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第9話

「こっちだ。ここに座れ」 お風呂から出た歩をつかまえ、ソファまで連れて行く。辻堂の手にはドライヤーがあった。 「ほら、髪を乾かすから」 早くしろと言う。 「へっ?いや、大丈夫です。自分で出来ます」 「歩、お前今朝ドライヤー壊したんだろ?またドライヤーに触って壊れたらどうする。やってやるからじっとしてろ。ほら、すぐに終わるから」 そう言われれば仕方がない。辻堂の家も、持ち物もとにかく全てがとても高価にみえる。 歩が手にして本当に壊れたらと考えると冷や汗が出る思いだ。 すごすごとソファに座り、歩は小さくなる。 辻堂は歩の後ろからドライヤーで濡れた髪を乾かす。 手が歩の頭を撫でるように、指が髪の中、奥まで入ってくるのが感じられる。 辻堂の手は本当に気持ちがいい。 髪をすかれる感触も、撫でられる感じも全てが心地いい。身体が熱くなることも電気が走ることもなかった。 「髪、細くて柔らかいな。乾かすとフワフワしてくる」 辻堂が後ろで楽しそうな声を出す。 「僕、猫っ毛なんです。癖毛だし。ちゃんと乾かさないと翌朝大変なことになっちゃいます、ってすいません。やってもらって」 辻堂の手が気持ちいいので、歩も砕けた口調になってきた。 「よし、終わったぞ。腹減ったか。吉川が色々持ってきてくれたから食べるか」 頭をぐりぐりと撫でられた。気持ちのいい手が遠ざかるのが少し寂しい気がした。 「い、伊織さん。あの…服、ありがとうございます。下着まで揃えてくれてすいません」 「ああ。さっき吉川が来て当分必要な物を運んでくれた。 今日のスーツ一式はクリーニングに出してあるから、明日からは揃えてある物を着ればいい」 「ひゃっ。スーツ?い、いや、それはさすがに…」 「大丈夫だ。問題ない。必要な物があれば何でも言ってくれ。すぐに揃えさせる」 「あの…何故、僕をここに連れてきたんでしょうか」 歩はおずおずと、疑問に思うことを聞いた。 「これから毎日忙しい日が続くんだ。このままでは、ドライヤーだけじゃなく、その他も壊したり、体調も崩したりする可能性があるだろ。そしたら今のプロジェクトが進まない。だったら、プロジェクトが終わるまでここで暮らせば何の問題もなくなる。物を壊すこともなければ、体調も悪くならないぞ。毎日自分の体調を心配することも減るだろう」 歩の症状を理解した上での提案ということだろう。 確かに、これからブラン共和国のプロジェクトに歩も参加することになるので、 体調を崩したら、プロジェクト全体に迷惑がかかり進まなくなる。 辻堂は瞬時に判断し、最善策を選んだというわけだ。 それに、辻堂に手を握ってもらうと確かに気分は落ち着き、あの電気が走るような症状は出なくなっていた。 「わかりました。伊織さんありがとうございます。昨日からご迷惑をおかけしていますが、ブランとの通訳をして全力で恩返ししたいと思います。 どうかそれまでよろしくお願いします」 「仕事は厳しいかもな。だけど、出だしは順調にいったし期待はしている。それに色々考えたが、体調悪くなるのも、物が壊れるのも、歩のせいってわけではないだろ。最初は俺も訳がわからず苛立ってしまったが。まあ、今すぐには何も変わらないかもしれないが、受け入れて回避策考えて、ひとつずつでも解決していけばいい」 目頭が熱くなる。強引だけど優しくされたり、多くは伝えていないのに手に取るように歩の状況を理解してくれたり、気持ちと一緒に涙が溢れそうになる。 体調が悪くなったり、大切にしていても物は壊れてしまう。それを、毎日繰り返している。この後どうしていいいのかと、焦って、もがいている状態が続いていた。体質だから仕方がないと諦め、途方に暮れて過ごし、それでも、前を向いていくしかなく、その中でも自分のギフトを使い通訳という仕事を夢見ていた。だから、辻堂の言葉に今回の仕事は最善を尽くそうと歩は強く心に決めた。 「何泣きそうな顔してんだ?壊れなかったからよかっただろ、ドライヤー」 的外れなことを言う辻堂にも優しさを感じる。最初はこわい人だと思ったのに。 今日は色々なことがあった、ご飯を食べてこのままゆっくり休めるかな。 目まぐるしい日が終わろうとしていた。 翌朝、支度を終えてリビングに行くと既に吉川がいた。 「宮坂さん、おはようございます」 「吉川さん、おはようございます。昨日はお世話に…」 吉川へ挨拶の途中に、辻堂が入ってくる。 「歩、髪跳ねてるぞ。昨日、ちゃんと乾かしたのにな。毎日そうなのか?」 「はい。毎朝、寝癖を直すんです」 「ああ、じゃあ。やってやる」 「いいです。いいです。大丈夫です。ドライヤー使いません。ブラシだけで大丈夫です」 歩は、ドライヤーを手にした辻堂から逃げるようにして、素早くブラシで整えた。昨日も寝るまでの間、何故か辻堂は歩の世話をあれこれやりたがっていたのだった。電化製品に触らせないようにしているのかと思いきや、それだけではなく、部屋の温度やベッド周りの心配までされた。一人暮らししてるので、ある程度何でも出来ますと伝えても、自分の部屋とは勝手が違うだろうと言い出す。 辻堂の無意識の振る舞いは、見た目とのギャップがあり、戸惑ってしまう。歩は人からこんなに手をかけてもらうことに慣れていなく、恥ずかしさで顔が赤くなってしまった。 「へえー、辻堂さん意外だなぁ。随分、面度見よくなりましたね、一晩で」 吉川が辻堂と歩を交互に見る。 「宮坂さん、存分に甘えていいと思いますよ。この調子だと離れなくて大変でしょうから。こんな感じを見るのは久しぶりです。さあ、車を待たせてます。出勤しましょう」 辻堂はムッとした顔で吉川を見ていたが、歩は状況に慣れず、ずっとドキドキしていた。

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