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 夏休み中、北井はバイトに明け暮れた。  去年は学生向けの短期のバイト募集でお菓子工場の流れ作業をしたが、休みが少なくあまり遊べなかったので、今年は単発のものばかり幾つもこなした。プールの掃除や大型ディスカウントストアの棚卸しやコンサートの仕込みなど、時給の高さだけで選んだ。おかげで懐は潤ったが体はきつかった。  合間をぬって、高校のときの友人や新しくできた大学の友人とも遊んだ。竹本は毎年のごとく家族で海外旅行だからほとんど会わなかった。休みの最後のほうで呼び出されてお土産をもらい、ハワイ土産でマカダミアナッツってどうなんだよ、と文句を言った。ハワイじゃなくてグアムだって、と竹本は訂正し、どっちだってマカダミアナッツは同じだろ、と北井が言ったりするのも毎年のことだった。  郁見には会わなかった。郁見とは、大学を離れてまで会うほど親しくない。先日一緒に遊園地など行ったのはだからめずらしいことだった。  でも、竹本は郁見にもお土産を買ってきていた。他意もなく何を買ってきたんだと訊くと、アロハシャツだと言う。 「なんで俺にはマカダミアナッツチョコで郁見にはアロハシャツなんだよ」 「だっておまえアロハシャツなんて着ないだろ」 「郁見だって着ないだろ、アロハシャツなんて」 「チョコなんて食わないかもしれねえし」 「俺だってチョコなんて食わねえよ」 「じゃあ返せ」 「嘘だよ。食うよ」  どんなアロハシャツだか見せろと北井は言ったが、もう包んであるからダメだと断られた。しょうがないから竹本が郁見に渡すときに見せてもらうことにした。  休み明け、初日の授業で郁見に会ういつもの講義があった。  けれども郁見は姿を見せなかった。  本当のところ、北井は郁見に会うのに少々気まずい部分があった。  遊園地に行ったさい、郁見に対する北井の態度は今考えてもあまり良くなかったような気がする。  あの日は天気もよくて、暑さは厳しかったが子どものようにはしゃいで楽しかった。  なのに、郁見の不愉快そうな顔ばかり思い出す。北井が無用な言いがかりめいた言葉ばかり投げかけたせいだ。  観覧車を降りた後、電車に乗って帰った後もあまり言葉を交わさなかった。  だから、竹本の買ってきたアロハシャツなんていう意味不明の土産はいい口実だった。それで笑って普段通り。そう思っていた。 「あいつが休むのってめずらしいな」 「必修なのにな。風邪でもひいたかな」  その日は他の授業でも学食でも郁見を見かけなかった。  だからといって、北井も竹本もわざわざ郁見に連絡をしたりはしなかった。一日休んだくらいで、心配して連絡をするような仲でもない。そもそも、仮に竹本が休んだとしたって北井は連絡したりはしない。逆もしかりだ。  しかし、翌日も郁見は来なかった。 「どうしたんだろうな」 「そうだなあ」  竹本と北井はそう言い合いながら、それでもじゃあ連絡してみるかとはならなかった。今回は土産を渡すという用があるから郁見の出欠が気になっているだけのことで、二、三日来ていない学生がいたところで基本的には誰も気にしない。来るも来ないも自由だし、個人の責任だからだ。  とはいうものの、北井は表に出さずにいたがずいぶん気になっていた。  何やってんだ、あいつ。  具合でも悪いのか。病気だろうか。  まさか事故にでもあってケガして入院でもしてるんだろうか。  気にはなったが、口には出せなかった。どうして出せないのかはわからない。口に出してしまうと、何か特別な意味合いが含まれるような気がした。  その日、履修すべき授業が午前中で終わり、竹本を残して大学を出た北井は帰り道に馴染みのブックセンターへ向かう途中、横切った公園で視界にとらえた人影に目を見張った。  郁見だった。  公園といっても子どもの喜ぶ遊具があるわけでなく、中央にある池をぐるりと遊歩道が巡り外側を常緑樹が取り囲んでいる広大な緑地で、郁見はその池の途切れる湿地帯の向こう側の遊歩道を、北井とすれ違うように歩いていた。 「郁見!」  驚いて振り返った郁見に、重ねて叫ぶ。 「何してんだよ、おまえ」   は? という声が聞こえてきそうな形の口を、郁見はした。  