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 じきに夏休みに入るという七月の終わり、竹本が遊園地の無料券を持ってきた。  講義終わりで学生たちがばらばらと席を立っていくタイミングで、真下の席に郁見だけがいた。 「遊園地って、おまえ」  と北井は笑ったが、郁見は関心を示した。 「え、なんでタダ券なんて持ってんの?」 「親父がもらってきてさ。せっかくだから行こうぜ。あ、郁見も一緒にどう?」 「男三人で遊園地ってのもなー」  と北井は相手にしなかったが、郁見はさらに興味を示した。 「へえ、俺、遊園地とか行ったことない」 「マジで? 一回も?」 「親が共働きで休みの日もいなくてさ、連れてってもらったことなかったし、ほら、あの、一緒に行くような彼女とか、いなかったし」 「そっか」  北井は、彼女と行ったことがある。竹本もあるはずだ。でもそこらへんの話はしなかった。その代わり、 「そういや俺ら、高校んとき遠足で行ったよな」  と北井は竹本に言った。 「ああ。行った行った。ふっるいさびれたとこな。ボロくてジェットコースターが違う意味でマジで怖かったとこな」 「あの怖さにはまって死ぬほど乗ったな」 「死ぬかと思ったな」 「いいなあ」  と郁見が笑う。ただ話を合わせているわけでも、二人の会話を面白がっているようでもなく、純粋な羨望のまなざしのように北井は感じた。遊園地の記憶というものは、ないよりあったほうがいい。そんな気がする。それで、意見を変えた。 「ま、いいか。男三人でも。タダなんだし。行ってみるか」 「よし、決まりだな。郁見も行くよな?」 「いいの?」 「誘ってんのにダメなわけないだろ」 「あ、そうか。そうだよな」 「変なヤツ」  北井が笑うと、郁見はうるさいよ、とむくれたけれど、すぐに嬉しそうにした。 「やった、遊園地初めてだ」  そう言って、郁見は竹本から渡されたチケットを、両手に持ってまじまじと見つめた。  考えてみれば北井は、竹本とはしょっちゅう遊んでいたが、郁見と大学の外で会うのは初めてだった。  なんか新鮮だ、と思う。  待ち合わせ場所の駅前に現れた郁見を見たときも、そう思った。待ち合わせに走ってくる郁見って、新鮮だな、と。  試験が八月までずれこんで、遅れて夏休みになった郁見に合わせて日にちを決めた。よく晴れて、陽射しが強く暑い日だった。  遊園地までは電車で行った。世の中のほとんどの学生が夏休みのわりに、電車は空いていた。午前中の早い時間だったからかもしれない。おかげで三人で並んで座れた。  北井が先頭で乗りこんだから、真ん中が竹本になった。  会話のたびに、真隣の竹本より郁見のほうが向かい合っているみたいによく見え、その表情がなんだかいつもと違うような印象を北井は受けた。  大学にいるときより、明るい気がする。  平たく言えば、楽しそうである。  竹本と出かけられるからだろうか、と瞬間的に思う。  あ、もしかして俺っておジャマ虫だろうか。  そんなことが頭をよぎったが、そんなわけねえかと打ち消した。郁見と二人だったら竹本はきっと遊園地には行かなかっただろうし、竹本と二人だったら郁見もきっと行かなかっただろう、という確信のようなものが北井にはあった。だから逆に、この場には自分が必要不可欠だ、と妙な自信を持ったりさえした。  遊園地は、嫌気がさすほどには混雑しておらず、かといって物寂しいほど閑散ともしていなくてほどよい賑わいだった。家族連れの子どもが奇声を上げて走り回り、つき合い始めのような緊張感を漂わせたカップルがアイスクリームを食べていた。  三人も次々とアトラクションに乗った。主に絶叫系が中心で、さほど並ばずにすんだのが良かった。