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第30話
フォルスに出勤し、チームマネージャーに休暇申請を出した。歩は、現在ブラン共和国のメンテナンスマニュアル作成で翻訳の仕事を受け持っている。通訳の仕事はブラン側に通訳者が復活したため、比較的落ち着いてきていた。
「急なんですけど、明日こちらの仕事はお休みもらってもいいですか?派遣会社と面談があるから、ちょっと行ってきたいと思ってます」
元々、歩は人材派遣会社に所属しており、そこを通じてフォルスで通訳の仕事をしている。今後、フォルスとの契約満了になった時の話を、前園としないとなぁと思っていた。
「うん、いいよ。宮坂くんずっと忙しかったもんね、ちょっとゆっくりしなよ。あ、今日の飲み会には参加できる?」
「ありがとうございます。飲み会はもちろん参加します」
明日一日休暇をもらえば、その後二日は週末なので、実質三連休となる。三日も休みを取れば気分転換にもなり、気持ちも少し落ち着くだろうと歩は考えていた。
今朝、辻堂あてにメモを置いてきている。何度か書いては直してを繰り返したが、今までお世話になった感謝の気持ちと、これからは自宅に戻り今まで通り一人で生活すること、契約満了迄は責任を持って仕事をすることが、書いてある。今日は帰れないと言っていたので、辻堂がメモを見るのは明日になるだろう。
離れようとすると余計に、辻堂への気持ちが後から後から溢れてくる。好きだと自覚してからは、胸がギュッと締めつけられる。だからこれ以上迷惑をかける前に、自分から物理的に離れるしかないと歩は考えている。
仕事が終わり、皆んなでフォルス本社近くのスペインバルに移動する。歩は、初めての飲み会参加に気分も少し上昇できていた。
「ブラン共和国ってどんなとこだった?
未知の国って感じだよね」
「灼熱の国でした。日中は外出が難しいくらいの暑さです。でも、朝晩は肌寒くなるくらいだから温度差はかなりありましたよ。でも気持ちがいい国でした」
ブラン滞在を思い出す。国も人も明るく、空気も時間も気持ちが良かった。
「プライベートジェットで行ったんでしょ。社長と吉川さんと一緒に。めっちゃ緊張するじゃん、俺だったら無理かも…」
「そうだよな。やらなくていいミスしちゃいそうだよ」
「俺も…直接話もしたことないけど、見た目だけでも怖いしさ、あの二人。その間に入っていけたのは宮坂くんすごいよ」
うん、うんと、みんな頷いている。辻堂と吉川のイメージは、歩が感じるものとはかなり違うようだ。
冷静沈着で完璧主義、隙がなく妥協も許さないと言われている辻堂と、業務上の不備は一切認めず、能力不足の者は容赦なく切れ捨てる吉川だと噂されていると聞く。
「緊張はしますけど…辻堂社長も吉川さんも本当に優しいですよ。色々と気を使ってくれましたし…」
歩がそう伝えると、全員から驚きの声が上がる。
寝起きの辻堂とか、ベッドで寝ぼけて歩を抱き抱える辻堂なんてイメージとは違うよなと、歩は思い出しクスッと笑った。
「そういえば今日、社長はメンテナンス入ってるらしいじゃん」
「ギフト無しなのに?」
「相手の人がギフトに障害出てたみたいで、社長が一緒に入ると改善するらしいよ」
「えー、一緒に入るとかそれは彼女じゃん。羨ましい。俺も彼女と一緒にメンテナンス入りたい」
「あっ、俺相手の人見たよ今日。小柄で可愛らしい人で、纏う空気が優しい感じっていうか…社長と一緒に車で出て行ったけど、社長が完璧にエスコートしててさ。あんなこと普通に出来るの凄えって思って見てたんだよ」
タパスを摘みながら、会話は盛り上がり、飲み会も中盤になると、更に砕けた雰囲気になる。
今日、辻堂がメンテナンスに入るだろうということは、なんとなく歩は気がついていた。だけど、改めて他の人の口から聞くと、胸の奥がズキンと痛む。
(莉緒さんって人だよね、メンテナンスに入るの。やっぱり今日だったんだ…)
「すごく大切にしてるらしいよその人のこと。噂になってるよね、そろそろ結婚するんじゃないかって」
「そうそう、総務の女子達がスイーツの差し入れ増えたって言ってた。彼女がスイーツ好きでさ、社長がアレもこれも彼女にスイーツを買い占めるから、吉川さんが多過ぎて困るってぼやいてたらしい。だから彼女の分以外を全部総務に回して食べてもらってるって」
「社長がスイーツ買うなんて想像できねぇ。それほど惚れてる相手なんだな」
「だよな。案外、情熱的だな社長。好きな子のために尽くすなんてさ」
「やっぱり結婚か。うちの女子達が泣くぞ。ファンは多いからな。イケてる男って羨ましい」
何とか愛想笑いでその場を乗り切った。
飲み会は楽しいが、辻堂の話を聞くのは辛い。
このまま、元の生活に慣れていけるのだろうか。辻堂が結婚した後、彼を見ても胸が痛まなくなる日は来るのだろうか。
恋ってこんなに苦しいものなのだろうか。
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