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授業が終わるころには、北井と竹本の間でだいたいの算段がついていた。
「とりあえず、平日はそれぞれ用事あったり勉強したり、試験日が違ったりするときあるから、日曜だけってことで、一週ごとに交代ってことになった。それでいいか?」
朗らかにそう訊かれて、ぽかんとした郁見は目の前の竹本を見返した。
まだ正午にならない学食は空いている。それでも、人けのある窓際をさけて、一番奥の席に陣取っていた。正方形の四人席で、向かいに竹本が、左隣に北井が座っている。
「いいかって言われても、ちょっとまだよく意味がわかんない」
「だからさ、一週交代で、俺らとデートすんの。今週は俺。さっきジャンケンして決めたから。来週の日曜は、北井。どう?」
「う、うん。わかった」
郁見はもう、そう答えるしかない。
「デート終わって、どっちとつき合うか決まったら、そう言ってくれればいいからさ」
「決まらなかったら?」
「決まるまで続ける」
「そういうのを、二人が嫌になったら?」
「そうなったら、もう降りる、ってなるんじゃねえかな。な、北井」
「そうだな」
それまで黙って紙コップのコーヒーを飲んでいた北井が、ぶっきらぼうに答えた。北井は異存はない、とは言ったものの、竹本の提案に積極的に賛同しているのかどうか、郁見にはよくわからなかった。
デート、という単語を使われると、否応なしに、意識する。つき合う、ってやっぱり、友だちってのとはちょっと、違うよな。
「じゃ、そういうことで。早速今週、俺の番だからよろしく。時間とかまた、連絡するな」
「りょ、了解」
こうして郁見の、両者公認の二股が始まったのだった。
竹本が最初のデートに選んだのは郊外の美術館だった。最寄りの駅で待ち合わせをした。郁見が改札を出ると竹本は到着していて、先日のように郁見に気づいて手を振った。
「あ、待った?」
「いや、全然。いい天気になって良かったな。行こうぜ」
「うん」
二人で出かけることに、郁見は少々緊張していた。でも竹本にそんな素振りはまるでなく、普段と変わらず声をかけてくれるので、郁見の硬くなっていた体も自然とほぐれてゆく。ほどなくして、緑の中に建つ前衛的な建物が見えてきた。前庭にも出迎えるように彫刻が立ち並んでいる。
「俺、こんなところ初めてくる」
「ここ、好きでさ。ときどき来るんだよ」
竹本は館内を勝手知ったるといった様子で案内した。美術品などというものにはまるで縁のない郁見も、竹本が気に入った作品についてざっくばらんに述べる感想などを聞いていると、それなりに楽しめた。
「すげえなあ。こういうの好きって、カッコイイな」
「そうか? そう言われるとなんか、照れるな。あんま詳しくないけどさ」
「感性の問題だからさ、すげえよ」
郁見が手放しで褒めるたび、竹本は嬉しそうに頬を緩ませた。大学ではあまり見ない表情だ、と郁見は思った。美術品が好きだというのも意外だった。こんなふうに、竹本の言うところのデート、という体 で出かけなければ知り得なかった一面かもしれない。
つき合うって、こういう感じなのか。
そう思うと、胸の内がこそばゆくなる。
一通り見て回った後、同じ敷地内に併設されたレストランで遅い昼食をとった。大理石とガラスで設えられた洒落た店内に、静かな音楽が流れている。カジュアルフレンチ、と表には記されていたが、メニューを見てもどんなものが出てくるのかよくわからない。それで、郁見は慣れたふうの竹本に任せた。
「こういうとこ、よく来んの?」
「いや、普段は全然。ここは前に家族と来たことがあって。今日は特別。だってほら」
竹本はふざけたように笑って言う。
「初デート、だしな」
つられて、郁見も笑ってしまう。
竹本は陽気で闊達だ。竹本の周りにはいつも自然と人が寄ってくる。人好きのする性質なのだろう。そんな竹本が、今は郁見の目の前にいる。初デート、などと言っている。
この状況にいたってなお、郁見はなんだか現実だと思えないでいる。こんなことがあっていいんだろうか、と思う。嘘みたいだ。つき合っている、とか。
「郁見? どうかしたか?」
「いや、なんでも」
支払いは、竹本がした。というより、知らないうちに終わっていた。それに気づいて、郁見はあわてた。雰囲気からして、けっして安くはなかったはずだ。
「いいよ、払うよ、俺」
外へ出てから何度も言ったが、竹本はきかなかった。
「最初だからさ、奢らせろって。いいかっこしたいんだって」
「だって、チケット代だって出してもらってるし」
美術館の入館チケットも、竹本が用意していたのだった。
「あれはだから、貰いものなんだって。気にすんなよ」
「……そっか。悪い。ありがとう」
「悪いとかいらねえって」
美術館の敷地内の、森林を抜ける遊歩道を通って駅へ向かった。遠回りになるせいか、日曜だというのに他に通る人の姿はない。地面に木漏れ日が落ち、涼しい風が吹き抜けた。会話が途切れると、鳥の囀りが聞こえてくる。
こういうの、森林浴とかいうのかな。そんなことを考えながら郁見が心地よさを堪能していると、ふと手に人肌の感触がして、それが竹本の手だと気づくのに時間がかかった。
「え」
「大丈夫だろ、誰もいないし」
思わず辺りを見回してしまう。確かに、人影はないけれど。
動悸が激しくなる。つないだ手の触れた部分だけに意識が集中する。
信じられない。なんだよこれ。
顔が熱くなっていくのを、郁見は止められない。
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