱を並べていろんなパンを売っている。学生たちは学生らしく、まったくちゃんと並んだりしない。好き勝手に押し寄せて早いもの勝ちで買ってゆく。  そこに、竹本は器用に入りこむ。北井は後ろから、焼きそばパン、と声をかけるだけでいい。竹本からは親指を立てたサインだけで返答が来る。  北井より少しだけ群衆に近いところに郁見がいて、しかし郁見はその混雑に入ってゆくことができない。不意に、竹本が気づいて郁見に問う。  郁見は何がいる?  はっとして、郁見は答える。  クリームパン。  竹本は郁見にも親指を立てて答え、人ごみを押し分けてゆく。そのときの郁見の表情を見て、なるほどな、と北井は思う。  こういうときなんだろうな、と。  竹本の獲得してきたパンを受け取りながら、中庭のベンチに郁見も並んで座った。  パンをかじりながら、北井は他意もなく訊いた。 「郁見って、いつ気づいたわけ? そういうさ、自分の、なんつうの、性癖? あ、(へき)じゃねえか」 「おい、よせよ」  竹本が叱責する。郁見は竹本が斟酌(しんしゃく)するほど気にした様子は見せず、いいよいいよと手を振った。 「性癖じゃなくて、性的指向な。小学校の六年のときだったかな。なんかのときに好きな女子の話になってさ。そんとき俺、仲のいい友だちがいて、男子のな、そいつのこと好きだったけど、それまでは俺も、友だちとしての好きって思ってて、でもそいつが好きな女子の名前言ったとき、なんかすごいショックでさ。それまで自分に好きな女の子がいなかったのも正直変だなって思ったことあって、あ、俺もしかして、って」 「へえ。じゃ、竹本の前にも好きな男っていたんだ」  おまえなあ、と竹本が呆れた声を出す。それにも、郁見は屈託なく返す。 「いたよ。中学のときも、高校のときも。でも告白はできなかったな、勇気なくて。その後がどうなるか怖かったし。だから竹本が初めてだよ、告白したの。まあフラれちゃったけどさ」  あはは、と郁見は笑いごとにした。竹本が気まずそうにしたのを気づいていたのかいないのか、北井はさらに質問を重ねる。 「でも、じゃあなんで竹本には告白しようと思ったわけ?」  んー、と郁見は、今度は少し考える仕草をした。竹本はもう北井を止めるのをあきらめ、それでも少しは気になったのか、横目で窺い見るように郁見の答えを待っている。 「なんでかなあ。別におまえたちと友だちやめることになってもいいとか思ったわけじゃなくてさ、そんなこと、告白とかさ、したら、やっぱどっかのタイミングで俺の性的指向がバレちまうかもって、あ、おまえたちがバラすとかじゃなくって、偶然な、そういうのもあるかもって思ったりはしたけど」 「したけど?」 「なんか、今までずっと黙って、言わずにおいて、今度もまた同じなのかなって思って。俺ずっとこのまま、一生こんな感じで、好きなやつできても言わずに過ごしていくのかなって思って。そしたらもう、なんか言っちまえってなって。竹本には悪いことしたけどな、なんか悩ませちゃって。ほんとごめんな」 「いや、謝るのはこいつのほうだ」  そう言って竹本は、北井の頭を押さえて無理矢理下げさせようとする。なんだよ、と北井が暴れるのを見て、郁見は口元をほころばせる。 「でも、今は言って良かったって思う。言えたこと自体がなんか嬉しいし、それに今、おまえらとこんな感じでいられるし、ほんと良かったよ。ありがとな」 「礼には及ばねえよ」  しれっとそんなことを言う北井に、おまえな、と竹本がつっこむ。郁見は、ほんと仲良いよな、となんだか嬉しそうに笑う。  何がそんなに嬉しいんだろう、と北井は思う。竹本と今までどおり話せることが嬉しいのだろうか。  今までこんなふうに郁見を見たことがなかったが、郁見はこういう感じで笑うのだな、と北井は思い、その表情の裏に隠れた感情を探ろうとしたが、結局よくわからなかった。

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