久しぶりに訪れる遊園地はその雰囲気だけでにわかに高揚し、アトラクションを重ねるごとになにやら連帯感のようなものが深まって、大学内で話すときよりよほど距離が近くなる。当初は行くのさえ渋っていた北井が一番はしゃいでいて、それを郁見が竹本と二人でからかった。 「まあたまにはいいよな、こういうのも。なんか子どもみたいだけどさ」 「俺らまだ全然子どもだっての」 「あ、次あれ乗ろうぜ」  ある程度経ったときに北井は気づいた。  横並びの座席のときはともかく、たいていの乗り物は二人席が並んでいる。そのすべてに北井は竹本と座った。郁見はいつも後ろだった。自然にそうなった。女子じゃあるまいし、三人組でいっつも一人じゃアレだし交替する? なんて配慮など頭に浮かんだりしない。北井にとっては自然だった。でももしかしたら、郁見にとっては自然ではなかったかもしれない。  列に並んでいたり乗りこむときの順番は、いつも必ず郁見が最後だった。  郁見は、意識的に竹本と二人きり(というわけでもないのだが)になることを避けているのだろうか、などと、余計なことを北井は考えつく。試しにそうなるよう誘導してみればわかるかもしれない。  でも、今更郁見に向かって先に行けよとか言うのはわざとらしかった。それでまあ、北井も気にしないことにしてひとしきり遊んだ。  昼食はフードコートになった屋外の広場で取った。片側が池になっており、柵にそってパラソル付きのテーブルが設置されている。その一つを陣取って、交互に好きなものを買いに行くことにした。最初に竹本が行った。迷わずピザの売り場だった。郁見が笑う。 「やっぱりな。竹本はピザに行くと思った」 「おまえ、竹本がピザ好きなの知ってんの?」  思わず北井は訊く。古いつきあいの北井には当然の情報だったが、学食にピザがあるわけでなし、郁見はいったいどうやって知ったのだろうと思ったからだ。 「あ、まあ。なんか、前に言ってて」 「ふうん」  深い意味のある質問ではなかったのだったが、郁見はその、ふうん、に含みを感じたのか、横目で北井を睨んできた。 「なんだよ。なんか文句あんのかよ」 「は? 文句なんかねえよ。たださ」 「ただ?」 「おまえって、まだ竹本のこと好きなの?」  今度こそ、郁見は隠さずに不愉快さを表情で示した。 「おまえに関係ないだろ」 「別にいいじゃん、そんくらい訊いたって」 「じゃあ別に答えなくたっていいよな」 「ふうん。まだ好きなのか」 「うるさいなあ」  竹本がピザを片手に上機嫌で戻ってきたので、入れ替わりに郁見が立ち上がった。 「竹本、北井がジュースおごってくれるって」  言い捨てて、郁見は焼きそばのブースへ向かってゆく。竹本は北井のおごりだというのを不思議がりながらも嬉しそうに、 「俺メロンソーダな。あ、あっちにフライドポテトあったからそれも買ってこいよ」  などと言っている。  なるほどそうきたか、と北井はメニュー表を眺める郁見の後ろ姿を見るともなしに眺めた。  某キラキラランドほど広大ではない遊園地で、幼児向けの乗り物以外すべて乗りつくしてしまうとそろそろ帰宅という雰囲気が漂い始めた。午後も半ばを過ぎて、陽はずいぶん傾いている。誰となく出入り口の方へ足を向けたとき、竹本が気づいた。 「あ、あれ乗ってねえじゃん」  天真爛漫に指さした。 「……ああ」  と、北井は応じた。あれに乗ってないことはすでに気づいていた。郁見が気づいていないふりをしていることにも、気づいていた。  園内に入ったときからどこにいたって目に入る、遊園地のシンボルである。竹本が今まで気づかなかったことに北井は感心さえする。  観覧車である。  当然のように乗り場へ向かって歩いてゆく竹本を追って北井が、そして少し遅れて郁見がついてくる。  