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第10話

忙しい日々が続いていた。政府も介入しているプロジェクトなので、資料や今後の会談での質疑応答など、翻訳するものが沢山ある。また何度もオンラインでの会談もやり、問題は確実に解決していっている。 辻堂との生活も慣れてきていた。 元々辻堂は、部屋の片付けや掃除は、業者に頼み、洗濯は基本クリーニング、料理はしないという生活スタイルだったが、吉川に頼まれたこともあり、歩が掃除や洗濯をし、また、たまにはキッチンをかりて料理をしたいと提案していた。 (明日は休みなので、昨日から準備していたパテドカンパーニュとアジのコンフィを作ろう。お肉もちょっと焼こうかな。伊織さん食べるよね…) 歩は考えながら、足取り軽くマンションへと帰える。 「ただいま」 辻堂がキッチンにいる歩に声をかけた。 「おかえりなさい。伊織さん、ご飯まだですか?今日は結構作っちゃいましたけど、どうですか?」 「腹減った。明日休みだからワイン開けるか」 最近は家で食事をすることが多くなり、二人で食べることがほぼ日課になっていた。大抵、辻堂が「ただいま」と言う側で、歩が「おかえりなさい」と答える。くすぐったい気持ちもあるけど、ただいまと言われたり、辻堂が料理をたくさん食べてくれたり、毎日が新鮮で楽しかった。 毎日の日課といえば、風呂上がりのドライヤーは相変わらず辻堂がやりたがり、また、寝るまであれこれと必要以上に構ってくるのも日課だった。 「疲れた」と独り言を言えば、慌てて歩を抱き上げベットまで運びそうになり「一人で歩けますから」と、全力でお断りをすることもある。 料理中は「火を使うから危ない」「電気を使うから心配」と言い歩のそばにいつも待機している。 なので、料理をする場合は、出来る限り辻堂が帰宅してからにして欲しいと言われていた。 電子レンジは、壊してしまうかもしれないので使わないようにしているが、料理はガス台で調理しているから、大丈夫だと伝えても、「火は使うだろ」と言う。 (火は大丈夫なんだけど…) 辻堂にワインを渡し、ソファに座らせても、ワイン片手にキッチンに戻ってきてしまう。 家での辻堂は、フォルス社長の顔とは大いに違い、歩は新しい顔を発見して戸惑いながらも、心地よさを感じている。 「うまい…歩は料理上手だな。毎日、色んなものが出てくる」 「僕、翻訳メインで仕事していたので、料理本を訳すことが多くあったんです。だから色んな国の料理に詳しくなりました。訳してると自分でも作ってみたくなるんですよね。それに、ここのキッチンは広くて凄く便利です。電子レンジは壊しそうだから使いませんけど」 毎日食事を共にしていると、色々な話をし、お互いのことがわかり始めてくる。 歩は、自分の多言語ギフトが、今回のプロジェクトに役に立つ嬉しさを辻堂に伝えた。今まで翻訳メインだったが、夢であった通訳が出来、チームに参加し一緒に作業すること、問題をみんなと相談し解決していくことの充実感は、一人でやる翻訳作業とは比べ物にならない。難しい問題があっても、人と相談して決めていく楽しさ、必要さを感じていた。 それにあの症状がかなり軽くなっていたこともあった。辻堂と一緒の時は政府関係の仕事が多く、緊張する場面もあった。だが、辻堂は気配を感じるとそっと手を繋いでくれる。そんな辻堂に歩は感謝していた。社会人生活で一番充実した日々を送っていると感じている。 「伊織さんの手、不思議です。気持ちいいし、安心するし、あの症状が出なくなるし。今は冷たくて気持ちいい。前に気絶した時も、この手に助けてもらいました」 明日は休みなため、歩は少し飲み過ぎていた。大胆にも、辻堂の手を取り、触り心地を試している。 「お前は無防備だな。誰にでもこんなに心を許すのか?」 歩の手の中からするりと抜けて、辻堂はそのまま歩の頬を撫でた。 「薬、飲んでるのか?」 「はい。伊織さんと一緒ではない時に飲むことがありますけど、最近は少なくなりました。伊織さんの手と、薬のおかげで症状は出ていません」 「薬の飲み過ぎはよくないだろ」 眉間に皺を寄せた顔をし、歩を見ている。以前も同じようなことあったなとぼんやり思い出していた。撫でられてる頬が熱くなってくる。飲み過ぎているのだろうか。 「でもやっぱり薬は必要なんです。お守りというか…いざという時に飲めば何とかなるし。あ、でも、前にお医者さんに言われたんですよ。恋人が出来たり、キスしたりすると症状が治まることがあるって。でもなぁ、こんなじゃ恋人も出来ないし…キスとかしてみたいですよ。そりゃあ。でも今は無理だし…」 酔ってぐずぐずと言い続ける歩に、辻堂が言った。 「キスか…試してみるか」 歩の横に跪いた。 近くに精悍な辻堂の顔がある。本当にイケメンだなと覗き込む。 「嫌なら横を向けよ。そのままだったらするぞ」言い終わってすぐに、唇が触れた。チュッと軽く音がして離れる。 「どうだ?」 「電気も走らず大丈夫です」的を得ない答えをしたのは、急に心臓がドキドキと動き出し、思考が追いつかないからだ。辻堂はフッと笑って、またチュッと短く、何度もキスをしてくる。 気持ちがいい。身体は熱くなり、心臓はもっとドキドキしてきたけど、電気を放つことはない。頭を軽く支えられて、更にキスが深くなってきた。 「ん…ふっ…んん…」 「ちゃんと鼻で息しろよ」 辻堂に笑われたが、上手く出来ない。 こんな深いキスは初めてで、頭のどこかには驚きが隠れてるはずなのに、気持ちがよくて、ボーっとしてしまう。口内を撫でられる快感がツキンと走る。辻堂が何度も口内を弄ってくるため、歩の口からは唾液が滴り落ちてしまう。 (あ…もう限界かも…気持ちいい) 唇が離れたと同時に、辻堂の胸におでこをこてんと付け、歩はそのまま寝落ちしてしまった。 「おい…おい…キャパオーバーか…」 この後、おでこにもキスをされたのを歩は知らない。

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