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第34話
辻堂本人が運転してここまで来たようだ。車が斜めに駐車され、乗り捨てられた状態になっていた。歩は駐車場まで辻堂に手を引かれて歩く。周りの目を気にすることなく、堂々と歩く辻堂の顔を下から盗み見した。
助手席に座った瞬間、ホッとしたのか、ドッと疲れたのか、急に震えがくる。熱が上がってきたようだ。久々にあの症状が出てしまいそうであった。
歩のシートベルトを締める辻堂が、頬を撫でキスをする。大きな手が頬や頭を撫でるのが気持ちよく、久しぶりのキスで気持ちが落ち着く。身体の中心にこっくりとした甘い蜜が流れるような感覚と一緒に熱も引いていった。
「歩…俺が悪かった。そうだな、言葉で伝えないから誤解を生む。二度と悲しませることはしない。約束する。だから、俺のそばにいて欲しい」
ゆっくり車が走り出す。胸の痛みは無くなったはずなのに、そばにいるだけで、たまらないほど胸がドキドキしてしまう。
「伊織さん、僕の心臓ドキドキし過ぎてて、もたないです…」
フフって笑う辻堂は続けて言う。
「家に帰ってメモを読んで焦った。歩のアパートへ探しにいったり、色々な所に連絡して、やっと前園さんに辿り着いた。歩がいる場所を教えてもいいけど、これ以上悲しませるなと怒られた」
「えっ…前園さんに?」
「色々と誤解があるようだから、家までの帰り道で答え合わせするか」
莉緒は…と、辻堂が話し始めた。
辻堂の妹である莉緒は、歩に近いギフトの症状を抱えていた。ギフト開発者の家系であるため、莉緒も特殊なギフトを持っていた。莉緒のギフトは『空気』だ。
空気を作る、空気を読む、空気を放つ。
呼吸をする時も、物を燃やすためにも、暮らしていれば身の回りで必ず空気を使う。また、この世界には意図的に空気を作る必要も多くあり、場所によっては濃度を濃くしたり、薄くしたり。そんな大きな能力を持つが故に、ギフトの症状も重い。空気を巻き込み、時に息苦しく、喘息を引き起こしてしまうらしい。
妊娠中は、メンテナンスに入る時、空気を巻き込まないよう胎児への影響も考えて、辻堂も一緒に入ったと言う。
メンテナンス中は、ギフトが停止している状態だが、特殊なギフト保持者だと、体の中の蠕動が正しく動かなかったり、動き過ぎたりして、ギフトとは別な不調をきたすことがあるらしい。愛する人または、ギフトを持たない人が一緒にメンテナンスに入ることで、それは緩和されるいう。
「結婚して、妊娠して、莉緒の症状は落ち着いたんだ。もう昔のような症状が出ることはなかった。愛する人が出来ると、身も心も満たされて、安心するとギフトの障害は完治するって本当なんだなと思ったよ」
随分前に、歩の主治医である吾郎に言われたことを思い出していた。確かに、吾郎も同じようなことを言っていた。
辻堂がメンテナンス会社を立ち上げ、身も心も安定させるメンテナンスに拘るきっかけは莉緒だった。特殊なギフトや、ギフトの障害によって苦しむ人を一人も出さないように、最大限自身が持っている力と技術を提供し、手助けをしたいという目的があった。
「莉緒も、莉緒のお腹の子も、もう問題ないんだ。旦那もいるしな。俺の役割は今回最後だった。それに…」
「それに、何ですか?」
「莉緒のメンテナンス中、早く家に帰り歩を抱きしめたかった。だから、ずっとソワソワしている俺を見て莉緒は、早く帰れってずっと言ってたよ。旦那がいるから、兄はもう必要ないって」
辻堂が歩を毎日抱きしめて眠っていたのは、歩の体調を心配してではなく、辻堂本人がやりたくてやっていたことだと知り、歩は驚きを隠せない。
「吉川に言われた。歩を構ってる俺を見ると、昔、莉緒をかわいがっていた時の俺とダブると… でも俺の中では莉緒と歩は全く違う。似ても似つかない。確かに、最初に歩の症状を見た時は、莉緒と同じような特殊ギフトの持ち主で障害に悩んでいるとわかった。でもな…無理矢理、うちに連れてこられてるのに、構えば全身で喜びを伝えてくる。役に立ちたいって、必死に両足で踏ん張って俺に向かってくる。常に前を向いて、こっちを真っ直ぐに見てくるお前が本当に愛おしい。もっと俺に頼って欲しいと日に日に思うようになっていった。頼られると嬉しくて、俺は気持ちを抑えられず、何度も何度も、愛してると伝えていたはずなんだがな」
「うっ…わかりません。言われたことないし…」
「だよな…好きだと言葉で伝えないから歩を傷つけたんだ。悪かった」
キスをしたのも、それ以上の行為も辻堂からの愛情表現であったとは。
最初にキスをした後、歩は寝てしまったからわからなかったが、無意識で辻堂の服の裾を握り離さなかったという。
「恥ずかしそうにするくせに、離れて欲しくないと無意識で訴えてくる。そんなお前を俺はかわいくてたまらなかった。
クローゼットの奥に隠されていたクッキー缶の中には、俺からのメッセージが貯められていた。そんなの捨てないで取っておくなんて、独りになると寂しいって全身で言っているようなもんだ。
そしたらもう、な… 歩の体調改善のため、キスしたりそれ以上のことするなんてあるかよ。あれは、俺の下心からやってることだからな」
ボンっと音が出るくらい、歩は顔が赤くなるのがわかる。ガレットの空き缶に貯めている辻堂からのメモもバレている。誰もいない車の中だけど、恥ずかしさから消えてしまいそうだ。
車が右折する。見慣れた場所に帰ってきた。もう一度、辻堂と一緒に暮らせるのだろうか。大好きな大きな手を取ってもいいのだろうか。
「伊織さん…なんで待ってろって言ったんですか?話をしようって何の話だったんですか?」
「ん?さっきプロポーズしたろ…いや、またちゃんと言ってなかったか…」
車がマンションの駐車場に到着した。
「俺はもうお前を離すことは出来ない。離してやることも出来ないな…だから、歩、一緒に暮らそう、俺のそばにいてくれ。大切にする、約束する」
そういえばプロポーズのような言葉を前園の前でも言ってたなと、歩は回らない頭で考える。また熱が上がってきたような気がする。この短時間で熱烈な言葉を沢山投げかけられて、オーバーヒートしそうだ。
「伊織さん、僕もう頭が回らないです」
辻堂は笑いながら歩を抱き抱えて、部屋まで連れて行った。
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