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第31話

自宅に戻った歩は、窓を開け部屋の空気を入れ替える。夜遅くであるが、風が気持ちいい。 この部屋を出て辻堂のマンションに行った時は、春になる前だったのに、季節は随分と遠くに移り変わろうとしている。 自宅の風呂は小さく「狭いな」と独り言を呟いた歩は、大きなジャグジーがある辻堂の家に慣れてしまっていたことに気がつき、苦笑いをした。ドライヤーを手に取り、壊れていたことにも気がつく。 何をしてもどこに行っても、辻堂のことを思い出してしまう。 ここなら一人で思い切り泣けるだろうと、声を上げて歩は泣いた。 見慣れているはずの部屋なのに、自宅のベッドなのに、他人の家にいるような気がする。 ここには辻堂の気配も匂いもしない。 鏡に映ったキスマークは消えかかっていた。 恋に落ちるってこんなに辛いことなんだろうか。いつかこの辛い気持ちが収まる時が来るのだろうか。胸が痛いのはどうやって治すのだろう。一度知ってしまった気持ちを無くすことは出来ないのだろうか。 眠ることも上手く出来ず、歩はベッドの上でうずくまりながら一晩過ごした。 一人で寝るのは久しぶりだった。 翌朝、約束通り前園に会いに行った。 「おーい宮坂くーん」と、相変わらず遠くから手をひらひらさせて前園が近づいてくる。この派遣会社も盛況のようでたくさんの人が働いている。 「宮坂くん、大活躍だって報告受けてるよ。色々大丈夫?元気だった?」 「おかげさまで、楽しく仕事させてもらってます。ありがとうございます」 「そう?なんかちょっと雰囲気変わったね。うん、うん。頼もしくなったかな、でも今日はひどい顔してるね」 最後は小声で歩だけに聞こえるように 前園は言った。 昨日、泣き腫らしてしまったから、顔も浮腫んでいる。 「あの…前園さん。フォルス社との契約なんですけど、あと3ヶ月くらいですよね。その後、また翻訳に戻ろうかと思ってまして…お願い出来ますか?」 「えっ?何で?フォルスからは、この後も契約更新の話は来てるよ。続けて欲しいって言ってたけど、違う?」 「多分…状況変わってきたので…今は、ブラン共和国側も通訳者が復活出来ましたし、辻堂社長や吉川さんもブラン語を会話できるようになっています。なので、通訳はもう必要ないのかなって思ってます。もし、翻訳のお仕事であればまたここで出来ますし…」 「うーん…聞いてる話と違うな。フォルスとなんかあった?宮坂くんの、そのひどい顔となんか関係あるの?」 歩は言葉に詰まってしまう。 前園は腕を組み、何かを考えるようにして、口を開く。 「わかった。宮坂くんのやりたいようにしよう。何をしたいか考えて教えて。協力するから」 「わかりました…わがまま言ってすいません」 「ぜーんぜん、わがままじゃないよ。そしたらさ、気分転換にレセプションパーティーがあるんだけど、僕と一緒に行ってみる?そこの仕事も紹介できるよ」 前園が言うレセプションパーティーは、新しく出来るグランピング施設だった。 堅苦しいパーティーとは違い、招待客はそれぞれ気ままに過ごすことが出来るらしい。キャンプに遊びに行く準備してきてね泊まりだよと、前園が言っていた。 ここから車で向かうと言うので、歩は一旦自宅に戻り、一泊分をバッグに詰めて前園の車に乗り込んだ。 自宅に一人でいると思い出し、泣き、考えるを、繰り返してしまうので、連れ出してくれる前園には感謝する。これで気持ちが吹っ切れればいいなと思っていた。

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