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第9話
俺の不登校のきっかけは、高一の時のクライスメイトとのささいな行き違いだった。でもそれは尾を引いて、俺は学校に行けなくなった。
ものすごいひどい虐めにあったというわけじゃない。でも1週間ほど休んだら、もう怖くなって学校に行けなくなった。
両親は当然、心配した。学校に相談にも行ってくれたし俺の気持ちもちゃんと聞いてくれた。
頭ごなしに叱りつけたりされなくて、恵まれていると思う。それでも俺は学校に行けなかった。
国際電話でその顛末を聞いた兄は「大丈夫だよ」と両親に言った。
「将太はやりたいことが見つかれば努力できる子だから」と。
破天荒な兄の言葉の何に説得されたのか、両親は俺の好きにさせてくれた。
家事と食事の分担と身の回りのことは自分でするという家にいるにあたっての最低限のルールは決められたが、学校に行けとは言われなくなった。
さすがに現代日本で中卒はまずいと思った俺は、通信で高卒の資格だけは取ることにして、高認の試験を受けて合格した。
大学に行くかはまだ決めていない。
たぶん行かないと思う。大学で学びたいことが見つからないからだ。
そうやって俺が人生に迷っている間に、兄はどんどん会社を大きくしていき、中国でいくつか契約工場を持つようになって、取引先も増えていった。
雑貨の取引が安定すると民芸品のほうにも熱を入れて、とうとう日本にも事務所を置くと言い出した。
当座はペーパーカンパニーみたいなもんだからと実家の住所を登録し、時間のある俺が細々とした事務や発送を担当することになった。
兄は中国からどんどん雑貨だか民芸品だかを送りつけて来て、在庫管理しろと無茶を言う。
しかも会社のホームページを作ってくれなんて無理な要求までしてくる。
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