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第29話
ブラン共和国のギフトメンテナンスプロジェクトは順調に進み、言語ギフトの障害は少なくなってきた。世界的にフォルス社の名前が知れ渡り、各国から新しい依頼が入っていると聞く。そのため、帰国してからの辻堂は忙しさに拍車がかかり、数時間しか自宅に戻れない日々が続いていた。
歩は、自宅のアパートに戻ると吉川に伝えたが却下され、今もなお辻堂のマンションで暮らしている。
同じ空間に暮らしてはいるものの、辻堂と歩は顔を合わせることがなく、まともに会話も出来ていない。
ブランから帰国してからは、辻堂の部屋には入らず、以前与えられた部屋で歩は寝起きしている。辻堂は夜中に帰ってくると、歩が寝ているシングルベッドにするりと入り込み、後ろから歩を抱きかかえて眠る。
抱きしめられると一瞬浮上し、寝ぼけた頭の片隅で辻堂が今日も無事に帰ってきたことにホッとして、歩はまた眠りに落ちる。
夜中にふと目を覚ました。
前から歩を抱きしめて眠る辻堂がいた。
身体の大きい辻堂が、背中を丸めて歩を抱き抱え寝ている。辻堂の胸の中にすぽんと歩は埋まっていた。
このベッドは二人で寝るには小さいから、動くと辻堂が落ちてしまいそうだ。辻堂の部屋にある大きなベッドは、二人で寝ても十分広くてゆっくりできる。それなのに、辻堂は必ず歩が寝ているこの狭いシングルベッドに戻ってくる。
そんな姿を見るのは、ものすごくレアで、ちょっと笑っちゃいそうなくらいなのに、歩は涙がとまらなくなった。胸がぎゅっと痛くなる。鼻の奥がツンと痛くなる。声を上げて泣きそうになる。
辻堂の胸の中で、ぬくぬくしている自分は、ずるいと思った。
きっかけは、歩の体調不良。辻堂は、ただそれを改善しようとしてくれただけ。寝ている今も彼は改善しようと、歩の側で眠る。それ以外には何もない。おかげで体調不良も改善し、今では電気を放つことも、夢精することも無くなった。薬もずっと飲んでいない。
だから…
早くここから出て行かないと、辻堂に甘えず、今までの一人の生活に戻らないといけないことはわかっている。それなのに、ずるずるとまた明日、もう一日だけと、一緒に過ごすための言い訳を無理矢理見つけてしまう。自分から戻ると強く言い出さない歩は卑怯者だと思う。辻堂への気持ちを隠して過ごしている自分にも嫌気が差す。
ブランのメンテナンスが進み、言語ギフト保持者が続々と復活してきた。辻堂も吉川もブラン語を理解できるようになっている。歩のフォルス社への派遣契約も終了となるだろう。
そんなことを歩が考えているなんて、わかるはずはないのに、辻堂はゆっくりと歩の背中をトントンとさすっている。寝ている辻堂も無意識に優しい仕草をする。ますます涙は止まらない。
早朝に、おでこを撫でられる感触があった。ゆっくり目を開けてみると、スーツを着た辻堂がベッドに腰掛けて歩を見ていた。
「今日は、家に帰ってくることが出来ない。連絡も取れなくなるが、明日には帰るから待っていてくれ。少し…話をしよう」
そのまま辻堂は出て行った。
寝起きだけど頭は冴えている。何を言われたかは、わかっていた。電気を放つ症状は出ていない、そのため辻堂から自宅に帰るよう促される前に、自分からこの家を出なければ、辻堂から離れなければいけないと思った。
(伊織さんに言わせちゃダメだ。
僕からきちんとお世話になりましたって、
自宅に帰りますって言わないと…)
最近は眠りが浅く、起きては寝てを繰り返している。
このまま、アパートに戻ったら眠れるようになるだろうか。
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