北井は少し先にある対岸への飛び石を早足で渡った。 「おまえ、こんなとこで何してんだよ」  夏休み明け、遊園地に行った日以来で顔を合わせるなり唐突な詰問口調に、郁見は困惑した表情を見せた。 「何って、歩いてんだけど」 「そんなの見りゃわかる。大学来ねえから病気でもしてんのかと思ったら、ぴんぴんしてんじゃねえか」 「ああ、うん。元気だよ」 「元気ならなんで休んでんだよ」 「え、親戚の結婚式があって。さっき帰ってきたから、ちょっと本屋行ってきたとこで」 「んだよ、それ。そんなことかよ。それならそうと言えよな」  郁見はムッとして言い返す。 「なんでいちいちおまえに言わなきゃいけないんだよ」 「心配するっつってんだろ」 「心配してくれなんて頼んでないだろ。だいたいなんでいつも、そうやって突っかかってくるんだよ」 「突っかかってねえよ」 「突っかかってるよ。何なんだよ、俺に何か文句でもあるのかよ」 「そんなんねえよ」 「こないだだって、やたら絡んできてさ。なんか言いたいことあるんならはっきり言えよ。何が気に食わねえんだよ」 「何もねえっつってんだろ」 「じゃなんでそんなにイライラしてんだよ」 「してねえ」  郁見は大きく息をついた。話がちっとも進まない。だいたい、北井が何を言いたかったのかさっぱりわからない。 「おまえのこと、よくわかんねえ」 「は?」  北井は怪訝そうに眉をひそめる。  昼間だというのに遊歩道に人影はなく、ときおり吹く風に水面がさざ波だっていた。声も物音も、放つそばから濃い緑の中へ吸収されてゆく。郁見のいつにない低く沈んだ声が、北井の耳元へたどりつく。 「俺が、ゲイだから?」 「え?」 「俺のこと理解できないから? だから、からんでくんの? 嫌ならさ、もう近寄んないから。関わらねえから」 「何言ってんだよ、そんなわけねえだろ」 「おまえら優しいからさ、無理してつき合ってくれたんだろ。もういいよ。充分だよ。俺ももう、近くの席とか座んねえから。それでいいだろ」 「違うって。そんなんじゃねえって」 「だって俺のことうざがってんじゃん」  北井は動揺する。  どうしてこんな話になっているのかわからない。  そりゃ、確かに最近ちょっと、態度が悪いときはあるかもしれないけれど、まさか郁見がそんなふうに感じているとは思いもしなかった。 「うざくなんかねえよ」 「無理すんなって。わかるよ。気持ち悪いよな、ゲイなんてさ」 「そうじゃないって。そうじゃなくて」 「じゃ、なんで!」  決して大きくはないけれど、感情を、吐き出すような強さだった。  その勢いに、北井はつられる。 「だから、俺は!」  勢いで、自分が何を言おうとしているかわからない。郁見の、挑むようなまっすぐなまなざしに引っ張られる。俺は今、何を言おうとしているんだ?   本当は、もう気づいている。  気づいているけど止まらない。  止まらないというより、それは、言わなくてはいけない。 「おまえが、好きだからだよ」  言ったとたん、それでも北井は驚いた。自分の言った言葉に。そして、腑に落ちる。  そうだったのか。俺。  しかし、意を決した北井の告白に、一瞬は戸惑った表情を浮かべた郁見は、すぐに目つきをきつくした。どこか悲しげな顔になる。 「ふざけんなよ。なんだよそれ。ゲイだからってからかってんのか。罰ゲームでもやらされてんのかよ。バカにすんな!」 「違う! 本気だ!」 「んなわけねえだろッ、おまえはゲイじゃねえじゃんか!」 「ゲイじゃねえけど、おまえが好きなのは本当だ。俺だって、今気づいたけど」 「なんだよそれ」 「知るか」  そういう北井自身が確かに、困惑した面持ちをしているので、郁見はまさかと思う。  まさかこいつは本気で言ってるのか?  次の言葉を継げずにいると、何か難しい問題でも抱えたような顔で北井が言った。 「とにかく、言ったからな。おまえのこと、うざいなんて思わねえし、気持ち悪いなんて絶対思わねえし、その、なんだ、あれだからな。あの、」  北井にしてはめずらしく、歯切れの悪い物言いになった。 「じゃあな」  踵を返し、逃げるように背中を向ける。  後に残された郁見は一人で、呆然としている。

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