観覧車はぐるぐる回っている。その性質上停止することはない。幸い待ち人はおらず、歩いていったそばから係員がゴンドラのドアを開けてくれた。そのドアが地上のわずかな範囲を移動している間に乗り込まなくてはいけない。都合、たどりついた順に、竹本、北井、郁見と足早に駆け込んだ。  男三人が体重をかけたせいで、ゴンドラはグラグラと揺れる。竹本が姿勢を低くして座り、その向かいに北井も座った。  さて、郁見はどうするだろう、と瞬間的に北井は思った。竹本の隣に座るだろうか。それとも、あえて竹本を避けて北井の隣に来るだろうか。  正直、どちらでもいいとは思っていた。どちらだろうとこういう場合、さして意味はない。ただ、郁見はどちらにも座らなかった。 「なんか、片方が重くなったら傾いちゃってやばい気がする」  そう言って、座席のない真ん中にしゃがみこんだ。 「傾いたりはするだろうけど、それくらいは想定内だろ。やばくないって」  竹本が笑う。 「いや、想定外のことが起こるかもしれないから。バランスはいいにこしたことないし。それにここでも全然、居心地いいし。俺、景色とかあんまり見えなくてもいいし」  もごもごとつぶやくように言いながら立ち上がろうとしない郁見の頑なさに、北井はなにやら苛立った。  またしても、意味のわからない苛立ちだ。意味がわからないぶん、もやもやとする。  それで、衝動にかられるようにして立ち上がった。 「何ビビッてんだよ、こんなのそうそう落ちるわけねえだろ」  そう言って北井は、両脇の壁を押さえ、広げた両足に交互に体重をかけてゴンドラを大きく揺らした。郁見が血相を変える。 「な、何してんだよ。危ないだろッ」  北井は揺らすのをやめない。 「やめろって!」  郁見が座らせようと北井の腰のあたりを押すのだが、両足を踏んばっているのでびくともしない。竹本が呆れた声を出す。 「おい、いいかげんにしろよ。係員に注意されるぞ」  同じタイミングで、スピーカーから係員の声が聞こえてきた。危ないからちゃんと座るようにと強い口調がゴンドラの中に響く。それでようやく、北井は足を開いた姿勢のまま腰を下ろした。郁見が横目で強く睨んでくるが、気にしない。あさっての方向を向いてそ知らぬ顔だ。 「ほら、郁見も。そんなとこ座ってないでちゃんと座れよ」  竹本に腕を引かれ、いざなわれるままに郁見は竹本の隣に腰を落ち着けた。 「あ、見ろよ。あっちが大学のある辺りじゃねえ?」  竹本の指先を追って、郁見がその肩ごしに窓の外へ視線を向ける。その視線が一瞬、竹本の横顔に向いたのを北井は見逃さなかった。  ちぇ。  北井は胸の内で舌打ちをする。  なんて顔してんだよ。  二人と同じ方向へ顔を向けながら、郁見の横顔を盗み見て北井は思う。  緊張とも、照れとも、はにかみともとれない曖昧な表情。 「あれ、近所の電波塔じゃねえ? な、おい北井」 「あ? どうだろ。俺見えねえよ。目悪いじゃん」 「あ、そうだったな。郁見、見えるか?」  竹本が振り返るとその顔が目前に迫り、郁見は乗り出していた半身をあわてたように引く。その一部始終が、向かいにいる北井には見ようとしなくても目に入る。 「う、うん。たぶんそうだと思う」 「すげえなあ。高いとこって面白いな」  ばかみたいに無邪気な竹本。どこか居心地の悪そうな郁見。  北井は腕を組んで背もたれに体をあずけ、首をそらせて空を見上げた。夕刻に近づいて色を失ってゆく途中の、褪せた青。  何なんだ、と北井は思う。  何なんだ、いったい。  承服しかねる感情を乗せて、ゴンドラがゆっくりとてっぺんにさしかかる。

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